蛭巻第三検問所
ピョードル律師一等兵
真っ青な空が何処までも続いていた。
雲一つない、水色の空。
太陽は天高く登り、燦々と輝いている。
瓦礫も廃墟も砂と岩と土になり、延々と地平線まで続いている。
焼けて粉々になったコンクリートと微塵となって錆びついた鉄が交じり合い、赤茶けた大地となり、見渡すかぎり広がっていた。
放射能と毒ガスの瘴気は風に流され、一時の安息が留まっていた。
汚染された大地と空気にも拘らず、青空が皮肉なまでに美しかった。
透き通るような水色の空。天頂に近づくほどに僅かに青色を濃くするグラデーション。なんと皮肉な美しさであろうか。この荒れ地は有毒物質と放射能で汚染され、辛うじて人間が生活することは出来たが、植物は何も育たぬ不毛の地だ。
ピョードル
ビョーッ、と南風が空高く吹きすさぶ。砂が巻き上げられて砂塵を踊らす。
なんて綺麗な空なんだ、とピョードル
見渡す限り何も遮るもののない大地。荒涼とした岩塊と砂だらけの凸凹の荒野。旧シマダグラードがかつてはこの地にあった。この辺りでは一二を争う、かなりの大都市だったが、三度の爆撃により、今は跡形も無い。
一度目は核爆弾。
二度目は細菌爆弾。
三度目はアガシ焼夷弾の絨毯爆撃。
三度目の爆撃は、プログラムが狂った攻撃衛星が発射したミサイルによるもので、言うなれば誤爆だ。いずれも内戦前の大戦中の話だ。大昔の戦災が今もここに横たわっていた。
街のあらゆる物が破壊され、焼きつくされ、灰と砂と瓦礫になった。
今、自然の岩盤や砂に見えるものは、かつては都市の建造物の一部だったものだ。除染されるまでは放射能が強く、何も生きられなかった。今でも所によっては放射線量が高く、長時間いられないところもあり、雑草が僅かに生えるのみで、人工の砂漠蟹くらいしかこの荒野にはいない。
クローム色のロボット蟹。殺人兵器ロボットの生き残りだ。
その死の荒野に覆いかぶさる薄青い空の美しさが皮肉だ。
遠く、南東方向にかすかに黒ずんだ海が見える。その海と陸との間に天船大寺院が小さく見えた。ピョードルが三ヶ月前まで修行していた龍泉教、通称ジーク教の最西部にある大寺院だ。
ジーク教は大昔の仏教の後を継ぐと言われた宗教で、東政府の領地で広く布教されている。仏教のゴータマ・シッダルータの様な教祖はいたが、仏教徒とは違い、龍泉教は龍神を祀る立派な宗教だ。
小さな岬の突端にあるその天船寺院から高くて頑丈な壁が今ピョードルが立っている「蛭巻第三検問所」まで途切れることなく伸びている。塀はさらに北西方向へと続き、内陸の山々まで続いている。この高さ約七メートルの壁が、所謂、「内国境線」と呼ばれているものだ。
ここは東政府と西政府が接する防御線で、南の海から北の湖まで縦断し、西の攻撃から完全に東政府国民を守る重要な拠点だ。
本当の国境はここから三十キロ以上西側にある軍事境界線だが、厳密な国境線はなく、西の軍隊とこちらの軍隊がそれぞれ二個師団から三個師団ほど展開していて、常に睨み合っている。時々、小さな戦闘があり、その度に国境線が書き換えられているので。誰も厳密な国境線を地図に書くことは出来ない。
蛭巻第三検問所は、東西に伸びる虎股街道を塞ぐ形で鎮座し、内国境の壁の外側に住むスブウルビスト達の村と東政府を結ぶこの街道の検閲をしている。この街道を使って内国境を行き来するのは政府関係の車両か陸軍の車両に限られていたが、内国境の内側に入ることを禁じられているスブウルビストや西政府の密入国者を取り締まるのがこの検問所の主な役目だ。
検問所の施設は単なるゲートというのではなく、大型トレーラーが丸ごと一台入る、鉄筋防弾コンクリートと防弾レンガ造りの、両側に鉄扉が付いた建物だ。その建物の屋上に監視用の回廊と、かつては電波塔だった鉄塔が監視塔として無理矢理取り付けられてあり、回廊の城壁のいたるところに狭間と銃眼が開けられている。外見的には小さな城だ。
虎股街道は西に向かって右側の切り立った断崖の裾に沿って三キロほど西の方へ伸び、その先は禿げた小山の裾野をぐるりと回り、その先は小山や谷に隠れて見えなくなっている。東側へ続く道も左側の断崖沿いに五キロほどゆるやかに蛇行した後、絶壁の谷に入り、その先は見えない。
