第三話

覇道の一里塚 上篇

―禍津日原クレーター―

第三話「」上篇

・原作:八幡景綱

・編集:十三宮顕



 あの天変地異以来、世の中は想像以上にざわつき、傷付いている。現れたのは、共和国を奉じる「敷島人」。奴らは、日本人を「蛮族」だの、「未開人」だのと呼んでさげすんでいる。


「冗談じゃないよ、全く」


 泰邦やすくに清継きよつぐは同胞と同じ言葉を話しながら、一方で日本人を「バルバロイ」と呼んであざけって来た「敷島人」に憤っていた。


 クレーターへ出張する前にも「日本人」と「敷島人」の争いを鎮めて来たばかりだったが、移動中にも話は次々と飛んで来る。


「全く、どうにかしてくれよ」


 誰一人として聞いていない。誰もどうにもしてくれはしない。クレーターにある総督府の応接室に通された清継は無人の空間にさっきからぶつぶつと言葉を吐き出している。


 独り言が増えたのは、歳だからだろうか?最近、そう思うようになって来た。死んだ父の年齢に日を追う毎に近くなって行く。何の事はない、当然の話なのだが、それではその事実を、


「はい、そうですか」


 で流せるほど達観しているわけではない。会津に軍を持ち、少なからず世に影響を与えて来たと自認する清継であれば尚更だ。戦いで死ぬ事もありうる立場にあって、ある意味で一番恐れていたのは病による野望の頓挫である。老いれば、そのリスクは高くなって来る。正直言ってまだまだ健康体であるし、充分若い方ではあるが、それでも…と考えてしまうのは、やはり清継も人の子、詰まらない事に悩み苦しむ、人間という生き物の範疇にある存在なのだ。


 志を常に以て生きて来た父清明きよあきの跡を継ぎ、会津の民に念願の覇権を見せんとして懸命にやって来た。報われない事も多かった。時には利を得る為に政敵を欺きで抹殺する事も行って来た。己の野望を果たす為、ではあったが、だからと言って民衆の顔を忘れた事は一度もない。そして、愛する妻子の顔を忘れはしなかった。不届きなる輩によって失われたもう一人の娘の事も、一度だって。


 生きて来た道程は今思えば一瞬だ。戦って、殺して、戦って、そして殺されて、また殺した。それの繰り返しで生きて来た。数十年の戦いの果てに偉大な父は老いて死んだ。自分もそうなる運命なのだろうか?このまま志を果たさずに…?


「失礼致します」


 ノックに続いて掛けられた声に、清継はハッとなった。物思いとは恐ろしい。周りを見えなくしてしまうのだ。


「…ど、どうぞ」


 軽く咳払いをして、調子を整える。


 声を掛けるとドアが開き、清継も立ち上がった。清継はてっきり、鷹司たかつかさ智子ともこ卿か普段は職員に扮する総督の秘書官が出迎えてくれる者と思っていたが、


「貴方は…?」


 ドアを開けて入って来たのは、見知らぬ男だった。そして、その後ろには、これまた見知らぬ女に…見知った男。


「落合殿、この方々は?」


 見知った男、禍津日原基地司令官の落合航へ質問を向けた清継に対し、落合は些か困ったような顔をした。


「えぇっとですね…その‥何と言うか‥」


 チラっと顔を傍らの男に向ける。それに気付いた清継もまた男へ顔を向けた。


「・・・・・」


 男は無言のまま一瞥している。そして、漸く口を開いた。


「挨拶が遅れ失礼致しました、閣下」


 踵を揃え、直立不動の格好となり、そのまま最敬礼をしたその男に、清継は一瞬見入ってしまった。そして、男は敬礼をして言った。


「自分は、敷島共和国幕府総本営所属騎兵士大将さむらいだいしょう、上野衛二郎正斉と申します。現在は、殿の御厚意により、禍津日原基地の警固を任じられております」


 清継は瞬時に警戒した。敷島人の将兵が所属する「幕府」を名乗る軍勢とは既に会津で交戦経験がある。相馬氏と名乗る軍勢からの攻撃で、会津の村々は決して少なくない損害を受けていたのである。だが…。


