第1話 勇者と呼ばれる何か




座り込んだまま、目線だけを動かして現状を確認する。まず自分自身に、それから周りに視線を向けた。

私の服装は魔法陣が現れた時と何も変わらない。拘束もされていない。しかし、取り落としてしまったスナック菓子の袋はどこにも無い。


目の前には愛想のいい表情を浮かべた、神官のような爺さんがいて私を見下ろしている。そして、その爺さんの後ろには、怪しいローブを着込んだ人物が20人ほど控えていた。


閉鎖的な造りをした簡易的な一室は、本来ならば広い空間である筈なのに、今は人が密集している所為で圧迫感すらある。部屋の隅にはローブの集団とはまた違う、剣のような物を身につけ、鎧まで着込んだ人物が私の周りを包囲するように10人ほどいた。

通りで圧迫感がある筈である。直立不動の武装した人たちが、私を監視するように見ているのだ。恐怖しか感じない。


ふと硬い床に目を向けると、何やら見覚えのある形の線が引かれていた。ここへ来る直前に見た物にそっくりだった。

私は驚いて立ち上がり、慌てて全体像を確認する。あの時の物より何倍も大きいが、円形の中にびっしりと複雑に描かれた文字と六芒星は確実にあの魔法陣である。

急に激しい危機感が襲い、勢いに任せて目の前の爺さんに至極単純な疑問を投げかけた。


「こっ、ここどこ!?」

「イリアーレス聖王国でございます。勇者さまからしてみれば、異世界という場所になりますな」

「……いりあーれす?いせかい?」


爺さんは私の疑問に丁寧に答えてくれたのだろうが、それは理解できない、というよりも理解したくない内容だった。

たどたどしく聞いた言葉を繰り返すが、まるで中身の無い音を発しているよう。爺さんのやけにニコニコとした、愛想のいい笑顔をどこか遠くに感じた。

途端に眩暈のような物がして、私はふらりと重心を崩して一歩後ずさった。


まず状況が分からない。

これは夢だろうか?

もし夢だったとして、どこからどこまでが現実で、どこからどこまでが夢なのだろう?

この奇天烈な夢は一体何なんだ。


「勇者さま、このような場所で立ち話をするのも何ですので、部屋を移しましょう。そちらで詳しくご説明をさせていただきますので―――」

「そもそも勇者さまって何だよ……」


実際に頭を抱えながらどうにか状況を理解しようとする。とはいえ理解したくない以前の問題として、情報が少な過ぎて理解すらできなかった。


すると何やら指示を飛ばしていた爺さんの元に、部屋の外からローブの男が慌てた様子で訪れる。ローブの男は爺さんにこそこそと耳打ちをすると、爺さんの愛想のいい笑顔が一瞬固まった気がした。

私はどこか不穏な空気を感じたが、すぐに爺さんは元の愛想のいい笑顔を張り付けて私に向き直った。


「勇者さま、申し訳ございません。どうやら重大なトラブルが発生してしまったようで、急遽向かわねばならなくなりました」

「え?」

「ご説明は後日改めていたしますので、本日はこちらでご用意させていただいたお部屋で、ごゆっくりなさってください。勇者さまは異界を渡って来られた身ですので、お疲れでしょう」

「え、いや、それより今すぐ別の方でもいいので説明を……」

「では失礼いたします」

「ちょっ、爺さん!!」


私の話を聞く余裕も無いのか、ただ単に無視されただけなのか、それとも咄嗟に出た『爺さん』呼びが駄目だったのだろうか。爺さんは私を置いてそそくさと部屋を出て行った。


放置されて途方に暮れていると、騎士のような格好をした3人の男が爺さんの代わりに現れた。

その内のひとりである20代後半くらいの、隊長格のような男が「ご案内します」と人の良さそうな笑顔で言った。同じ笑顔でも、爺さんよりこの隊長さんの笑顔の方が柔和に思える。

ただし、部屋に案内されている際は、隊長さんが私の前を歩き、斜め後ろの左右を団員2人に固められていて、まるで連行されている犯罪者のような気分だった。


私って歓迎されてここに来たんだよね?

