第5話トレーニングマシーン

 私立の学校には、トレーニングマシーンが置いてある事が少なくない。稜賀高校にも、雨の日の体育や運動部の為に、トレーニングマシーンがいくつかあった。それは昇降口へ出る手前の広場に設置されており、誰でも使うことができた。

チューバ担当の大橋は、大きな楽器を持ち上げて吹くには、上半身を鍛えなければならないと思い、ある日の昼休みにトレーニングマシーンを使いに行った。雨ではないので割と空いていた。腕を鍛えるマシーンを使っていると、和馬と佐々木と山崎が通りかかった。

「あれ?大橋じゃん。何、鍛えてんの?」

「そりゃ、お前。楽器を扱うにも筋力がないとさ。」

大橋は少し呼吸を乱しながら答えた。

「なあ、俺たちもやろうぜ!腹筋や背筋は鍛えた方が絶対いいって!」

佐々木はすっかり乗り気である。

「確かに、高い音出すのにはかなりの腹筋力が必要だもんな。」

山崎も答える。和馬は、筋トレが好きではなかったが、確かに腹筋背筋は必要だと思った。キーパーとして多少腕や背筋は鍛えさせられていたものの、高校受験ですっかりなまってしまったのも確かだ。

「よし、俺たちもやろう。他の吹部のメンバーも誘って、明日から昼休みに鍛えようぜ。」

と和馬が言った。佐々木も山崎も賛成して、嬉々として教室へ走っていった。

 さて、次の日からの昼休み、吹奏楽部の1年生が全員でトレーニングマシーンを使い出した。8人で行くと、占領しているとも取れる。雨の日は多少混むので、遠慮して行かないこともあったが、雨の日以外は毎日通った。するとある日、野球部のスポーツ刈り軍団が現れた。

「おい、お前らどこの部だ?」

一番小さい牧瀬に話しかけてきた。威圧的に。

「吹奏楽部だけど。」

牧瀬はおずおずと答えた。

「なに?吹部だと?文化部はどけや。」

と、その野球部員は吹奏楽部の皆の方をじろっと見回しながら言った。

すると、佐々木が、

「何だと?」

と言ってその野球部員の胸倉を掴まんばかりに、つまり掴んではいないのだが、詰め寄った。

「冗談じゃねえ。このマシーンは運動部の物ってわけじゃないだろ!」

佐々木はわめいた。

「運動部の為にあるんだ。空いてるときに使ってもいいが、運動部員が来た時にはどいて譲るもんだ。」

野球部員がニヤニヤしながら言ったものだから、佐々木は本当に相手の胸倉を掴んで、右手のこぶしを握り締めた。和馬はとっさに佐々木の体を後ろから羽交い絞めにした。

「やめろ、佐々木!」

他の野球部員たちも取り囲み、一触即発状態になった。和馬は焦った。

(なんだよこれ!運動部と喧嘩になっちゃうのかよ、まずいだろ。)

と、心の中で叫んだ。そして吹奏楽部の皆の顔をかわるがわる見た。皆、お互いに目配せし合っている。

「よし、サッカーで勝負しようぜ。」

突然、城之内がそう言った。

「何?俺たちが野球部員だと分かってて、言ってるのか?」

「もちろん。俺たちは文化部なんだし、野球で勝負したって勝てるわけないっしょ。だからお宅さんらも得意じゃない、サッカーで勝負ってことで。」

城之内はそう言いながら、佐々木の手から相手の胸倉をはがした。野球部員たちは丸くなってコソコソっと話し合った。彼らだって、サッカーは授業や遊びでやったことはあるのだし、行ける、という結論に達したようだった。

「分かった。その挑戦受けて立つ。もし俺らが勝ったら、お前らは二度とマシーンを使うなよ。」

「いいぜ。もしこっちが勝ったら、お前らはマシーンを使うなよ。」

「ふん。」

野球部員は余裕の笑みを浮かべた。佐々木はいまだ怒りが収まらずに、こぶしを強く握りしめていた。

 翌日の昼休み、とりあえず学校の体育着に着替えた吹奏楽部の1年生8人と、野球部の練習着を着た野球部の2年生8人が校庭に出た。やはり校内には噂が広まり、各階の廊下の窓から大勢の生徒が顔を出していた。