「…殿、とは。誰から聞き及んだのだ?」


「堯彦殿下より、直々に」


 殿下が自ら引見したと言うこの男。では、果たして信用に値するのか?清継はそう考えていた。


「…で、貴女も、御挨拶を」


 落合は色々気にしながら言葉を続けている。その様子を詰まらなそうに見ていた女は、上野の傍らへ進み出て、上野よりは幾分柔らかく構えて、敬礼をした。


「私は、幕府総本営所属騎兵差図役並、中野なかの彰子しょうこと申します。上野の配下として、『鹿取隊』番校として任務に当たっております」


 若い、そして姿形から声に至るまで極めて美しい。しかしながら、この近寄ってはいけない「危険さ」は一体何なのか?落合は彼女に出会って以来そう思った。上野の秘書だと言うが、下衆の勘繰りながら、きっとそういう問題の関係ではない。総督と会見した折にも彼女は立会っていたが、会見場にて「総督の物言いが気に食わぬ」とした上野の配下 磯部源次郎義堯、荒川悪左兵衛義虎が十三宮勇の制止を跳ね除けて総督に斬り掛からんとした時、彼らを一言で鎮め、その場から下げさせていた。ただの秘書がそんな力を持てるわけがない。勇にはやや軽蔑されたが、きっと「男と女」である筈だ。落合は妙に自信を持っていた。


「…宜しく」


 清継はなおも警戒を崩さない。上野の傍らの中野彰子こと「鹿取の麗人」彰は清継の反応を内心面白がっていた。わざわざ通名という偽名を用いて名乗ったが、どうせ信じてはくれんだろう。本人はそう思っていた。


「まあ、立ち話も何ですから」


 落合が気を遣い、腰を落ち着けるように促された清継は一番に応接の客席へ腰を据えた。次に落合が清継の正面に座り、上野がその隣に腰を下ろした。そして彰は部屋の隅の、所謂秘書や通訳が座る臨時の席に腰を下ろした。


「突然で申し訳ありませんでしたね、泰邦殿。総督からも是非紹介する様に、とのお達しでして」


「…いいや、そういう事なら一向に構わない。むしろこちらとしても好都合だ」


「好都合?と申しますと…」


「ああ、敷島人を知るにはな」


 彰は少し残念がった。その狙いなら、自分達は最も適さないと思えたからだ。敷島人の中でも浮いているという上野とその部隊については、むしろこの世の誰よりも、地獄の閻魔のが良く知っているだろう。まして上野は、人として色々


「存じておると思うが、私は泰邦清継と申す。宜しく頼む」


「お会い出来て光栄に存じます、閣下」


 無表情。先程からずっとそうだが、傍らの女が微笑み続けているのに対して、この上野という男は只々無表情である。感情などないかのように、杓子定規な言葉で返すのみ、だ。会津で見知った敷島人将兵はもうちょっと賑やかではあった。極めて物騒で、鼻持ちならなかったのだが。


「上野殿、と申したな」


「はい、閣下」


「貴殿は確か先程、警固についている、と申しておったが、貴殿自らの兵は如何程か?中野殿の申しておった…えぇっと」


「鹿取隊、で御座います、閣下」


「ああ、そうだったね。失礼」


 間髪容れずに彰が口を差し込んだ。上野の表情は、なおも変わらない。


「鹿取隊とは如何程の数を?」


「幕府総本営より預かっております兵数は凡そ1万5千騎です。只、3千程京に置いて参りましたので、今は1万2千程と」


 平気で嘘をついた。彰は頷きながら思った。凡その数で答えたのは兎も角、一千騎を敢えて抜かしている。恐らく除外したのは傭兵隊長ヴェルンへア ヨハネス フォン グラーフェンベルクと浪人『祇園半次郎』を率いた尼子善久、山中鹿之助の部隊だろう。今は宇都宮へ向かわせている筈。電力事情で運用が制限されているACSを飛ばしている筈だ。


「その若さで、1万を超す兵を率いておるのか…」


 清継は純粋に驚いた。見れば未だ二十代後半かせいぜい三十代に差し掛かる、まだまだ青年と言っても良い若き将校。それが、既に万余の大軍を率いているとは、敷島人には人が居ないか、或いは余程の才覚か。会津での「敷島人」の戦い振りを見るに、恐らく後者であろうが。


「泰邦殿、上野殿の才覚については私が保証します」


 落合がやや乗り出し気味になって言う。清継もやや声の先へ顔を向けた。


「あの天変地異以来、総督府には不穏分子や野盗の類が幾度と押し寄せてまいりましたが、上野殿がことごとく退けておりました。それに、聞けば、上野殿は敷島人の中では名の知れた将軍だとの事で」


