第2章


◆ 第2章



『自殺幇助推進組合』。

 生きていることが嫌になって、だけどこのご時世、誰も死なせてはくれない。

 そんなわけで日々を投げやりに過ごしていた私は、ある日なんとなくネットをあさっていたら、この組合の名前を見つけた。

 あまり広く知られている組織ではないが、少し調べればヒットするようだ。私はこの組合について、一通りの情報を集めた。


 そして、自殺希望者のための施設があることを知った。


 都心から、特急電車に乗って約2時間。そこからローカル線を延々と乗り継ぎ、聞いたこともないような名前の駅で降りて、さらにバスで小一時間。殺風景な田舎街のはずれに、その建物はあった。


 外観は、灰色をした巨大な箱、という印象だった。しかしその中は、地味な外見とは裏腹にやけに明るく、病院や役所で使われているような対話型ロボットや室内用ドローンがいたるところで稼働している。

 今どき珍しいことではないけど、この施設もすべて機械で管理されているらしい。


  *


「だから、こんな世の中クソなんだって。君もそう思うだろ?」

 隣の男の話を、私は適当に聞き流す。


 私が『自殺幇助推進組合』の施設に来て、二日目になった。

 正直なところ、1週間と言わず、三日くらいで死ねる方法を選べばよかった、と思った。


 施設内は、男ばかりが目立つ。自殺願望のある人は女性にも少なくないと思うけど、こんな辺鄙な場所まで来ようと思う人は少ないのかもしれない。

 それとも、やっぱり心のどこかでは生きたいと思っているものなのだろうか。

 私以外の人たちについて詳しいことは聞かされていないけど、ざっと見た限り、私と同じくらいの若い人から、還暦を過ぎてそうなおじいさんまでいる。


 それなりの数の人間がいるので、当然グループやコミュニティのようなものもできているけど、私は彼らの輪の中には入れなかった。

 死にたい者同士なら意気投合できるかもしれない、なんていうことを期待していたわけではないけど、こんなところでも、私は周囲から孤立しなければならないらしい。

 そして、私が女だからなのか、それとも独りぼっちだからなのか、みんな私のことを物珍しそうに見てくる。

 たまに話しかけてくる人もいるのだけど、その言葉の裏に下衆な下心や嘲笑が透けて見えるような気がするのは、私の自意識が過剰なせいだろうか。

 ロビーや廊下といった共用スペースにいるのは肩身が狭くなる。かといって部屋に戻っても、話の合わない男しかいない。

 私の隣のベッドにいる、『A120』という〝名札〟をつけたこの男は、その最たるものだった。


 私は昨日、『A127』という名前を与えられ、3階建ての施設の2階にある、A号室という8人用のベッドルームの一角を割り当てられた。

 A号室の人の〝名札〟には、すべて『A』というアルファベットが書かれている。このアルファベットが部屋名のアルファベットに対応しているらしい。

 室内の雰囲気としては、病院にある広い病室に近いだろう。

 だけどここには、病院特有の薬みたいな匂いや、入院患者が纏っていそうな悲観的な空気はない。どこか弛緩した空気が漂っている。

 すでに人生を諦めて死ぬことが確定している人が集まっているからだろうか。

 同室には私のほかに、男が5人いる。ベッドはすべてカーテンで仕切られていて、一応プライバシーには配慮しているつもりのようだ。

 まあ私が男だらけの部屋に入れられている時点で、プライバシーも何もあったものじゃないと思うけど。


「俺はもう30過ぎてるけどさ、君はまだ18歳なんだろ? 若いのになんでまた自殺なんて」

 ほっといてくれ、と思う。初対面のとき、年齢だけでも話してしまったことを後悔した。

 この『A120』は心を許してくれたとでも思っているのか、以来何かと私に突っかかってくる。

「まったく俺の立場にもなってくれって感じだよ。働き詰めの毎日。残業、休日出勤も当たり前。いわゆる社畜ってやつだよ。それに加えて使えない部下、話のわからない上司。板挟みになってさ、それでいて責任とか面倒事は全部俺に降りかかってくる。こんな歳じゃ、今更会社を辞めたところでまともな再就職先なんてありゃしない。そんな状況、君も死にたくなるじゃん?」

