残された封筒と眠る 


 「明日僕が死ぬと言ったら君は何を想うだろうか」


 書き出しはそんな一行にした。

 それからも手紙は続く。


 「君は驚くだろうか、それとも泣くのだろうか。笑うなんてことは無いと信じておきたいから考えるのを止めておくよ。周りに話をしたら、散々怒られた。他に道はあるだろうと、ね。でも時間が無かった。僕には知恵もなかった。君が居てくれたら何か他にいい案が思いついたのかもしれないけれど、僕のちっぽけな脳では限りがあるだろう。君もよく知っての通り、僕は勉学が大いに苦手であったし、初等科の試験の点数は毎回先生から呼び出しを食らうような物であったからね。


 そんな僕も何とか高等学校まで通い続け、卒業をすることが出来た。それから実家から二つ隣町で働き始めた。小さな定食屋だった。三食まかない付きで、住み込みだなんていい条件だったと思うよ。給料は安かったけれど、毎日充実していたんだ。

 働き始めて二年、僕が一九の頃だったかな。初めて君に会った。大学生の君は、華やかに見えた。いや、僕の知らない場所自体がきらびやかに見えていたのかもしれないね。君は華やかな中にも落ち着きと、しとやかさを纏っていた。それはもう、人目惚れであった。


 それからと言うもの、僕は度々君の通っている大学に訪れることになるのだが、君はそんなこと知らないだろう。こんなことを話したのは初めてだ。

 当時は厳しかったからね。部外者が、それも女子大に男が入るなんてことは難しかったよ。勿論、僕は見張り番が門の前にいることも知っていたし、散歩をするふりをして窓や門、木々の隙間から中をちらっと覗いていただけなのだけれど。


 月に数度、そんなことをして。いつしか、いちょうの葉が黄色に色づく季節になっていた。風は日に日に涼しさを帯び、朝夕は冷たかった。


 寒さが増す中、ある日君が僕の働いている店に来てくれたことがあった。ビーフシチューの有名な店でね、君もそれを食べに来てくれていたのを覚えているよ。一緒に来ていた友人に、「美味しいわね」と顔を綻ばせる君のその顔がどんなに僕の胸をときめかせたことか。


 僕はその日に決心した。この人と一緒になりたいと。この人を笑顔にするために僕の人生を捧げようと。


 帰ろうとする君に声をかけて、どうかまた店に来てほしいと頼んだのを覚えているだろうか。その後も大学前や、君のよく通っていた図書館の前で待っては食事やデートの誘いを申し出ていたね。優しい人だから、そんな迷惑な僕のことも避けずにいてくれたけれど、きっと困らせてしまっていただろう。申し訳なさそうに断る君に、僕自身の良心も痛みはしたけれど。諦めるなどということはしたくなかったし、何より君のことが好きだった。



 次第に君は呆れたのか、折れたのか。僕の誘いを受けてくれるようになった。


 たった一杯の珈琲と、小さな喫茶店で過ごした初めての時間。デートなんて呼べるような大層なものでは無かったけれど、幸せな時間だった。普段入れない角砂糖まで珈琲に溶かして。緊張していたんだろうね、僕も若かったよ。甘い砂糖が舌にまとわりついて、君に次の約束をすることさえ忘れてしまったくらいだから。


 冬にはマフラーを贈った。寒さに弱い君が、風邪を引かないようにと。君は何も用意していないと眉を落としていたけれど、僕は君がいるだけで十分であったし、共に過ごせる時間以上に欲しいものなんて何も無かった。


 雪が溶けて、新しい緑が次々と咲いて。小鳥が嬉しそうに鳴き始めると、僕は君を花見に誘った。君の手料理を食べたのも、その時が初めてだった。

 料理人の僕に食べさせるのは、嫌だと頑なに渋っていた君。上手い下手を気にするとでも思っていたのだろうか。純粋に僕は君の手料理が食べてみたかった。桜の下で食べる君の味は、優しくて。僕の好きな味だった。「美味しいよ」と君に告げれば桜色に染まる頬が愛らしくて。また、君は僕の心をときめかせた。


 それから暑い日が続き、また涼しさ、寒さが訪れて。僕の夢が叶っていった。


 君が大学を卒業するのを待ち、僕は君と結婚した。


 娘二人、息子一人。僕らはいつしか夫婦から、家族になった。小さいながらも店を持ち、家族のために働いた。


 君と、子供達と囲む食事は毎日楽しいものだった。初めての子供を授かった時は二人で苦戦したね。何をするにも初めてばかりで、慌ただしい日々だったろう。君は上京してこちらに来ていたから、周りに頼れる人も居なかっただろうに。君はとても頑張ってくれた。良い母であった。下の子が産まれた頃には乳をあげることや寝かしつけることも上手になっていたね。安心して腕の中で寝てしまう子供を見て、思わず笑ってしまった僕。折角寝かせた子が起きそうになって君に怒られたのが懐かしい。


