十六.骨肉相食む(壱)
「謀反兵の小さな暴動が、まさかこんな事態を招くとは。興ざめですよ。なぜ、リーミンを逃しているのです。チャオヤン」
客亭の回廊を、冷たい笑みを浮かべて崩さない麟ノ国第二王子セイウが、近衛兵を率いて早足で通り過ぎていく。
セイウが通る度に、深々と従僕や侍女が平伏していくが、それには目もくれない。先を急ぐ足は懐剣のいた部屋へと向く。
セイウの後を歩くチャオヤンは、慇懃丁寧に失態を詫び、現状を知らせた。
「リーミンの部屋付近で、見張り兵と従僕が斬られておりました。暴動は我々の目を欺くためのものかと。また兵の目撃情報によると、暴動の主犯は王族近衛兵だったカグム。あれなら、このような真似もやりかねません」
「ああ。愚弟の近衛兵だった男ですね」
ちらりと一瞥するセイウの視線を、チャオヤンは真摯に受け止める。
「はい、私めと同期でもありました。風の噂で天士ホウレイの部下になったと聞いております。いずれにせよ、王族に逆らった愚者です」
「それがリーミンを狙った。ピンインの放った刺客なのか、それとも天士ホウレイの刺客なのか。或いはそれらが手を結んでいたか。ふふっ、どれを取っても腹立たしいことには違いありません」
こんなことならば、今夜にでも紅州を発っておくべきだった。セイウは笑みを張りつけたまま、不機嫌に鼻を鳴らす。
「お怒りはご尤もです。しかしながら、リーミンはセイウさまの懐剣であり、貴方様の下僕。離れられるとは思いませんが」
「ピンインが主従の儀を行えば、話も変わってくることでしょう。今のところ、リーミンは私と主従関係でありながら、愚弟の懐剣に宿っている。力関係は五分といったところ」
けれども、もしも愚弟が主従の儀を行えば、力関係は向こうの優勢となる。そうなる前に、リーミンを連れ戻さねば。
セイウは懐剣の部屋に入ると、中の荒れ具合を確かめる。
割れた窓、そこに放られた衣装の縄を目にし、衣装箪笥を開く。次に鏡台や寝台に目を配り、チャオヤンに無くなった物はないかと尋ねた。
「従僕らによると、櫛や紅といった物が無くなっているそうで。あと花瓶やハチミツも」
相づちを打つセイウは、「これは私の失態でもありますね」と言って、軽く口端を舐める。
「リーミンを一人部屋にするべきではなかった。私の部屋に繋いでおくべきでした。あれは、意外と物を考える懐剣のようです」
部屋の荒れ模様を確認したセイウは、次は必ず己の部屋に繋ぐと、肌身離さず持っておくと宣言し、細く笑った。
「主君である私に、どこまで逃げられますかね。リーミン。貴方は今、私の懐剣。私の下僕。私の隷属。どこにいようと、天が授けた儀式で成立した関係と運命からは逃れられない」
無論、愚弟に主従の儀など成立させるものか。
「リーミン。遠くにいても、私の声は届いているのでしょう――受け入れ、平伏し、服従なさい。人間の心を捨て、まこと懐剣になりなさい」
さあ、この声を聞け。自分の足で主君の下に戻って来るが良い。主君のセイウはいつでも、下僕の帰りを待っている。決して、逃がしはしない。
◆◆
間諜の隠れ家。
塗り色屋物置の地下四隅の腰掛に座り、ユンジェは落ち着きを取り戻すべく、宙を見つめていた。否、宙を睨んで考え込んでいた。
周りの間諜や謀反兵が忙しなく動き回っても、まったく目に入らない。会話すら耳に入らない。他のことを考える余裕すら生まれない。
(よく考えろ。折れるな。冷静になれ。セイウに抗う術がないと決まったわけじゃない)
ユンジェは、とにかく必死に思考を回していた。
主従の儀を無効する手はないか、あらゆる方向から考えていた。
あの儀を無かったことにするには、どうすればいい? あれは三つの儀で成り立つもの。
【懐剣を抜く】
【服従を示す】
【血の杯を煽る】
どれも撤回が利きそうにない。
懐剣はすでに抜いた。服従の示しもセイウ以外の者に見られている。血の杯は胃袋に流し込んで、ずいぶん時間が経つ。吐き出すことは不可能に近い。
だったら、ユンジェが気をしっかり持つしかない。根競べなら負けやしない。