 和馬は、ゴールエリアにスタンバイした。するとフォワードの朴が和馬に大声で言った。

「おーい、お前キーグロはどうしたんだよ。」

キーグロとは、キーパーグローブの事である。

「ボロくなって捨てた!」

と、和馬は大声で返した。

「大丈夫かよー。相手のキーパーは野球のグローブはめてるぞー。」

朴が返した。相手は、ちゃんと左利き用の、つまり右手にはめるグローブまで用意して、両手に野球のグローブをはめていた。

「そうだぞ、突き指するぞ!」

と、佐々木も言った。

「キーグロなんて、無くても大丈夫だよ。突き指なんて、キーパーなら日常茶飯事だよ。」

と和馬が言うと、2階の教員室から、

「渡辺君、これを使いなさーい。」

と言って、沢口先生がキーパーグローブを投げてよこした。和馬はそれを受け取った。

「突き指したら、トランペット吹けませんよー!」

沢口先生はそう言った。

「そっか、そうだったな。」

和馬は誰にも聞こえない声で言って、ふっと笑った。確かに、今はゴールキーパーではなく、トランぺッターだった。突き指は大いに困るのだった。沢口先生は前もってこの試合の噂を聞き、念のためにグローブを用意しておいたのだろう。よく見ると、稜賀高校と書いてある。どうやらうちのサッカー部から借りてきたようだ。和馬はグローブをはめ、

「よーし!気合い入れていくぞー!」

と言って両手を広げた。

 試合が始まった。普段このメンバーで練習したことはないが、皆ボールは佐々木に集め、佐々木が朴と城之内へパスを出し、そしてそのフォワードの二人が次々に点を決めた。野球部の方も善戦したが、なかなか点が入らない。高い位置で山崎や牧瀬がカットしてしまうし、たまにボーンと大きいボールが来ても、大橋がしっかり対応した。和馬の出番はないかと思われたが、そんなこともない。コーナーキックもあったし、ゴールエリアに転がってきたボールはいち早く手でキャッチした。唯一強力なミドルシュートが襲ってきたが、ダイビングキャッチで防いだ。もちろん、角谷もいた。それなりにディフェンスとして活躍した。

 あらかじめ決めていた20分が経ち、5-0で吹奏楽部が勝った。けっこう必死に走ったので、みな息が上がっていた。野球部の部長と、佐々木が真ん中へ出てきた。

「なんだ、文化部だと思って舐めてたらとんでもねえ。お前ら強いな。」

「そっちこそ、さすが運動部じゃん。こっちも必死だったよ。」

「そんじゃ、約束は約束だ。トレーニングマシーンはお前らが使え。」

「あー、俺らも、毎日全員で使うのは辞めるよ。そっちも当然使っていいし。」

佐々木は最後はごにょごにょと言った。城之内がそばへやってきて、佐々木の肩に手を回した。

「そうだな、俺たちはもっと隅っこで鍛えますよ。文化部らしく。」

そう言ってにっと笑った。そして、

「ほらほら、ここは握手でしょう。」

と言って、佐々木と野球部の部長に握手を促した。二人はおずおずと手を出し、握手をした。すると、校舎中から拍手が沸き起こった。サッカーをしていた面々は、そこで初めて大勢の生徒が窓から見ていることに気づいた。教員室の窓からもたくさんの頭が出ていた。そして、生徒も先生も皆、拍手をしていた。ヒューヒューという声も上がった。佐々木は照れて頭をかいた。

 そこへ、巨体の2年生が制服姿でスタスタと近づいてきた。彼は180センチ100キロの体格だった。柔道部員かな、と思われても仕方がないが、

「あ、遠野先輩。」

城之内がそう言った。そう、吹奏楽部の部長である。

「この度は、うちの部の1年が迷惑をかけて申し訳ない。」

と言って、遠野先輩は野球部の部長に頭を下げた。

「あ、いや。こっちも悪かったし、いいよ。」

遠野先輩は、今度は吹奏楽部の1年の方に向かって立った。

「先輩、すみませんでした。」

佐々木がそう言った。遠野先輩はふうっと一息つくと、

「これからは、トラブルがあったら俺を頼れよな。」

と言った。

「はい!」

1年の面々は元気よく返事をした。

(考えてみたら、喧嘩も強そうだな、この先輩。)

と思ったのは和馬だけだったかどうか。

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