 そうして君と、子供達と過ごしていくんだろうと。僕は勝手に思っていた。



 上の子が六つの頃であった。元々体の弱かった君は流行りの病で亡くなった。

 君がこの世に居ないという現実を受け入れることが出来ず、僕は子供の前で初めて泣いた。上の子は何となく分かっていたのかもしれないが、真ん中と下の子は理解出来ずに僕の背広をくいくいと引っ張っていた。喪失感ばかりが胸を締め付け、見上げた空は色褪せてすら見えた。


 君は、僕の人生の色であった。



 あんなに悲しみに暮れていた筈が、もう十年以上も経ったのか。時間が過ぎるのは早いものだ。


 手紙も案外良いものだね。君のように綺麗な字は書けないが、つらりつらりと思ったことを綴るのは嫌いではないかもしれない。そういえば、君から貰った手紙が出てきたんだ。子供が持って来てくれてね、懐かしい気持ちになった。今は病室の棚に大切に仕舞ってあるんだ。君からの手紙を見つけて、こうして手紙を書こうと思い立ってから人生を振り返り、君と二人で歩むことが出来たと、そう感じたよ。


 いけない、僕が明日死ぬ理由を君にはまだ話してなかったね。末期のガンだそうだ。健康が取り柄の僕だったのに。まあ、これもまた神様が決めた運命なのだろうと思うことにするよ。何故そう思うか。そうだね、それも話しておかないといけない。今月の終わりに迎えが来ると夢を見たんだ。君はそんなこと信じなくても良いと言うかもしれないが、僕は本当に迎えがくるような気がしているんだ。

 ああ、でも僕はこれでいいと思っているし、君なら僕の死を分かってくれると信じているよ。悲しいことばかりでもないからね。


 明日は、君に出会った日。


 神様も粋なことをしてくれると思わないかい。初めて君に出会った日に、僕はもう一度君に会いに行くことが出来るんだよ。


 そちらはどんな場所だろうか。春になったら花は咲くかい。もう一度君と花見をしたいと思っているんだ。その時はまた、君の手料理を食べさせて欲しい。夏は緑が生い茂り、秋にはそれが色づいて、冬はやはり凍てつく寒さが身を襲うのだろうか。君に教えて貰……いや、それは君と過ごしながら少しずつ味わっていくことにしよう。


 長くなってしまったね。買って貰った便箋があと一枚で終わりを迎えるんだ。ああ、封筒が余ってしまった。形は無いが思い出を詰めていくとしよう。


 生きている僕の、最初で最後の君へ送る手紙をそろそろ終わりにしようと思う。



 僕と一緒になってくれてありがとう。感謝している。

 待っていておくれ、あと数時間。愛しい君に会いに行くから。


                                僕から君へ





 そして、愛しい子供達へ


 僕が生涯で愛した一人の女性から生まれて来てくれた、愛しい愛しい子供達へ。


 十分に伝わるとは思うけれど、父さんはお母さんのことを愛していました。お母さんも父さんのことを愛してくれました。しかしそれ以上に、父さんとお母さんは君達のことを愛していました。


 君達の成長を見守ることが出来ず、とても残念だ。そして、本当に申し訳ない。許して欲しいとは言えないが、いつか父さんとお母さんのように真っすぐに人を愛せるような人になって欲しい。

 きっと、大切な人が出来て。家族を持って、親になって。

 毎日大変な苦労もあるだろうけれど、前を見て。笑顔で。生きてほしい。


                                父さんより



 ペンを置く。息をついた。

 母親の面影を残しながら眠る子供達。毎日見てきた寝顔がそこにあった。病室にある時計だけが時を止めずに生きていることを僕に知らせる。今夜の月はとても美しく、不思議と心が落ち着く。夜が、優しく光っていた。


 「嗚呼、綺麗な月だよ」


 力が抜けて行く気がして、ゆっくりと目を閉じる。とても、眠い。

 手紙を折り入れ、残った封筒も一緒に胸に抱く。君と、子供たちとの思い出を全て持って行こう。


 眠りについたら二度と目覚めることはないだろうと思いながらも、穏やかに。深い深い眠りへとついていった。



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