だって爺さんは『よくぞおいでくださった!』って、それはもう感激したように言っていたのだし。

それに『勇者さま』という呼称は決して悪い意味ではない筈だ。私の知識としての勇者は、救世主のような存在であるのだから。

まあ、そうだったとしてもこの状況を受け入れられはしない。


私の居た広い部屋は地下にあったようで、部屋を出て初めに目にしたのは、永遠と続いていそうな薄暗い不気味な階段だった。

その階段を上った先にあったドアが開かれると、差し込んできた光の眩しさに思わず顔を顰めた。


長い廊下を歩かされて辿り着いたのは、私が小学生の頃に住んでいたアパートよりも断然広い、豪華な一室だった。もしかしてここはお城のような場所なのだろうか。

待遇の良さそうな部屋を見て、取り敢えず独房に入れられる心配は無くなったので安心した。


「ご用件等ありましたら、こちらの2名がお部屋の前に控えておりますので、お気軽にお申し付けください」

「えっ、ああ、分かりました。ありがとうございます」


できれば好印象な隊長さんに色々と聞きたかったのだが、隊長さんはこの威圧的な団員2人を置いていなくなるらしい。

隊長さんは何せ隊長さんなので忙しいのだろう。本当に隊長さんなのかは知らないけれど。

爺さんに続き再び取り残され、私は駄目元で威圧的な団員2人と向き合った。


「あのー、ちょっとお尋ねしたい事があるのですが」

「何でしょうか」

「この国というか、この世界についてなんですけど……」

「後日改めてご説明させていただく予定ですので、私どもからは何もお伝えする事はございません」

「あ、そうですか」


ダメだな。

団員の機械的な受け答えに私は早々に諦めて部屋に引っ込んだ。隊長さんは形式的に言ったのだろうが、『お気軽に』とは程遠い対応である。

部屋の外ではあのケチくさい団員2人が控えているらしい。待遇としては悪くないが、状況としては独房に思えなくもない。

私は実質閉じ込められ、外部からの情報を遮断されたようなものだった。こうなるともう自力で分析するしか無いだろう。


連れて来られた部屋にはテーブルとイスがあり、テーブルの上には簡素な食べ物が置かれている。タンスの中には洋服などの衣類、奥にドアがあったので開けてみると、トイレ付きの浴室だった。天蓋付きのベッドまで完備されており、生活に支障は無い。

準備がいいと言えば聞こえはいいが、完璧に閉じ込めにかかっている。私を部屋から出すつもりの無い部屋だ。贅沢を言わない限り用事などは思いつかない。


窓があったので開けようとするが、何かがつっかえているのか開かない。はめ殺しの窓という訳ではなさそうなのに、おかしい。

辛うじて見えた屋外は、手入れの行き届いた何の変哲も無いただの庭に見えた。実に驚きの無い平坦な眺めである。


不審だ。

この扱いは何だ。


窓を蹴破ってやろうかとも思ったが、窓を開けてどうするのか目的が分からなかったのでやめた。

イスに座ってテーブルの上に用意されていた、パンやフルーツなどを口に運ぶ。普通に美味しいので文句が出てこない。


確かソラが勧めてきた小説の中に、勇者として異世界に召喚される話があった。あっちは扱いは何にせよ、呼ばれて早々に放置される事は無かったがな。

やさぐれ気味に心の中で文句を言っていると、テーブルの上の食べ物が無くなった。

よし、これで部屋の外に用事ができた。そう思って意気揚々とドアを開けようとするのだが、なぜか開かない。


「え?すいません、開かないんですけど!?」

「ご要件はドア越しにお伝えください」

「マジか!!」


何なんだ、こいつら徹底的に私を閉じ込めてくる。しかも大して張り上げてもいない団員の声が、ドア越しでもよく聞こえる程に筒抜けな仕切り。何かあればすぐに駆けつけて来るだろう。

