二.尋ね人のユンジェ
「おや。お前さん、『ユンジェ』という子じゃないのかい?」
それは立ち寄った織ノ町で、生活物資を補給していた時のことだ。
織ノ町は紅州一の絹織物の町で、きらびやかな布や、それに関する多種類の糸をたくさん売っている。小さな町ではあるが活気があり、朝も早くから賑わう声で満たされていた。
いつものように『世間話』をしながら香辛料を買っていたユンジェは、突然、身元を確認してくる女店主に驚いてしまう。
己の名前は隣に立つティエンが呼んでいたため、耳に入ったのだろうが、聞いたところで流されるだけのはず。
なのに、女店主はユンジェの名前を耳にするや、確認を取ってきた。
ユンジェはティエンと目を合わせ、ほぼ条件反射のように「なんで」と、聞いてしまう。
「やっぱり。お前さんが尋ね人の『ユンジェ』なんだね。ああ、良かった。お兄さんが探していたよ」
目をひん剥いてしまう。ユンジェに兄なんてものはいない。如いて挙げるのであれば、ティエンが兄に当たる人物だ。
けれど女店主はユンジェの姿を見て、目元を指で押さえた。
はやくお兄さんに会ってあげるんだよ、と言って竹簡を差し出してくる。生憎、ユンジェは簡単な字しか読めない。
そこで、ティエンに紐解いてもらい、中身を読んでもらう。
連なる竹簡には商人達のお願い事が書かれていた。
『尋ネ人回覧願イ。紅州ノ土地、生キ別レ弟アリ。出身笙ノ町。名ユンジェ。報酬有』
要は生き別れた弟を探しているため、この伝書を知り合いの商人に回して欲しいとのこと。
ユンジェは顔を引き攣らせた。
(俺が商人と世間話で『行き先』をうやむやにしている行為を、逆手に取ってきやがったなっ)
こんなことをするのは、天士ホウレイの兵しかいない。
おおかた、ユンジェの行動を読み、子どもを『尋ね人』として商人達の間で広めたのだろう。
商人の連絡網は広い。
取扱う商品によっては、町単位となる。そこに竹簡をばらまけば、運ぶ品と共に、それは広がっていく。必ずどこかで知らせを受けると、相手は踏んだのだ。
兵達とて馬鹿ではない。いつまでも翻弄されては時間を食うだけだと、こんな手を打ってきたのだろう。
(くそっ、やられた。俺の名前を使うってのが、またやらしいぜ)
ティエンの名前を敢えて使用しなかったのは、ユンジェが率先して商人と話すと分かっていたからだ。
彼は他者に消極的な姿勢を見せ、殆ど商人と話さない。『尋ね人』の竹簡を商人に回しても、得られる知らせは少ないだろう。
ユンジェを『尋ね人』にする方が反応も良いはずだ。
ああ、こんな小賢しい手を考えたのは十中八九、彼に違いない。
「お前さん。先方、笙ノ町で起きた大火事件の生き残りだそうじゃないか。ここを訪れた、カグムという男が話してくれたよ。謀反兵達の暴動から逃げる途中はぐれてしまって。大切な弟だって、切羽詰まっていたねぇ」
予想通りだ。ユンジェは頭を抱えたくなった。
(せめて、ハオの名前を使えって。カグムが俺の兄なんて名乗ったら)
竹簡の軋む音が聞こえた。
恐る恐るとティエンを一瞥し、ひっと声を上げそうになる。
彼は無表情であった。しかしながら、その目に怒りと憎しみを宿し、宙を睨んでいる。美しさと憎悪がまみえると、美人の顔は化生となるようだ。
「友、居場所、命の次は家族を奪うつもりか。カグムめ。どこまでも舐めてくれる」
その顔で綺麗に笑うものだから、総身の毛が逆立ってしまう。血の気が引いてしまうほど、彼は恐ろしい顔をしていた。
(カグムの奴。ティエンの弱点をわざと刺激して、弄んでいるだろ。誰があいつの機嫌を取ると思っているんだよ)
あからさまに動揺を見せるユンジェに、女店主は熱を入れて、はやく兄に会うべきだと訴えた。
曰く、竹簡には弟を見掛け次第、連絡を寄越すよう、場所が記されている。
そこは町を守る傭兵が集っているところ。事前に話を通しているため、行けばきっと保護してもらえると女店主は言った。
「いま、息子に頼んで傭兵を呼んでもらうから。さあさ、奥の部屋に案内するよ」
強引に腕を引かれ、店の奥に通された。
「あ、あの。おばちゃん」
「一刻も早く、お兄さんを安心させておやり」
ティエンに視線を投げると、彼は小さく頷いた。