(ばかか。もう負けてるじゃねえかよ)
ハオに指摘されて、初めて【リーミン】と名乗っていた自分がいたのだから、気合でどうこうできる問題じゃない。
泥沼に足を取られたような気分だ。いっそ不貞寝して、すべてを忘れてしまいたい。
ユンジェは眉間の奥から感じる、鋭い痛みに耐えながら、重いため息を零した。何も良い案が浮かばない。
このままだと、ユンジェはリーミンになってしまう。
ふと髪を梳かれる感触がしたので、ゆるりと顔を上げる。
振り返れば、ティエンが櫛でユンジェの髪を梳いていた。
その櫛は逃げる際、部屋から持ってきた物。勝手に拝借する彼は、楽しそうに人の髪を梳いている。
「お前、何しているんだよ」
こっちは必死に考えているというのに。呆れるユンジェを余所に、ティエンは優しい目で髪を弄っていた。
「ユンジェを美しくしてやろうと思ってな。こう見えて、私は髪を結うのが得意なんだ。兄上が美しくできて、私ができないなんて悔しいだろう?」
張り合うところを間違っている。
ユンジェは頭を振り、遊んでいる場合ではないと噛みついた。
一刻も早く、セイウから逃げなければならない。でなければ、ティエンが殺される。自分だってどうなるか分からない。と、言ったところで、ティエンの期待を込めた眼差しとぶつかり、ユンジェは押し黙ってしまう。
しまった。余計な一言を口走った。
(主従の儀のことは、ティエンに言うつもりねえのに)
言ったら、絶対にティエンは自分を責める。
目に見えて分かるから、ユンジェは黙っておこうと思っているのに、彼は見逃してくれない。いつまでも、ユンジェを見つめてくる。
話を逸らすため、ティエンにへらっと笑い掛ける。
「安心しろよ。俺はティエンの懐剣だ。お前を殺させはしないよ」
瞬きをして見つめてくる、その目に言葉を詰まらせてしまった。
ああ、目の動きや眼光の鋭さで、なんとなく相手の感情が分かってしまう。彼は望んでいる言葉ではない、と訴えかけていた。
ユンジェが目で相手の感情を読み取ってしまうように、ティエンも読み取る力がある。しきりに目を泳がせると、彼は目を細めて、静かに問うた。
「ユンジェ。リーミンという名は、セイウ兄上がつけたのだろう?」
『リーミン』の名を聞いたユンジェは悲鳴を上げ、それを口にしないで欲しいと懇願した。その名前は恐ろしいほど、己の中で馴染んでいる。
つけられて、間もない名前だというのに、それと比べた時、『ユンジェ』の方が違和感を覚えるのだ。
ユンジェはその名前を必死に拒み、お願いだから口にしないで欲しいと訴える。
「俺はユンジェなんだ。ユンジェのままでいたいんだ。変わりたくない」
取り乱すユンジェだが、すぐ我に返り、ティエンに大丈夫だと笑顔を作った。
セイウから逃げ切ってしまえば、すべてが元通りだと明るく振る舞う。それまでの辛抱だと言った。言い聞かせた。
ティエンが困ったように笑う。
「まったく。ユンジェは相変わらず、心の吐き出し方が下手くそだな。そこは辛抱じゃないだろう?」
櫛を膝に置き、彼は体ごとユンジェと向かい合った。
両の手でくしゃくしゃに頭を撫で回すと、ティエンはいたずら気に鼻を抓み、額を重ねてくる。
ユンジェはとても、とても恥ずかしくなった。カグム達がそこにいるのに、ここで子ども扱いしなくとも良いではないか。
「ば、ばか。なんだよ、いきなり!」
身を引こうとしても、彼の両手が顔を固定してくる。逃げられない。
「ふふっ。子どもは大人に甘えて良い生き物なんだぞ」
「こっ、子ども扱いしてるんじゃねーぞ! 俺はもう十四だっ、甘えるか!」
知っている。彼は小さく笑い、軽く額をこすり合わせてくる。
「私はリーミンなんぞ知らないが、ユンジェのことならよく知っている。お前がユンジェを忘れそうになったら、私が思い出せてやるから。だから、安心しなさい」
たったそれだけの言葉なのに、ユンジェの張っている気丈が脆くも崩れかける。
なんだよそれ、と言いたくなった。