試しに食事のお代わりを頼むと、あまり時間が経たない内にメイドさんが料理を運んで来てくれた。

ドアは開かれたが、すぐ側には門番のように佇む、忌々しい団員2人の姿があった。


「……やべぇ」


何が何だか分からないけど、やべぇ。

食べきれないほど運ばれて来た料理を前に、私はただただ「やべぇ」と呟いた。

私はこれからどうなるのだろう。この扱いは爺さんが言っていた、トラブルとかいう不測の事態の所為なのだろうか。そのトラブルが解消したらどうなるのか。

前向きに捉えられないくらいにやべぇよ。


自分への扱いに驚愕している間に、閉じられた窓から入る光が弱まり、日が暮れたのだと気付いた。

外に控えている団員に「部屋が暗いのですが」と言うと、ドアの側にあるスイッチをドア越しに示された。

電気によるものかは知らないが、見た目の割に端々は近代的な世界である。


他にする事も無いので浴室でシャワーを浴びた。用意されていた服は身につける気が起きなかったので、そのまま同じ服を着てベッドに潜り込む。

当然のように眠れない。刺客でも送り込まれるのではないかと内心ビクビクだ。

天蓋付きのベッドに備えられたカーテンは閉めない。忍者のように音を立てずに近づいて、いつの間にか敵に包囲されていたらどうするのだ。

冗談抜きで、命の危機すら感じている。


そんな時だった。

部屋の外が騒がしくなる。私は俊敏な動きでベッドから降りて、すぐに動ける姿勢でドアの向こう側に聞き耳を立てた。


「……ああ、大丈夫だ。もうひとりは後で来る。明日も任せるだろうから、ゆっくり休んでくれ」


見張りの交代のようだ。話を聞く限り、今見張りをしているのは1人だけ。逃げ出すのなら今がチャンスではないだろうか。

しかし逃げたところでどうするのか、それが問題である。

まず広いであろう城内の構造を知らないので、外に出る前に捕まる危険性がある。運良く逃げられたとして、異世界であるらしいここからどうやって家に帰るのだ。

不穏な空気に後押しされて、逃げなければという危機感だけがある。

詰んでるわ。


やっぱり窓を蹴破ろうかと思ったが、一撃で貫通できなければすぐに気づかれて終わるだろうか、と思い至り実行には移せない。そもそも破れない可能性もあるのだ。

となると、眠れないと言って何かホットミルクなどをお願いして、ドアが開いた隙に逃げるのが無難か。鍛えていそうな男相手でも、1人くらいなら振り切れるかも知れない。

どちらにしろガバガバな作戦だな、と我ながら思う。


取り敢えずこの場にある物で一番武器になりそうな木製のイスの調子を確認していると、静かな部屋でやけに響く音が鳴る。


―――トントン


私は素早く顔を上げて、音のしたドアの方向に大きく見開いた目を向けた。心臓が体全体に響くように強く拍動している。

混乱しながらもイスを元の位置に戻して周囲に目を向け、隠れられそうなベッドの下へと静かに滑り込む。

暫くするともう一度、ドアを軽くノックする音が鳴った。目的も知れない相手に迂闊な行動は取れず、私はベッドの下でただじっとしていた。


「寝てんのか?」


ドアの向こうから聞こえた声は若い男性の物だ。多分見張りを交代した人の声だろう。不信感が積もりに積もっていた私には、やはり刺客か何かとしか思えない。

少しの間を置いて、次にした音は息を呑む物だった。


―――ガチャ


あのドアが開いた。開いたのだ。

暗い部屋の中へごつい男物の革靴が歩いて来る。ベッドの下からでは男の顔や体格などは見えない。それでも女の私が敵う相手でない事は分かった。

ドアに向かって一直線に走り抜ければいけるだろうか。もう少し引きつけて、男がドアの位置から離れたところを狙えば或いは。


「あれ、いない」


私は一か八かの勝負に出た。

男がベッドの上に気を取られている隙に、ベッドの下から飛び出しドアに向かって全力で走る。ところが男は私の予想の斜め上を行ったのだ。


確かに隙をついた筈なのに、男の反応速度は初めから私の居場所を知っていたのかと疑う程に早かった。男の発した「あ」という、今気づいたような間抜けな声がわざとらしい。

私がクラウチングスタートの姿勢で立ち上がり、足を一歩前に出した時には、男は私のすぐ側まで距離を詰めていた。

やばい、しくじったかも。


「……っ!」


案の定、逃げ切れずに男に腕を掴まれ、私は咄嗟に相手の腕を捻り上げると、素早くはたき落とした。