息子と呼ばれた若い男の後に続き、颯爽と店の外に出る。
その間にもユンジェは親切にしてくれる女店主に案内され、二階の部屋へ招かれる。そこは寝室のようであった。女主人か、息子の部屋なのだろう。
少しだけ待っていてね、と言って部屋を出て行く女店主が、しっかりと外鍵を掛ける。それを確認すると、ユンジェは急いで窓を開け、地上を見下ろした。
ティエンが周囲を警戒しながら、窓の下で待っている。
右の手を挙げて合図を送る彼に頷くと、ユンジェは頭陀袋から布縄を取り出し、素早く柱に括りつけて窓へと放った。
「ユンジェ。こっちだ」
縄を伝って地上に下り立ったユンジェは、ティエンと駆け足で家々の路地へ入る。
日陰の路を突き進み、ひと気のない古井戸の前で息を整えた。ここなら少しの間、身を隠せるだろう。
「はあっ、はあっ……ったく、あの女店主。俺が尋ね人だと分かった途端、目の色を変えて閉じ込めやがって。何がお兄さんにはやく会うべきだ、だよ」
二人は見抜いていた。
女店主が報酬目的で、ユンジェに親切心を向けていたことを。
竹簡には報酬有と記されていた。
金を絡ませることで、少しでも早くユンジェ達の足取りを得ようとしているのだろう。いやらしいものだ。
「あいつら。俺を尋ね人にして動きを封じてきたな」
よほど、ユンジェと商人の『世間話』に手を焼いているのだろう。この町を出たら、名前を出さないようにしなければ。出られたら、の話ではあるが。
「傭兵の利用、という点もやられたな」
ティエンが苦い顔を作った。ユンジェは井戸の前に座り、手招きをする。
「カグム達は謀反兵だってばれているんだろう? なのに兵士の利用なんて、あいつらも危ないんじゃないか? あれって王族が関わっているお役だろう?」
隣に腰を下ろし、彼が立てた膝に頬杖をつく。
「傭兵は雇われ兵。簡単に言うと、その土地で人を集めた兵なんだ。だから王族や国とは直接関わっていない。謀反兵の噂なんて知らないだろう。ユンジェ、地図を見てくれ」
頭陀袋から地図を取り出したティエンは、紅州全体を指でなぞった。
そこはユンジェ達がいる地だ。二人は今、この州を適当に歩き、追って来るホウレイの兵達から逃れようとしている。
彼は織ノ町を指さし、その前に通った石切ノ町と、周辺の村や町を人差し指で叩いた。
「カグム達はユンジェの策に嵌り、手詰まりとなったはずだ。自分達も追われ兵。時間を要したくないはず」
そこで石切ノ町を拠点として、近くの村や町に手当たり次第、竹簡を放つ。
ユンジェとティエンは徒歩だ。どんなに急ごうが馬でも持たない限り、短時間で遠い土地にはいけない。野宿を続ければ、当然生活物資も足りなくなる。
それに目を付けた兵達は予想を立て、あらかじめ寄るであろう町や村の候補を挙げた。
石切ノ町を拠点にすることで、自分達がどこに立ち寄ろうと、馬で駆けつけられるよう計算されているとティエン。
「おおよそ、半日あれば馬で駆けつけられる。あいつらのことだ。傭兵にもあらかじめ、金を渡しているに違いない」
今頃、傭兵は石切ノ町に向けて早馬を走らせているだろう。彼は顎に指を当て、小さく唸った。
「この分だと、夕方にはカグム達が来る。それまでに町を出ないといけないが……いま、慌てて町を出てもあっという間に捕まるだけだ。夜を待つしかないな」
問題は無事に夜を過ごせるかどうか、である。
連絡を受けた傭兵は当然、ユンジェを探し回る。傭兵達に見つからないように夜を待つのは至難の業だ。
また、町に間諜が町人にまぎれているとも限らない。さて、どうしたものか。
ティエンの言葉に、ユンジェは頓狂な声を上げた。
「間諜って敵兵にまぎれて仕事をするもんじゃねーの?」
「間諜というのは、敵の様子を探り、味方に知らせるお役を持っている。敵兵になりすますだけじゃない。農民や商人、時に囚人となって様子を探ることもあるんだよ」
ユンジェは自分の知識の乏しさに、肩を落としてしまう。
自分はてっきり敵兵にまぎれるお役を間諜だとばかり。カグム達を基準に見ていたせいか、勘違いしていたようだ。ちゃんとティエンに聞いておけば良かった。
そしたら、この事態を回避できたかもしれないのに。商人を利用する策は、じつは危険な行為だったのだ。