「ほう…」


 改めて清継は上野を見る。上野は未だに無表情だ。ただ、部屋の隅に座る中野彰子の目付きが些か不穏だった。


「そういえば、上野殿」


「はい、閣下」


「御貴殿は、あの天変地異の折には何を為さっておられた?」


 落合の表情が険しく変わった。それを見て彰の表情は寧ろ平常となる。対する上野は、遂に表情を変えずに清継に答えた。


「スラムの浄化作戦です」


「敷島にはスラムがあったのか」


「はい、閣下。東京の中央に、不穏分子の巣窟となっているスラムが御座います」


「それを『浄化』したと…?」


「はい、しかしながら、完了する前に、あの光を得て、気がつけばここに」


「…そうか」


 浄化、と言った。その言葉の意味が分からない清継ではない。しかも、1万以上の兵力を以て行う浄化とは、もはや殲滅戦に相違なく、更に言えば、相手が軍隊やゲリラではないのだとすれば、ただの虐殺である。女の顔が敢えて平常になった理由が少し分かった。生真面目な姿の裏は恐らく、冷酷極まりない本性があるか、或いはよほど無頓着か。


 嘗て、ナチの大物としてアイヒマンという男が居た。冷酷にヘブライ人を収容所で「処理」し続けた極悪人、という垂れ込みで世界中がその存在を追った男だが、捕らえられた彼は、誰もが思った「極悪非道の狂信者」でも「サイコパスのような悪虐な存在」でもなく、只々詰まらない官僚であった。平静には妻を愛し、真面目に働く典型的なゲルマン人。モサドに捕まったその時も、南米の亡命先で慎ましやかに暮らしていただけの、小市民と云って過言ではない人物だった。法廷に引き出された彼もまたその線から―イスラエル側の述べた罪状の「中身」は兎も角―ほぼずれる事なく、言わば、役割ゆえにその所業を為した、というだけの小者だった。


 世の中にはそんな奴らはごまんと居る。上野の兵達の中にもそういう輩が必ず居るだろう。しかし、当の上野が果たしてそうなのか?と云うと、正直言って彼の事をまだ何も知らない清継には判断が付かない所だった。ただ、直感で言えば、違うと思った。では、余程のサディストなのか?それともやはり殺しに無頓着なだけなのか?そうでなければ、よもや・・・・・


「失礼致します」


 ノックの音。清継はまたしても物思いを断ち切られてしまった。


「どうぞ」


 落合が声を掛ける。すると、清継には見慣れた姿がドアを開いた先にあった。


「これは鷹司卿」


「お久し振りですわ、泰邦さま」


 鷹司智子。西宮堯彦の側近中の側近にして、身の回りを世話する女官。常に巫女服を用いているこの変わり種の女人とは浅からぬ縁が出来ていた。


「お元気そうで何より御座います、鷹司卿」


「泰邦さまも、お元気そうで。それにしても、相変わらずの益荒男ますらお振り。惚れ惚れいたしますわ」


 定例会話お世辞。鷹司卿は相手をおだてるのが好きである。褒める方が、貶すより楽なのは確かだが、しかし、「益荒男」とは。英雄としての格には父に至らぬ、どちらかと言えば、冷徹な政治家としての一面がある清継には、ややズレた評価だ。傍らで黙って見ていた落合はそれを笑顔で受け流している清継を見てそう思った。