そこまでは良かったのだが、男から距離を取ろうと後退した際、またしても男の動きについて行けずに、軸にしていた足を払われてバランスを崩す。

背中から床に倒れ込もうとした瞬間、一瞬何が起こったのか分からなかった。腕を再び掴まれたかと思うと、視界がぐるんと回転して床が眼前に迫っていた。


うつ伏せに転倒した痛みはあまり無い。しかし、いつの間にか両腕は後ろ手に拘束され、起き上がれないように体重をかけて組み伏せられていた。

ギリッと悔しさから歯を食いしばる。何なんだこいつは。顔を拝んでやろうとするが、私の首はそんなに回らない。


「騒ぐな。誰かに気づかれたら……」


焦りを含んだ声を潜ませて、男は頭上から私に話しかける。ところが、その言葉は途中で途切れてビクリと男の体が震えたような気がした。

不思議に思い、私はうつ伏せのままの体勢で男に集中していた意識を周囲に分散させる。そして、光の差し込むドアの方向で人影が伸びている事に気づく。

光に浮かんだ黒い人影を辿り顔を上げる。するとそこには、冷ややかな目をしたシスターさんが佇んでいた。


「……何をしてるんですか?」

「ちがっ、違うんだサヤカ!これには深~い理由があってだな―――ぐふッ!」


シスターさんが男を蹴り上げた。まるでサッカーボールを蹴るかのように勢い良く、靴を履いた足で。

男はシスターさんに吹っ飛ばされ、予想外の形で私の拘束は解かれた。私は体を起き上がらせたものの、呆然として何も言えず動けない。

今、どういう状況?


私を組み伏せていた男は苦痛に耐えるように鼻の辺りを押さえている。暗くてよくは見えないが、うっすらと涙も浮かんでいた。

ふと、その顔に見覚えがあるような気がして記憶を辿る。ずっと前の記憶ではない。ごく最近。そう、ここへ来てから。


「て、あれ?あの時の隊長さんじゃん」

「……どうも。いや、隊長ではないんだけど」

「すいません、隊長っぽかったので」


そうだよ私をここへ案内した隊長さんだ。その人がなぜ勝手に部屋へ侵入し私を組み伏せるに至ったのかは知らないが、あのマジの隊長さんである。

先程と言葉遣いが違うので少し印象は変わったが、間違いない。


気が抜けてしまったのは、あの人の良さそうな笑顔を思い出したからだった。単純で根拠の無い理由だが、今のシスターさんとのやり取りを見て余計に悪い人ではなさそうだと思った。

だって隊長さん、完全にシスターさんの尻に敷かれている雰囲気がある。さっきのように信じられないくらいの反射神経をしている隊長さんなら、今の一撃は簡単に避けられた筈だ。それを甘んじて受け入れているという事は、つまりそういう事だろう。


部屋のドアが閉められ、パッと部屋が明るくなった。

眩しい光に目を細めながら、それらの行動を起こしたシスターさんの方を見る。明るくなった事でシスターさんの顔がよく見えた。歳は私とそう変わらないのではないだろうか。

シスターさんは私を見据えて口を開く。


「まず自己紹介からさせていただきます。私は安住沙也香あずみさやか。2人目の勇者として召喚されました。そしてこの悪漢ですが……」

「いや悪漢って……はい、悪漢です。えーと、1人目の勇者として召喚された清水尋木しみずひろき。よろしく」


私はぽかんと口をだらしなく開きながら2人の自己紹介を聞いていた。私と同じ場所から来た人がいる事にも驚いたが、勇者が他に2人もいるとは思わなかった。

というかこの2人、私のイメージする勇者っぽくない。どう見ても騎士とシスターだし、この世界に大分溶け込んでいる。


「貴方の名前は?」

「あ、高尾明良たかおあきらです。で、私は3人目の勇者って事になるの……かな?」

「はい、そうなりますね。今からその件についてお話しをさせていただこうかと思います」

「ぐえっ」


そう言ってサヤカちゃんは未だに鼻を押さえているヒロキさんの襟首を鷲掴み、ヒロキさんを引きずりながら部屋に設置されていたテーブルの方へと向かう。


「長くなりますので座って話しましょう、アキラさん」

「そう、ですね」


華奢なシスターさんが、体格の良い成人男性を片手でぞんざいに扱う様はなかなかに迫力があり、同年代の女の子相手に私はつい畏まって返事をしていた。


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