「ティエン。ごめん。俺の策、失敗だったかも」
「ふふっ、ユンジェらしくないぞ。こういう時こそ、よく考えなければいけないんじゃないか? ユンジェは逆境に強い子だと、私は知っているぞ」
「だってさ」
自己嫌悪に陥るユンジェは、考え込んでしまう。
もっとよく考えれば、良い策があったのではないだろうか。考えれば考えるほど、嫌悪の沼に嵌ってしまう。
それだけしか考えられなくなるユンジェに、ティエンは目尻を和らげた。
「お前の策は立派だったよ。ただ、向こうの方が一枚、
彼は額を軽く小突き、柔らかな手でユンジェの頭を撫でた。
「ほら顔を上げろ、ユンジェ。これ以上、謝ったら怒るぞ。私にいつも言うじゃないか。簡単に謝ってくれるな、と」
謝る時間すら勿体無い。この事態を乗り切るために、よく考えよう。
ティエンの言葉に、ようやくユンジェは元気を取り戻す。
そうだ、落ち込んでも仕方がない。知識が乏しい自分を嫌悪するより、これを乗り切るための策を考えなければ。
「しかし。カグム達がここまでするとは……本気を出してきたな」
「本気? 今まで本気じゃなかったのか?」
「元々私達は不利な状況下にいる。人数も力も財も輩達の方が上だ」
謀反兵達は思っていたはずだ。
馬を使えば、すぐにでも足取りが掴める。保護できる。
相手は非力な王子と子ども、しかも徒歩だ。逃げられたところで、なんら問題はない。極力無駄な労力は避け、捕まえ次第、天士ホウレイの下に向かう、と。
「なのに。ユンジェが知恵を働かせ、足取りをもみ消した。私達相手に本気を出した、ということは、カグム達はとても焦っているんだろう。なんだか気分が良いな」
いたずら気に笑うティエンに、苦笑いを浮かべてしまう。本気を出されては困る。
さすがのユンジェも、大勢の大人を相手取ることは厳しい。
本気を出すということは、よく相手の動きを考え、慎重に動くということでもある。十四のユンジェはまだ大人ではない。
ゆえに子どもだからと油断を誘えるのだが、この手はもう通用しないだろう。
「ユンジェ。町の出入り口を確認してみよう。傭兵達の動きを知りたい。そろそろ移動なければいけないようだしな。よし、あえて表通りを歩いてみよう」
「そうだな。裏でこそこそ隠れていた方が、傭兵達も怪しむだろうから」
聞こえてくる足音に二人は顔を見合わせると、素早く立ち上がって、大通りへ向かった。
傭兵達はユンジェのことを知れど、顔を知らない。そのため、人込みにまぎれて表通りを歩くと、気づかれずに素通りされることが多かった。
けれど、気は抜けない。町人にまぎれ、間諜がいるとも限らないのだから。
町の出入り口は二か所。
そこへ足を運ぶと、各々見張りの傭兵が立っていた。仲間から連絡を受けたのだろう。町の外に出る人間の顔を凝視している。
織ノ町は外壁に囲まれている町だ。
出入り口以外からの脱出は、壁をのぼらない限り、不可能だ。縄を使う手もあるが、のぼり切るのにどれほど時間を要するか分からない。試すなら夜だろう。
「どれくらいの傭兵が、俺を探しているんだろう」
数が把握できれば、考える手も広がるのだが。
「あくまで傭兵は、町を守るために雇われた兵だ。ユンジェに回す兵は少ないだろう。相手は子ども。四、五人程度だと思う」
勿論、それは傭兵に限った話だ。
見えない間諜の存在が、なによりも脅威である。町人にまぎれているのか、ただの杞憂なのか、それすら分からない。考えれば考えるほど、神経がすり減りそうだ。
顔を隠して過ごすティエンは、いつもこんな気持ちを味わっているのだろうか。
「せめて、私達にも馬がいればな。お前を乗せて走ることができるんだが」
「ティエン、馬に乗れるの?」
「ああ。どっかの誰かさんが懇切丁寧に教えてくれたおかげでな。腹立たしい思い出だ」
ティエンの低い声に、ユンジェは冷汗を流す。カグムに教わったのか。
(傭兵だけでもなんとかできたらなぁ……)
いくら知恵を振り絞ったところで、数に勝るものはない。こうなったら。
ユンジェはティエンに布紐を出すように告げた。自分も数本の布紐と、小袋、香辛料と塩を取り出すと、家屋の陰で作業を行う。
