Black Requiem ~For the girl~

罵論≪バロン≫

夜葬序曲

夜葬序曲①

「闇の中に葬れば、逃れられると思っていたのか?」


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 気分が良かった。


 どれほどの店をハシゴしたのかは知らないし、どれだけ酒を呑んだのかも覚えていない。既に夏は過ぎ去って、夜が更ければ僅かに冷えるような時期に入っているものの、今のダグラスはそんな事関係無しに暖かい。暖かくて、賑やかで、柔らかい。


 週末の歓楽街に繰り出してお気に入りの店を渡り歩き、美味い酒を呑み、美味い飯を食う。連れ歩く頭と尻の軽そうな女達は、店を変える度に増えていく。


 人によっては、堕落と言うかも知れない。それでもダグラス・ダラスにとってこの“パレード”は勝利の凱旋のようなものだった。


 豪勢な食事。高価な酒。美しく着飾った女達の、浅ましくもしたたかにダグラスに媚びている声音や視線。


 全て、ダグラスが己の手で勝ち取ったモノである。あまりの空腹に夜眠れず、ミミズを掘り返して貪る事も無ければ、上等な服を着た豚のようなガキに泥を引っ掛けられて嗤われる事も無い。ただひたすらに惨めなだけの生活とはまるで無縁な、豪華で贅沢なダグラスの人生。ロクに稼げもしない負け犬共が何を幾ら言った所で、全てはダグラスと彼等の身なりの差が物語っている。


 ダグラスは勝者だ。今はもう、嗤われる側ではなく嗤う側の立場だ。


 あの惨めな生活から、ダグラスは手段を選ばず死にもの狂いで這い上がってきたのだ。


「ねぇ、早くぅ」


 酩酊の海に浸かったダグラスの意識を、纏わり付いている女達の媚びた声が引っ張り上げる。ついさっきまでは歓楽街の通りを女達を引き連れて歩いて居たように思うのだが、何時の間にかダグラスは自宅の扉の前に立ち、着ているコートのポケットから術式鍵コード・キーを取り出している所だった。そう言えば夜もそろそろ遅くなってきたので、此処まで着いてきた女達をそのまま自宅に招待する……という話を何処かでしたような気もする。


 贅沢な食事に、高級な酒、そして浅ましくも美しい女達。心ゆくまで貪るのは、勝者だけに許された特権だ。


 酔った頭でこれからの流れについて思いを馳せ、自然と口角を吊り上げながら、ダグラスは自らの手に収まった棒状の金属片──術式鍵コード・キーを扉の鍵穴に近付ける。 一見只のガラクタにしか見えないそれは、扉の鍵穴に近付けると幾つもの歯車や回路を組み合わせたかのような光の術式陣を浮かび上がらせる。“術式”が普及している世の中とは言え、術式鍵コード・キーは個人の魔力を鍵と鍵穴に認証させる式を組み込まなくてはならず、手間が掛かる上に少々値が張る。


 たかだか家の鍵如きにオーダメイドの品を使うのは、ちょっとした財力の証でもある。感心したような女達の視線や感嘆の声に気を良くしつつ、ダグラスは術式鍵コード・キーを鍵穴にゆっくり差し込んだ。鍵穴の周囲に新たな円形の光陣が展開し、程なくしてクルリと音も無く一回転する。直後、夜の闇の中に響いたカチリという硬質な音は、言うまでも無く扉の錠が解除された音である。


「……ん?」


 鍵を開けてから扉を開けるのは流れ作業だ。作業という程でも無いその動作を、普段から意識する事は殆ど無い。


 それにも関わらずダグラスが思わずその動きを止めたのは、違和感があったからである。端的に言えば、扉は開かなかったのだ。


 どうやら解錠の術式が上手く働いてくれなかったらしい。術式は基本的に経年劣化など無いから、不具合など殆ど起こさない筈なのだが。この術式鍵コード・キーの製作を手掛けた工房には、明日にでもクレームを入れてやらねばならないだろう。


「よし」


 再度解錠を試みると、今度はあっさり扉は開いた。どことなく締まらない雰囲気を振り払うべく、ダグラスはやや勢いを強くして扉を開き、女達を家の中に招き入れる。


 家の中は真っ暗だった。これが普通の民家であれば、闇の中を手探りで室内灯のスイッチを探す所であるが、生憎とダグラスの家はそんじょそこらの民家とは訳が違う。家主、或いは予め登録されたの持ち主が家の中に入ると、その魔力に反応した魔導灯が室内の暗さを判断し、必要だと判断した程度の光量を室内に供給するようになっているのだ。


