番外編 反乱のあと 後編

 健太がうかがうように母親を見上げると、母は健太の顔をのぞき込んで微笑んだ。

「心配? ううん、ちっとも」 

 やっぱり。聞くんじゃなかった。

「“絶対大丈夫だ”って」

「え」

「“いずれおれ様を超える唯一の男が、こんなことで死ぬわけない”って」 

“おれ様を超える?” 

 あ、そうか。お母さんはけん兄の話の続きだと思ってるんだ。確かにお父さんに敵いそうな男と言えば、けん兄くらいのものだ。

「違うよ」

 母親がきょとんと見返してきた。

「けん兄のことじゃなくてさ」

「健司君? 私は、健太の話してるんだけど」 

 僕? 不思議な気持ちが胸に灯ったその時、ドアの向こうでぴたぴたいう音がした。嫌な予感がして、健太は目を閉じるとドアから顔を背けた。

 ととーん、とドアが叩かれたと思ったら、誰かが入ってきた。

「健太は?」

 母に問いかける声で分かった。やはり父だった。

「今、気がついたところよ」

 母親が報告したと思ったら、

「どうして裸足なの?」 

 ああ、という返事とともに、またぴたぴた音がした。

「この床じゃ、うるせえからさ」 

 下駄を脱いで手で持ってきた、と話している。

「冷たくて気持ちいいぞ。恵子もやってみろよ」 

 明るい口調だ。ここはプールか。命を取りとめた息子が寝ている病室でする会話とは思えない。

 母親が言った。

「先生がね、健太の気分が良くなったら、家に帰ってもいいって」

「ふうん」

 のん気な声音に、思わず力が抜けそうになった。その時、

「けーんた」 

 不意に父親に呼びかけられ、健太はぎくりとして思わず目を開けてしまった。

「どうだ、気分は?」

 母親とほぼ同じ質問だったが、父に正直に答えるのは癪だった。健太は顔を背けたまま、かすかに聞こえる程度の声で、なんともない、とだけ言った。

「そりゃ良かった」

 父がぬっと身を乗り出してきた。

「でも、気持ち悪かったろ?」

 何だよ。珍しく説教でもするつもりか?

「毒の沼地ですっ転んでさ。うっかり沼の水が口に入った時に似てねえか?」

 あ、そうかも。確かにHPの数字がほぼ0になりそうだった。でも。

「毒の沼地で転んだことなんか、ないだろ」

「お前、すげえな」

 父親の満面の笑みが目に飛び込んできた。

「こんな状況でも、一応拾うんだな」

 誰のせいだよ。

「今回は、自分で回復しろよ」

 一瞬、父の声が真面目になった。

「分かってるよ」

 勇者たかさまの呪文なんか必要ない。なぜ効くかは知らないけど、今日はやってほしくない。

「よし、じゃあ行くか」

 今度は、布団越しに肩を叩いてきた。

「婦長さんが、屋上出てもいいってよ」

 嬉しそうだ。

「特等席で見ようぜ」

 花火! の言葉とともに布団をひっぺがされた。

「わ」

 ベッドの上で身を縮めた健太に、父親は屈みながら背を向けた。涼しげな浴衣の生地に包まれた父の背中は、小さい頃見たのと変わらず大きかった。

「ほら、来いよ」

「いい。自分で歩ける」

 小6にもなっておんぶなんて。

「遠慮すんな。たぶん人生最後のおんぶだぞ」

「最後でもいい。おんぶなんかしなくていい」

 父親はちぇ~と声を上げたが、すぐに体を伸ばして健太に向き直った。

「じゃ、行くぞ。一発目から見んだから」 

 早くしろ、と急にそわそわしだした。 

 健太はまだ体半分毒液に浸かっているような不快感を抱えながら、廊下や階段を足早に移動する父の背中を必死に追った。

 気持ち悪い……。

 おんぶを拒むのに必死で、勢いでついてきてしまったことを健太は激しく後悔した。

 ただ、広そうな院内で父とはぐれるわけにはいかない。追うのが遅れて、またおんぶしてやると言われるのも嫌だ。意地でもついていってやる。

 でも、やっぱり気持ち悪い。何でエレベーター使わないの?

 ようやく屋上に辿りついた。父親が開け放していたドアから、よろよろと外に出る。 

 ひゅううう、と甲高い音が鳴った。

 小さな光が尾を引きながら夜空を駆け上っていき、ふっと消えたと思ったら、大輪の花火が空に広がった。

「でっ、けえ……」 

 もちろん音も大きかった。健太の胸のうちを吹っ飛ばしてくれそうな爆発音が、派手に響き渡る。

 父親が叫んだ。

「か~ぎや~!」

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