ピョードルはライフルを手に、検問館の屋上に築けられた監視回廊をゆっくり歩いた。
内国境の内側には、壁から三百メートルほど離れた所にサンドイエローに塗装された三○型重戦車が虎股街道から二メートルほど下の荒野の上に鎮座してこちらを向いていた。大型の主力戦車で陸軍から臨時に借りてきたものだ。
検問所のすぐ脇には四基キャタピラ式の大型ハーフトラックが一両と小型の軍用ホバークラフトが三台停まっていた。ホバークラフトのうち一台は将校用の一周り大きい豪華なタイプだ。
大寺院から黄色い小さいものがふわふわと浮き上がってきた。僧たちが上げたデコイ・バルーンだ。攻撃衛星が機能していないか試すために週に二回上げられる、直径二メートルのヘリウムバルーンだ。バルーンには長い紐が括りつけられていて、その先にワザとレーダーに発見されやすいように鉄屑が溶接された金属箱が結び付けられ、紐の根元には数十柵の壊魔札がぶら下げられている。信者たちが願いを書いた壊魔札だ。
しかし、ここ十年くらい、このバルーンが衛星からの攻撃を受けたことは一度もない。攻撃衛星は完全に機能を停止していると東側の技術者は誰もが思っていたが、中には攻撃衛星の爆撃を受けた人達は懐疑的で、僧会は依然としてバルーンを飛ばし続けていた。
バルーンの黄色い色が青空に映える。
突然、ビュウと南風が吹き上げ、砂塵を舞い上げた。
「こら、ビョードル。ぼうっとしてるんじゃない。しっかり警備せんか!」玄白
しまった。と、ピョートルは思った。
今日は玄白中尉が屋上の指揮台に出ているんだった。中尉はいつも検問室に篭って、外になど出ないのだが、今日は僧会本営からトップクン僧正少佐が来られて、僧正自ら、指揮台座に上がられているので、中尉も僧正少佐の傍らに控えていなければならず、ピリピリしているのだ。
「申し訳ありません、玄白僧都中尉!」ピョードルは慌てて、気を付けの姿勢をとった。
「そうがなりたてなさんな。静かにしなさい」横に座っていたトップクン僧正少佐が穏やかな声で助け舟を出してくれた。
「しかし…」玄白中尉の声が途中で途切れた。トップクン僧正少佐の温和な顔に一瞬、厳粛な気配を感じたからだ。
トップクン僧正少佐は何故突然、検問所くんだりまで来られたのだろう。と、ピョードルは訝しんだ。通常、僧兵の将校はこんな所へは来ないものだ。しかも、直属のグレゴリウス僧都軍曹を連れ、陸軍の三〇型重戦車を二輛までも引き連れて来た。なのに、携えてきた命令書は海軍のものだった。
僧兵隊はあくまでも傭兵である。陸軍や海軍の正規部隊ではない。警護や補給、救護、検問などが主な任務だ。重戦車まで使用するというのは異例中の異例だ。
「来ました。武装トレーラーです」監視塔の馬僧都伍長が西の方を指差して指揮台の玄白少佐に報告した。
トップクン僧正少佐と玄白僧都中尉が立ち上がった。トップクン少佐はグレゴリウス軍曹から双眼鏡を受け取った。
ピョードルも携帯双眼鏡を取り出して、胸壁の狭間から西方を眺めた。舗装されていない虎股街道の西から土煙をもうもうと上げ、大型貨物車両がこちらに向かってくるのが見えた。どうやら民間の装甲トレーラーらしい。屋根の上に二・三人の人間が小銃を手に座っている。
トレーラーがパッシングしてこちらに合図した。
「フム、来たようだな」トップクン少佐は覗いていた双眼鏡を下ろし、一階の検問館へ降りる階段へ向かった。玄白中尉も慌ててその後を追った。
ピョードルも検問所の鉄扉を開けるために、駆け足で階下に降りた。巨大な扉に取り付き、内側からしか開けられないロックを外し、扉の外で警備していた木崎律師一等兵とロペス律師一等兵と伴に重たい外扉を開けた。
扉のロックが外れると、ヴィーン、ヴィーンと警報が室内に鳴り響き、紫色の回転灯が格納庫のような検問館の内部を照らした。
扉を開けると、装甲トレーラーはすぐそこまで来ていた。
トレーラーは勢い良く検問室に滑り込むと、急ブレーキを掛けて停止した。
「閉門!」玄白中尉のドラ声が広い検問室に響いた。ピョードル達は再び重たい城門を両腕で押し、きっちりと閉じた。
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