 そんな訳で玄関の真ん中で佇んで魔導灯が光を投げかけてくるのを待っていたダグラスだったが、どういう訳か魔導灯はいつまで経っても反応する素振りを見せなかった。先程の術式鍵コード・キーについてもそうだが、今日はどうもツイてないらしい。溜息を吐いて舌打ちを零し、ダグラスは明かりも無いまま強引に女達を家に上げる事にした。どうせどいつもこいつも頭の軽い淫売共だ。ゴリ押しした所で特に問題は無いだろう。


 窓の外から入ってくる僅かな光を頼りに、それぞれが思い思いに不平不満を零しながら、暗い廊下を歩いていく。リビングの前を通り過ぎ、階段を上がり、やがてダグラスの寝室に辿り着いた。 他でもないダグラスの寝室だ。 開けるのに誰かに遠慮する必要は無く、だからダグラスは躊躇う事無く扉を開ける。


「――!?」


 轟、と。


 闇が吹き抜けていった。


 まさしく突風としか言いようがないそれに、ダグラスは咄嗟に目を閉じ、その上で腕で目元を庇いながら顔を背ける。


 室内から風なんて、普通は有り得ない。窓を閉め忘れていたのだろうか。折角気分が良かったのに、家に着いてからの一連の出来事で全て台無しだ。女達の困惑したような悲鳴に紛れて舌打ちを溢しつつ、ダグラスは顔の防御を解いて顔を上げる。


「――!」


 次の瞬間、度肝を抜かれなかったと言えば嘘になる。


 ダグラス達が立つ扉とは、部屋の反対側に位置する窓。入ってくる街灯の光が妙に明るく感じられるその前に、さながら影絵のように真っ黒な人影が一つ、ぼうっと立っているのが見えたのだ。逆光になっていて完全にシルエットになってしまっている上に、フード付きのコートでも着ているらしく、よく体型も性別も分からない。強いて言うなら、どうやら背は高いようだ。


「……――」


 咄嗟に、言葉が出て来なかった。


 気の所為。見間違い。術式げんかく、例えば今連れている女達の誰かが仕掛けて来た悪戯の類。


 咄嗟に浮かんだ可能性はそんなもので、けれど次の瞬間には、そのいずれも違うとダグラスは踏んでいた。何度瞬きしても影は消えず、術式が発動された時に感じる特有の痕跡も感じない。ダグラスが連れている女達は皆学も無ければ知性も無い淫売共だ。わざわざ悪戯の為に術式を使うという発想など無いだろうし、そもそも術式なんか使える筈も無い。


 気の所為や見間違いの類ではない。術式で作り出された幻覚とも違う。


 だとすれば答えは自ずと限られてくる。


「……コソ泥か。どうやって入ったか知らんが、良い腕だ。目の付け所も悪くない」


 ダグラスはこの辺に住む金持ちの中でも一、二位を争う程の金持ちだ。コソ泥等と負け犬の中でも最底辺に位置するような人種にそのような評価をくれてやるのも何だが、ダグラスの家を獲物として見定めた識別眼と、実際ダグラスの家に侵入してみせた手腕は悪くない。


 所詮は金にたかる蛆虫のような存在だ。何より今のダグラスは酒に酔い、人型に生まれてしまった蛆虫を憐れと思う程度には寛容な心が出来上がっていた。


 要は気紛れというヤツである。


 コートの懐に手を突っ込み、ダグラスはそこから取り出した札束を、無造作に人影に向けて放って見せた。


「ほら、褒美だ。ははっ、それくらいあれば、パンくらいは買えるだろう?」


 やだダグちん太っ腹、だとか。かっこいい、とか。


 背後から聞こえてくる女達の媚びた声は酷く不快で、ダグラスは自らの口の端が自然と吊り上がるのを感じた。


 正義も無ければ道徳も無い。きっとコイツらは矜持も信念も持ち合わせていないのだろうし、それらと安っぽいプライドの区別さえつかないのだろう。否、それはコイツらだけに当て嵌まる話ではない。ダグラスの知る世界そのものに言える事である。