それが終わると、ユンジェはティエンに道具を渡し、出入り口に立つ見張りの傭兵に見つからないよう身をかがめた。
彼と目を合わせると、ひとり家屋の陰から移動した。
目指すは向かいの家屋の陰。
(ふう。どうにか、移動できた)
無事に成功したユンジェは、頭陀袋から再び小袋を取り出して、中に入っている火打ちをひっくり返す。
それらを頭陀袋に収めると、両手で砂をかき集めた。袋に入るだけ、砂を詰め込む。
「これでよし」
開け口を紐で結び、腰に下げておく。準備は整った。あとは。
「見つけた。こら、坊主。なんで逃げたりしたんだ」
夢中になって砂を集めていたせいか、背後に忍び寄る傭兵に気づけなかった。
ユンジェは頓狂な声を上げ、大慌てでその場から逃げる。しかし腕を掴まれ、それは叶わなくなった。
相手は大人の男で兵士。雇われだろうがなんだろうが、ユンジェより力がある。
「世話を焼かすなって。早馬を出した。夕方にはお前の兄さんが到着するだろうよ」
「お、俺には兄さんなんていないよ。
足を踏ん張って抵抗を見せるが、体格の良い傭兵はびくともしない。問答無用で連れて行かれるので、ユンジェは必死に腕を振った。
その際、向かい側の家の陰に潜むティエンの鋭い目と合ったので、軽く首を横に振っておく。
ユンジェは駐在所に連れられた。そこには数人の屈強な傭兵がおり、到底体当たりをして逃げる、なんてことはできない。
更に先程の一件で学んだのか、ユンジェは窓のない部屋で待機を強いられた。物置として使用されている部屋のようだ。箱荷が目立つ。
何か使えるものはないか、と物色したかったが、生憎見張りを置かれたので、下手な行動は取れない。
(はあ。これは、お手上げだね)
どうしようもないので、部屋の隅で膝を抱える。
今のユンジェにできることは、耳をすませることと、ティエンの無事を祈るばかりだった。
ふと、扉の向こうが賑やかになる。
夕方になったのだろう。声の多さが、時間が経ったことを教えてくれる。体勢を変えず、座っていたので尻が痛い。
膝小僧に顔を埋めていたユンジェは、そっと顔を上げて扉を睨む。
間もなくそこが開かれ、見覚えのある顔ぶれが二つ現れた。取りあえず、負け惜しみ代わりに舌でも出しおく。
返ってきたのは、カグムの含み笑いであった。
「こんなにも探していたのに、ずいぶんな挨拶だなユンジェ。兄さんは、とても心配していたんだぞ」
「それはごめんなさい、カグム兄さん。俺は会いたくなかったよ。びっくりしたね。俺はいつの間に、あんたの弟になっていたんだか」
傍らにいたハオが傭兵の一人に銭の入った袋を手渡し、ひそひそ声で話している。
美しい男が傍にいなかったか、と聞こえたので、ティエンの姿を探しているのだろう。
そう、彼らの本命はピンイン王子であって、ユンジェではないのだ。
とはいえ、彼等にとって、自分は大きな収穫に違いない。
カグムに腕を掴まれ、無理やり立たされる。
二、三回、腕を振ってみたが、それが解かれることはなかった。寧ろ、力が増すと学んだので抵抗をやめ、おとなしく連行されることにする。
おおよそ、傭兵達も気付いているのだろう。
世話になった礼を告げるカグムとハオ、そしてユンジェの関係が『兄弟』ではなく、訳ありの関係であることを。
ユンジェが追われている身なのも察しているようだが、傭兵達は見て見ぬ振りをしていた。
金を貰った今、傭兵達には関係のない話なのだ。そういう振る舞いをされても仕方がないだろう。
駐在所を出ると、カグムに腕を引かれるがまま織ノ町を歩く。
どこかに逃げられないだろうか。隙を窺いながら、周囲を見回していると、痛い拳骨が落ちてきた。悲鳴を上げるユンジェに、ハオが余所見をするなと怒鳴ってきた。
「なんだよ。殴ることねーじゃん」
横目で睨むが、相手の睨みの方が鋭かった。
「お前のせいで余計な時間を食っているんだよ。よくもまあ、小癪な真似をしてくれたな」
それがお互い様である。ユンジェはカグムに視線を投げた。
「ねえ、カグム兄さん。俺をどうするつもりなの? 言っておくけど、ティエンの居所を吐かせようとしたって無駄だからね。あんた達のせいで、俺はティエンとはぐれたんだ」
わざわざカグムを兄と呼び、嫌味を投げつける。