もしも思い出すことができなかったらどうするのだ。リーミンになって、そのまま元に戻れなくなったら、ユンジェはティエンの懐剣でいられなくなるのに。セイウの懐剣に成り下がってしまうのに。
事はもっと複雑で重たいことなのに、簡単に思い出させる、なんて言わないで欲しい。安心させないで欲しい。甘えさせないで欲しい。
ああ、言わないでいようと思ったのに。伏せておこうと思ったのに。辛抱しようと思ったのに。
「ティエン。俺、リーミンになりたくねえよ」
ユンジェは恐怖心に負け、弱い心を剥き出して、彼に助けを求める。
守らなければいけない相手に、助けてと言って、身を震わせた。懐剣はそれではいけないと分かっていながらも、その心には抗えなかった。
もう、どうして良いのか分からなかった。
「その言葉を、私は待っていたよ」
腰を浮かしたティエンが、ユンジェの頭を抱擁する。
「ユンジェ、お前が私に教えただろう。一緒に生きる意味を。一人で苦しんでくれるな」
共に生きる、とは嬉しいや楽しいだけではない。苦しいや悲しいも含まれている。都合が悪くなったら一人で頑張る、なんて変だ。
ユンジェは確かに、そんなことをティエンに言った。
彼はしかと、それを覚えていたらしい。抱擁する腕を強くし、ユンジェに言い聞かせる。
「つらくなったら、助けを求めておくれ。いいな、ユンジェ。辛抱するな。私の前では、決して辛抱などしてくれるな――話してくれるな?」
普段は面倒ばかり掛けているくせに、いざとなると頼りになるのだから嫌になる。ティエンはまぎれもなく、ユンジェの兄であった。
ユンジェはぽつりぽつりと、セイウとの出来事を語り始める。
麒麟の使いは王族の隷属であることや、セイウに懐剣を向けられなかったこと。改名を強いられたこと。黙っておこうと思った主従の儀とその内容。主従関係になったことを事細かに話す。
まこと懐剣のお役については、まだ半信半疑なところもあるので伏せた。
ティエンを王座に就かせようとしている、謀反兵達に聞かれてもまずい。二人きりの時に話そうと思った。
静聴していたティエンは、ユンジェの予想に反して傷付いた顔はしなかった。
その代わりに、天と地をひっくり返しそうな怒りを全身に纏わせ、腰掛を倒した。
もはや、その怒りに熱はなく、身も骨をも凍らせる冷たさばかりが際立つ。ティエンの怒りは、早々に殺意と化していた。
「これほど怒り狂ったことなどない。いや、いっそ狂ってしまえば、どれほど気が楽になったか。おのれ、セイウ兄上。おのれっ、セイウ!」
ティエンが転がる腰掛を蹴り飛ばした。その乱暴さには謀反兵も間諜も、そしてユンジェも驚いてしまうが、彼の怒りはおさまることを知らない。
「よくも私の弟をっ、下僕畜生にしてくれたな。服従を示させただとっ。血の杯を飲ませただとっ。ふざけるなっ!」
とりわけ、服従に対する怒りが大きいようだ。ティエンは壁を叩き、「よくも」と繰り返している。
おかげでユンジェの方は幾分冷静になれた。恐る恐る、傍にいるカグムに尋ねる。
「服従を示すあれって、そんなに屈辱的なの?」
彼は哀れみの目でユンジェを見つめた。
「ああ。服従を示す行為には、人間から畜生に成り下がる、という意味合いがあるんだ。ユンジェ、お前は本当に……」
慌てて両手を振った。
「そんな顔するなって。俺は平気だったぜ? そりゃみんなの前で、両手の甲は踏まれたし、相手の右足の甲には額を合わせたし、服従の言葉は言わされたけど……屈辱的とは、あんまり思わなかった」
明るく振る舞えば振る舞うほど、とても痛々しい目で見つめられる。仕舞いには「もういい」と、カグムに頭を軽く叩かれた。ハオにすら、「そこはガキらしくなりゃいいんじゃね」と素っ気なく慰められる。
(そんなに屈辱的な行為だったのか。俺は湯殿で他人に真っ裸を見られた挙句、隅々まで丁寧に洗われたことの方が屈辱的だったんだけど)
無知とは罪だな、とつくづく思う。みなが思うほどユンジェは傷付いていないのに。
服従を示すより、セイウに飲まされた血の杯の方が、精神的にくるものがあった。思い出すだけで吐き気がしてくる。