 正義や道徳、誇りや信念等で腹は膨れない。ヒトが明日を生き抜く為に、必要なのは金だ。誰が何と言おうと、幾ら偽善者共が綺麗事よまよいごとで取り繕おうと、結局世の中を支配しているのは金なのだ。


 鼻から抜けいった嘲笑は、果たして誰に向けたモノだったのか。


 ダグラス自身にもよく分からなかったし、考えようとも思わなかった。それよりも目の前で人影が動き出し、ダグラスが投げた札束に近付くのが見えて、ダグラスの意識は其方に吸い寄せられていた。


 自分が投げた札束を拾う為に、他の誰かが地面に這い蹲る。


 これが真理だ。これだけが真実だ。


 見ていて吐き気を覚えるくらいには見飽きてしまったその光景を睥睨するべく、ダグラスは黙って人影の挙動を見据える。そんなダグラスの視線を知ってか知らずか、人影はコソ泥にしてはやや不遜とも思えるようなゆったりとした足取りで札束に近付き、


「……――」


 


「――……あ?」


 ゴツゴツと音を立てて部屋の中を横切ってくるブーツの足音。その間隔は札束を踏み潰した直後から明らかに加速していって、そんな事を悠長に考えている間にはもう人影はダグラスの目の前にまで迫って来ていた。


 コソ泥風情が何様だ、とか。折角ヒトが金を恵んでやったのに何のつもりだ、とか。


 胸中に噴き上がった怒りの感情は、けれど、同時に湧き上がったもう一つの感情にあっという間に塗り潰されてしまった。それと言うのも、今まさに目の前で、影がのが見えたからだ。


「……!?」


 どうして自分がそんな行動に出たのか、ダグラス自身にも分からない。ただ強烈な、衝動にも似た感情に衝き動かされるような感覚があって、気が付けばダグラスは周囲に纏わり付いていた女達を振り払ってその場を反転、脱兎の如く逃げ出していた。


 本性が垣間見える女達の罵声ひめい。ドタドタと騒がしいダグラス自身の足音。


 そして直後にそれらを悉く呑み込んだ、


「……ぃ……!」


 これでも暴力沙汰には慣れている。何も持たないダグラスが文字通りゼロから這い上がる為には、手段なんて選んでいられなかった。否、それは今でもそうだ。今の地位を守る為に、ダグラスは今でも公には言えない事に色々手を出している。


 だからこそ、分かったのだ。あの人影はコソ泥なんかではない。ダグラスが今の地位にまで這い上がる過程で出来た、沢山の敵達。その内の誰かが送り込んできた、刺客だ。そうでなければ、部屋の中でダグラスを待ち伏せしている筈がない。


 階段を駆け下りる。先の人影の一撃で酔いはとうの昔に醒めていて、生き残る為に自分が取るべき手段は既に見えていた。


 とにかく、外に出るのだ。あのような手合いは、自身や自身の仕事が公の場に引きずり出される事をとにかく嫌う。外に出て、大騒ぎすればいいのだ。それこそ、この付近の住人全てを叩き起こす勢いで。その後しばらくはダグラス自身も色々と動き辛くなるだろうが、それは金とコネでどうにでもなる問題だ。然るべき時、然るべき人物を札束で叩き倒せば、それで解決するだろう。


 階段の最後の三段を一気に飛び降りて、一目散に玄関へ。自宅故に間取りは何となく分かるものの、暗い廊下は完全に見通す事が出来ず、自らの身体で調度品を薙ぎ倒していく結果となった。背後からは、特に音は聞こえない。迫るブーツの足音も、それからダグラスが残してきた女達の悲鳴も。そう言えば、彼女達はどうなったのか。所詮媚びと身体を売るしか能が無い阿婆擦れ共だ。せめて無駄に泣き叫び、命乞いし、一秒でもダグラスが逃げる時間を稼いでくれればいいのだが。


 どちらにせよ、間に合った。


 半ばぶつかるように扉に取り付いて、ダグラスは手探りで扉の取っ手を探す。いつもであれば気にもならないような一瞬が、今は大声で叫び出したくなる程にもどかしい。


 早く、早く、はやく、はやく――!


 ここを出れば。この扉を抜けてしまえば。ダグラスは今回も生き延びる事が出来るのだ。



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