第36話 魔王さまの作戦開始


 グラードの軍隊は、既に森の中腹近くにまで差し掛かっていた。


 足の速い者、腕に覚えがある者はほぼ単独で先行し、己の牙が、爪が深紅に染まることを想像しては加虐に満ちた笑みを浮かべ、たぎらせていた。


 血袋がみっちりと詰まった学校まではあと少し。

 だが、まるで視界を遮るかのように乱立している木々が進行を阻み、妙な狭苦しさと言いようのない『重さ』が足取りを鈍らせ、予定より進軍は遅れていた。


 熊のような巨体の魔族は、最初こそ右へ左へとかわしながら歩いていたが、徐々に面倒臭くなり、力任せに木々を薙ぎ倒しながら直進していく。


「くそっ、まだなのかよ。ずっとお預けくらってたから、早くしねぇと狂っちまいそうだぜ」


 グチっぽい言葉とは裏腹に、熊のような魔族はすこぶる上機嫌だ。

 なぜなら、これから向かう先には低レベルの人間しか居ない。

 何の危険性もなく、思うがままに欲望をぶちまけられるチャンスなど、滅多に巡っては来ないだろう。

 グラードの所に配属されて良かったと、初めて思った瞬間だった。


 鼻息を荒くし、今にも爆発してしまいそうなたぎる気持ちを発散させるかのように、細い木を薙ぎ倒す。


 その時だった。

 頭上から、ガサリという音が聞こえたのは。

 反射的に見上げると、そこにあったのは――。


「あぁ!? なんだこりゃ!?」


 それは、巨大な水滴……ではなく、ボール状のスライムだった。

 泡立つように「うふふ」と不気味な笑い声を上げながら、木の上から降ってくる。


「な、なんでここに――!?」 


 モンスターが居るんだ。

 その言葉は、顔面を覆うようにビチャリと張り付いたスライムによって遮られた。


 伏兵による強襲は成功した。

 だが、レベル10に近い魔族が相手では、レベル2のスライム程度では視界と呼吸を一瞬だけ奪うのが精一杯だろう。

 だが、その一瞬こそが攻撃の要。


≪みんな、今だ!!≫


 その掛け声で、木の上から二体、足下から一体、計三体のコボルトが同時に出現し、頭、背中、スネの三ヶ所を全体重と全膂力を乗せ、木づちで打ち潰す。


 視界を塞ぐことで無防備状態にし、更には呼吸を止めることによって硬直状態に陥らせ、回避とダメージを緩和する動きを同時に封殺する。

 これによって、計レベル9分の攻撃力に加え、相手の防御力を無視した以上のダメージを与える事が可能になっていた。


「クソが……! なんでテメェら如きに……!?」


 熊のような魔族は、軍の中でもかなりの実力者だが、一糸乱れぬ連携攻撃の前に屈するように、膝を付き、そのまま大の字になって気絶した。


≪やった……やった! 本当にやっつけられた! アイツの言ったとおりだ! 作戦通りに動けば、俺たちでもこんな強い魔族に勝てるんだ!!≫


 コボルトたちは喜びを分かち合うように抱き合い、歓声を上げる。

 中には感極まって泣く者も居た。

 数年越しの無念を、ようやく晴らすことが出来たのだから。


 しかし、それもつかの間の喜びだった。

 彼らのすぐ側を、恐怖に満ちた顔で必死に逃げる仲間と、怒り狂った顔で追い掛ける魔族が走り抜けていった。


 追い掛けている魔族は、レベル11。

 奇襲も、三人同時の攻撃も成功したが、あと一歩の所で足りず、仕留め損なってしまった。

 失敗がもたらす結果は、見ての通りだった。



 ◇----------------◇



 走る。走る。走る――。


 一瞬たりとも走るのを止めれば、大きく開けられた地獄の釜にあっという間に飲み込まれてしまうだろう。

 大木を右へ避け、枝をしゃがんでかわし、枯れ葉を巻き上げながら逃げていく。


 作戦を伝えられたときから、きっとこうなるだろうと感じていた。

 選ばれた三人の中で、自分が一番足が遅い。

 だから、魔族も手短な自分を狙ってくるだろうと思っていたからだ。


 もしも失敗したら、とにかく後方に逃げろ、と指示されていた。

 それも、別々な方向に。

 どうしてそうするのかは、教えてくれなかったが。


 だが、今なら、死に直面した今なら分かる。

 別々な方向に逃げるその意味が。


 後ろを見る。

 先程よりも差が縮まっていた。


 怒り狂った魔族が、血走った眼でこちらを睨みながら、理解出来ない言葉を呪いのように吐き出し続けている。


 他の二人は、無事に逃げ切れただろうか?

 自分を助けに来るだなんて、馬鹿な真似はしていないだろうか?


 木の根っこに引っかかり、よろけてしまう。

 すぐに体勢を立て直したが、差は更に縮まっていた。

 生暖かい息が、背中に浴びせかけられているようだった。


 ……嫌だ!

 死にたくない!

 これは仲間の為だって分かってる!

 けど、死にたくないんだ!


 誰か助けてくれよ!

 自分の為に、誰か来てくれよ!

 けど……仲間を死なせたくない……。


 来るな。

 来てくれ。

 来るな、来るんじゃない。

 来てくれ、来て助けてくれ。


 後ろを見る。

 あぁ、とうめき声を上げた。


 魔族は一際大きく口を開け、そして――。



 ◇----------------◇



 既に開戦の火ぶたが切って落とされた事を感じつつも、ストラは説明を続ける。


≪森という地形を生かした、スライムによる奇襲。そして相手を無力化した所で、コボルト三匹による集中攻撃が行われる≫


 パラミドーネは思わず唸った。

 確かにそれならば、敵は一撃で沈むだろう。

 しかし、腑に落ちない点もあった。


 作戦の内容を隠していた理由が、どこにも見当たらないのだ。

 いや、ただ一点だけ、聞かなければならないことがあった。


≪仕留めきれなかった時はどうするんだい?≫ 

≪その場合、別々の方向に逃げろ、と指示してある。これで最悪の事態は避けられるだろう≫


 最悪の事態。

 その言葉に、パラミドーネは引っかかった。


≪……ケツに噛みつかれた仲間は?≫


 パラミドーネにとっての最悪は、仲間が死ぬこと。

 だが、ストラにとっての最悪は、


≪他の二匹は確実に助かる≫


 冷徹なその言葉に、愕然とした。

 そして感じた。

 ストラにとっての最悪の事態とは、『戦力の低下』でしかないと。


 種族延命の為に、少数の犠牲をもって大勢の命を救うのは当然の選択といえよう。


――コイツは、そんな綺麗な話じゃない。確実な勝利を得るために、最初から犠牲を出す事を決めている。


 そしてパラミドーネは思った。

 もしも、もしも種族全体を犠牲にしなければ勝利出来ないというのなら……ストラは何のためらいなくそれを実行するだろう、と。


――コイツは毒だ。勝利という美酒に酔わせ、アタシらの種族を気づかない内に滅ぼさせてしまう、最低最悪な猛毒だ。


 パラミドーネは、斧の留め金を音を立てないように外す。

 清廉さとは無縁の、猛々しい刃先が徐々に露わになっていく。


――一族の運命をコイツに託したアタシがバカだった。自分の過ちは、自分で正す!


 ストラの背に向かって、斧を振りかぶり――。

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