カグムがため息をつき、軽く頭部を掻いた。
「ユンジェの弱点が『王族』にもあったとはな。麒麟の使いが王族の隷属だったなんて」
「セイウが言うには、『王族』も麒麟から使命を授かった者だから、俺と同じような立場なんだってさ。でも、俺は『平民』だから、その地位は『王族』より弱い」
実際、セイウに刃を向けた時、とても畏れた。
「ティエン、ちょっと確かめたい。短剣を構えてくれ」
鞘から懐剣を抜くと、怒りを纏っている大切な家族に刃先を向けた。彼に刃物など向けたこともない。これからもないと思っていた。生涯ないと思っていたからこそ、不思議な気持ちだ。
言われた通り、ティエンが短剣を抜く。
向かい合ったところで、その剣に狙いを定め、懐剣を振る。
甲高い金属音と共に、懐剣と短剣がぶつかった。足を踏み込んで、彼の懐に入ろうとするが、ティエンの目を見て、ユンジェは畏れてしまう。体が石のように固まった。心臓が鷲掴みされたような気分に陥る。
後ろに下がると、かぶりを力なく横に振り、懐剣を鞘に収めた。
「ティエンも立派な『王族』だな。斬りつけるなんて無理だ。こえーもん。あ、怒るなよ。俺は使いの立場から言っているだけだから」
しごく不機嫌になるティエンは、王族の身分を捨てたい男なので、それを肯定されるのは心外らしい。
ただでさえ怒り狂っている最中なので、ユンジェは当たり障りのない言葉で、彼の機嫌を取る。
「俺はどうも麒麟の加護を受けている『王族』に弱いみたいだ。ティエン、セイウが傷付けられないということは、西の白州にいる第一王子リャンテ、王都にいるクンル王なんかも、同じことが言えると思う」
これは非常に厄介だ。どいつもこいつも、ティエンの命を狙う輩なのに、ユンジェはそれらを討つことができない。
せいぜい、ティエンに向けられた刃を受け止め流す程度だろう。麒麟の使いとやらは、なんて不便な立場にいるのだろう。
「正直王族相手じゃ、俺は手も足も出ない。セイウはそれを知って、つけ狙ってくる。あいつは絶対に俺を手放さない。麒麟の使いは王族にとって、すごく意味のあるものだから」
「意味のあるもの? ……おいクソガキ、まだ何か隠してねーか?」
ハオが片眉をつり上げて睨んでくる。
ユンジェは目を逸らし、口を噤んだ。態度で肯定していると分かっていても、まこと懐剣のお役に関しては、安易に言えることではない。
ただ、これだけは言える。
「ティエン。麒麟の使いは親兄弟と争う火種になる。もしもの時は、懐剣を折った方が良いかもしれない。お前の身のためにも」
帯にたばさんでいる懐剣を一瞥し、客観的な意見を出す。
これを折ってしまえば、少なくともユンジェとティエンの関係は断たれることだろう。
彼は無用な火種から逃れられるやもしれない。平穏に暮らせるやもしれない。静かに生涯を送れるやもしれない。
すると。ティエンがユンジェの頬を両手で挟んで、顔を引き寄せた。
「ユンジェ。一度目は聞き逃すが、二度目は怒るからな。私はお前を折らない」
「お、俺じゃなくて、お前の懐剣を言っているんだけど。俺は死ぬつもりなんてないよ。死は怖いもんだしさ」
にっこりと微笑むティエンが、たいへん恐ろしい。畏れではなく、純粋な恐れを抱いてしまう。
「折ったら、ユンジェはセイウ兄上の懐剣になってしまう。それが分かっていながら、なぜ折らなければならない? ん?」
いつから、ティエンはこんなに気の強い男になったのだろう。本当に逞しくなったものだ。
ユンジェは謝罪の代わりに、苦笑いを浮かべ、「もう言わない」と約束した。
彼は「絶対だぞ」と念を押し、今度言ったら本気で怒る、と言って髪をくしゃくしゃにした。こういう何気ないやり取りが、心を軽くしてくれるのだから、ティエンとは不思議な男だ。
カグムが横から口を挟み、ティエンに疑問を投げる。
「主従の儀をもって、初めて所有者と懐剣の関係が成り立つ。ティエンさま、それはご存知なかったのですか?」
「知ったところで、ユンジェにそのような儀を強いるものか。胸糞悪い」