 よほど不幸自慢がしたいのか、あるいは空気が読めない幸せ者なのか。私の反応を気にする様子もなく話し続ける。

 無駄に大きい声が鬱陶しさを増幅させる。

「電車に身を投げ出そうにも、ホームはどこもフェンスがある。しかたなく飛び降りとか首吊りとか服薬とか試してみたけど、何をしようにも救助されて、生かされちまう。よかったですね、じゃねぇんだよって。こっちは死にてぇんだよって。そんなときに『自殺幇助推進組合』なんてものを見つけたんだ。天の恵みだと思ったね」


 廊下ですれ違う人たちを見て、私は思った。表面上は彼らに共通項なんてなさそうに見えるけど、誰もが何かしら心に闇を抱えている。

 顔を見ればなんとなくわかる。この施設に来るような人は、やはり何かしら人格に問題があるのだ。

 自分に関心のない目。他人を信じていない目。外の世界に溶け込めなかった者たちの顔だ。

『A120』も、その他大勢の例に漏れず、正常な人のそれではない顔をしている。


 だけど私も、他人から見ればきっと同じような顔をしているのだ、とも思う。そのことがまた、たまらなく嫌になる。


「駅のホームで投身自殺、なんて考えられなくなったこのご時世で、『電車に撥ねられて死ぬ』っていうのがどんな感じになるのか、楽しみだと思わない? 明後日だ。あと二日で、俺はようやく死ねるんだ。あぁ早く死ねねぇかなー!」

 あなたの事情なんて、別にどうでもいい。


  *


 とはいえ、こんな世の中クソだ、という『A120』の言葉には、その点に関してだけは、私も同意する。こんな場所だからこそ改めて感じる。

 ──結局、私という人間はこの世界に適応しきれなかった。

 まあいいや。あと五日の辛抱だ。これまで生きてきた年数を思えば、たいした長さじゃない。

 死ねるまで、あと五日だ。


 この施設は一見すると刑務所にも見えなくないけど、刑務所でやるような共同作業みたいなものがあるわけではない。

 食事も、食堂で一斉にとるとかではなく、ベッドの手元に設置してあるタブレット端末で注文すると、人型ロボットが部屋まで運んでくるというシステムだ。お金を要求されることもない。

 夜の消灯時刻こそあるものの、それ以外はかなり自由がきく環境なのだ。


 虫籠から出ることはできないけれど、虫籠の中では自由に羽を伸ばせる蝶みたいだ、とふと思った。

 もっとも、ほかの蝶たちが幅を利かせすぎていて、私は縮こまっているしかないのだけど。

 ──『イモムシ』、という言葉が脳裏をよぎった。


  *


 夜、私は食事をとるため、自分のベッドに戻った。

 手元に設置してあるタブレット端末で、適当に『C定食』というメニューを注文する。メニュー表の写真によると、和食のようだ。

 ちなみに、二日間試してみた限りでは、ここの食事の味自体はそれほど悪くはないと思う。

『A127』という名前で登録された私。『C定食』という名前がつけられた食事。

 この施設のものにはことごとく名前がないな、なんていうことをぼんやり考えていると、「お待たせしました」と声が聞こえてくる。自動運転ロボットが食事を運んできていた。

 8人部屋の片隅。ベッドを仕切るカーテンを閉め、私は一人でご飯を食べる。こんなことにはもう慣れている。


 食事を終えると、またタブレットを操作してロボットを呼んで、食器を片づけてもらう。

 ちょうどそのとき、部屋の照明が落とされた。消灯時刻になったようだ。


 A号室のいちばん窓際のベッド。今日は曇っているのだろうか。カーテンを閉めた部屋にはわずかな星の明かりも届かず、あたりは真っ暗になった。

 私は毛布を全身にかぶり、ベッドの上で体を丸める。

 こうしているとまるで本当のイモムシみたいだな、なんて思いながら、この日は眠りについた。


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