今すぐにでも探しに行きたいと舌打ちを鳴らすと、カグムが能天気に笑声を漏らした。
「お前さんがいれば、すぐにピンインさまも保護できるだろうさ。なにせ、あの方にとってユンジェは唯一の繋がり。お前を放っておくわけがない。だからユンジェを尋ね人にしたんだよ。お前を放っておく方が厄介だしな」
なるほど。ティエンを尋ね人にしなかった、もう一つの理由が分かった。
彼らはティエンを一人残すことで、捕獲しやすい状況を作り上げたのだ。ユンジェを泳がせておけば、また妙な手を出してくると思っているのだろう。
なんて、したたかな男だ。
(ティエン一人じゃ何もできない。そう思っているんだろうな)
だったら、一刻も早く彼と合流しなければ。ユンジェは空いた手を帯に忍ばせる。
「こらこら。ユンジェ」
足を止めたカグムが、その手を掴みあげた。そのまま捻られ、顔を歪めてしまう。痛い。
「懐剣は抜かせない。それこそ、最大の厄介事だからな」
「かっ、ぐむ」
この男、腕を折るつもりだろうか。捻られた箇所がぎしぎしと軋む。
「お前が懐剣を抜けばどうなるか、俺もハオも、この目でしかと見ている。あんまりお痛するようなら、この場で腕を折る。覚えておいてくれ」
力が緩められると、ユンジェのこわばっていた体が脱力する。カグムの言葉は本気なのだろう。微笑みながら脅すとは、なんとも恐ろしい男だ。
なのに、「悪いな」と、申し訳なく謝ってくるものだからタチが悪い。脅すなら、それを貫けばいいものを。
「ハオ、懐剣はお前が持っておいてくれ。ユンジェに持たせておくのは危険だ」
肩を竦めたハオが、ユンジェの帯から懐剣を引き抜いた。
ユンジェは顔色を変える。まずい、あれはティエンから授かった大切なもの。他人に持たせるわけにはいかないのに。
と、ハオが間の抜けた声を出して、懐剣を地面に落とした。
うっかり落としたのかと思いきや、彼は両の腕を震わせながら、それを拾い上げようと必死になっている。どうにか、持ち上げても、やはり腕は震えていた。何をしているのだろう。
「洒落になってねーぞ。これっ……カグム、こんなの持ち歩けねーよ」
「どういう意味だ?」
「持ってみれば分かる」
半ば呆れ気味のカグムに唸り、ハオがそれを放り投げる。
片手で受け止めたカグムの手が、瞬く間に懐剣を弾いた。彼は熱いと眉を顰め、地面に転がるそれを見つめている。
一体この男達は何をしているのだろう。ユンジェは双方を見やり、首を傾げた。
「あのさ。それ、大切なものだから、あんまり落とさないでほしいんだけど」
ユンジェの注意など聞こえていないのだろう。カグムとハオは難しい顔で、懐剣を観察している。
その内、カグムが再び懐剣に手を伸ばし、それに触れられるかどうかの確認を始める。彼は熱くて無理だと肩を竦めた。
対照的に、ハオはそれに触れられるものの、ずいぶんと重たそうに懐剣を持っていた。
二人の目がユンジェに向いたので、解放された左手を差し出す。
「軽いし、熱くもないけど」
懐剣を上下に持ち上げ、加護が宿った
「なんで、このクソガキはなんともねーんだよ。麒麟の使いだからか?」
「加護のせいかもな。ピンインさまは、今まで麒麟の加護を受けていなかった。だが、この懐剣には加護が宿っている。そのせいだろう」
「加護、ねぇ。凡人の俺には分かんねーけど……加護を受けるようになったってことは、今まで認められてなかったピンインさまが、真の王族になったってことなんだろう?」
「違うよ」
ユンジェには王族の真偽など分からないが、ハオの言葉は否定することができる。
認められていなかったんじゃない、彼には加護が必要なかったのだ。そして皆、気付いていなかっただけなのだ。ティエンの傍にはいつも麒麟がいる、ということを。
ああ、見せてやりたいものだ。彼の傍にいる麒麟を。気高い存在を。それに呼応するティエンのまことの姿を。
タオシュンに弓を放った時の彼は、言葉にならないほど神々しかった。
「ティエンは王族なんて小さな存在じゃない。あいつは
目を瞠る二人に、「なんてね」と言葉を付け足しておく。冗談めいた態度を咎める者はいなかった。
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