「しかしながら。セイウさまがユンジェとの関係を成立させた以上、貴方様も引くわけにはいかないのでは?」
その言葉には、ティエンも主従の儀をするべきではないか、という意味が含まれている。
盲点だった。
そうか、セイウとの関係を打ち消すには、ティエンと主従関係になれば良い。そうすれば、ユンジェはユンジェのままでいられるやもしれない。
烈火の如く怒ったのは、ティエンであった。
「カグム。貴様は私に、ユンジェを下僕にしろと言うのか」
「それが最善の手に思えますがね。此方としても、ティエンさまとユンジェには、まこと所有者と懐剣の関係になってもらいたいものです」
それが所有者として、所有物を守ることにも繋がるのでは。カグムのしごく真っ当な進言に、ティエンが真っ向から反論した。
「ふざけるな。私はユンジェを一度たりとも、所有物として見たことはない」
「では、如何されるのです? このままでは、セイウさまの所有物となりますよ」
「決まっているだろう。兄上からこの子を遠ざける。どこまでも逃げてくれるわ。それでも、まだなお、ユンジェをつけ狙うようであれば」
ティエンが目を細めて、口角をつり上げた。
「麟ノ国第二王子セイウを討つ。それでユンジェが呪縛から解放されるのであれば、私はあれと戦も辞さない」
大層、カグムが呆れを見せた。
「ばかも休み休みに言えよ。ピンイン。相手は王族兵の層が厚い、麟ノ国第二王子セイウだ。実力揃いの兵ばかりだ。将軍もいる。援軍の層も厚い。兵を持たないお前が勝てるわけがないだろうが」
「真っ向勝負に挑むと誰が言った。呪って闇討ちにしてくれる」
「はあ。これだから、箱庭育ちの王子は。もう少し、現実的な目を持て!」
「貴様に指図される覚えなどないわ、カグム! ユンジェを踏むなど辱める行為、私にできるわけがない。それをするくらいなら、私がユンジェに服従を示してくれる」
「意味分かってんのかよ! お前は麟ノ国第三王子だろうが!」
「王子だのなんだの、貴様は一々口やかましい。本当に腹だしい男だな!」
ティエンとカグムの凄まじい口論が始まったので、ユンジェはひっと息を呑んだ。己のことでこんなにも喧嘩するとは思いもしなかったのである。
隣に立つハオを一瞥すると、彼は額に手を当て、「まだマシだ」と肩を落とした。
「てめえがセイウさまに捕まった時は、あれの三増しの言い合いだったんだからな。俺はいつ、あの二人が剣を抜くかと……ティエンさまはてめえのことになると、本当にお強く出られるよ」
外に出ていた間諜が階段を下りてくる。準備が整ったと知らせたところで、ティエンが荒々しく外衣を掴み、それを纏って頭陀袋を肩から掛けた。
「私はユンジェと主従関係になるつもりはない。そんなやり方で、ユンジェを助けようとも思わない。あれと同じ道など辿るものか。セイウめ、必ずや討ってくれる」
さっさと階段をのぼっていく彼は、ユンジェに着替えを持ってくると伝え、外へ出てしまった。言い合ったカグムと同じ空間にいたくないのだろう。
残されたカグムの方も、憤りをみせ、転がっている腰掛を蹴っ飛ばしてしまう。
「あの分からず屋。腹を掻きたいのは俺の方だ。ったく、可愛げのない性格になりやがって。俺の後ろについて回っていた、あの頃のピンインが恋しいぜ。ティエンとはちっとも気が合わねえ」
珍しく癇癪を起こしている彼は、八つ当たりをするようにライソウを呼びつけ、大股で階段をあがっていく。可哀想に、ライソウは縮こまっていた。
それを見送ったユンジェとハオは、横目で視線を交わす。
「俺。こんな事態なのに、ティエンとカグムの傍にいたくないって、薄情なこと思っちゃったよ」
「奇遇だなクソガキ。俺もだ」
「俺のせいかなぁ」
「あれは水と油の関係だから、どんなことでも喧嘩するぜ、きっと。あーあ、面倒な奴等」
階段を見上げる二人の目が、遠いものとなった。
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