「総督がお待ちかねですわ、泰邦さま」


「そうですか、そうですか。では、参りましょう」


 清継は既に立ち上がっていたが、鷹司智子は思い出したように、手を叩いた。


「そうそう、それと、上野殿」


「はっ」


 智子は幾分親しそうに上野に話した。上野は無表情のままだが、特に気にする様子もない。


「連絡が来ておりましたわ。『お掛け直し下さい』との事でしたが、何分時勢で御座います故、お待ち頂いております」


「有難う御座います、鷹司様」


「御相手はどなた様でしょう?」


 割り込むように、彰が智子に声を掛ける。智子は少し砕けた様子で、


浪岡なみおか兵部大丞ひょうぶたいじょう…アキノリさま?そう、浪岡顕法さまと申されていましたわよ。敷島の方って名前が古風でまだ戸惑ってしまうわね」


 と答えた。彰は特に驚く様子を見せなかった。


「左様で御座いますか。浪岡様ですか」


「御同輩の方のようですね。御仲間が無事でよう御座いましたわ。ふふふ」


 クスっと笑う智子に会釈をして、上野は改めて清継に向き直り、始めの時のように踵を合わせ、不動の構えになった。


「それでは、これにて失礼致します、閣下」


「こちらこそ、お会い出来て良かったよ。また、会おう」


 清継は手を差し出した。上野はそれを一瞥し、


「…是非、再び御尊顔を拝したく存じます」


 手を差し出して清継の手を握った。



「どうだった?会津男は?」


「どうとも。別段、気にする事はない」


「お気に召さなかった…訳ではないみたいだけど」


「何が言いたい」


 与えられた執務室にて浪岡顕法と話をした上野正斉は、自分の宿営に戻った。宿営は総督府の近郊に工兵を用いて建てた物だが、簡易ながら兵を収容できる宿舎であると共に、襲撃に備えた陣屋であった。今、上野は彰と二人で使っている部屋に居て、壁側に設けた簡易ベッドに仰向けに寝転がっていた。彰はその傍ら、同じくベッドに腰掛け、彼の右太ももに手を置きながら、先程とは変わった、優しい表情で上野を見詰めている。なお、部屋にベッドは一つしかない。


「一廉の男、とは見ていたんじゃないかなって」


「まあな。それなりの人物だとは思う」


 上野は詰まらなそうな表情で抑揚もなく答えた。彰はふふっと笑った。


「やっぱり、那須さまみたいにときめかないかしら?…って痛っ!」


 手を置いていた右脚をやや力を込めて臀部にぶつけられた。


「下らん事を抜かすな」


 心底うんざりした表情で上野は体を左へ転がし、壁側に向いた。ぶつけられた臀部を摩っていた彰は少し悪戯っぽく笑い、自らも寝転がって体を上野の背に密着させた。


 豊かな胸が押し潰され、ベッドのカバーにシワが入る。彰は左腕を枕にしている上野の左脇腹から自分の左腕を上野の胸に行くように押し込んだ。


 少し、体が浮く。彰は愛らしく笑い、続けて上野の右腕と脇腹を抜いて己の右腕を差し込み、男の胸の前で交差してそのまま抱き締めた。上野の首元に自らの顔を寄せた彰は時折、猫が壁や柱にするかの如く、上野の顔を自らの顔で擦り付けるように撫でた。


「なあに、苛立ってるの?」


「別に。下らん事を抜かす阿呆に呆れただけだ」


「阿呆とは失礼じゃないの」


 彰は右膝で力なく上野の右太ももを蹴った。上野は気にしない。


「ところで、浪岡クンは何て?」


「…仮にも上役だぞ」


「彼は貴方を同志と見ているわよ?」


「それでも…だ」


 上野は体を変えようとし、彰は腕を離した。少し体を浮かしている合間に彰は両腕を自分の胸元に寄せ、上野は彰に向き合うようにして、今度は右腕を枕にした。


「…ハンス ルーデルとヴェルンへアが宇都宮から進路を変更した」


 小声で話すため、上野は彰の顔に近付いて話した。すると彰はくすぐったそうにしている。


「何だ?」


「耳に息かかるってば、もう」


「真面目に聞け」


 茶化したように笑う彰に上野は顔をややしかめた。それでもクスクス笑うのをやめない彰を見て、上野は観念したのか、少し顔を離し、声を先程より若干大きくして続けた。


「今は常陸の方へ移動している。空軍と合流するんだ」


「やっぱり、和平協定中でも警戒するか」


「であるな」


「ふーん。鹿之助クン達も?」


「そうだ」


「ACSであんまり動き回るのは賛成しないな。ただでさえ、が足らないのに」


「仕方なかろう、陸で動かせば流石に警戒される」


「だから、小笠原と高遠に頼めばよかったのよ」


「時間が無いんだと」


 彰は軽く溜息をついた。


「そんなものか」


「そんなもんだ」


 沈黙する二人。二人はただ向き合ったままである。


 暫くして、口を開いたのは彰だった。


「ねえ、真美元気かな…」


「荻原が見てくれている。大丈夫だろう」


「そういうんじゃなくて」


 彰は少し語気を強めた。上野は軽く息をついた。


「アイツはお前が考えているよりは強い。いい加減、子供扱いはよしてやれ」


「だって、まだ14の子よ?」


「お前は14の時、既に一端のギャンブラーだったろう」


「そりゃ…」


「案ずるな」


 上野は少し顔を崩した。彰が不安げな顔をするのに対して、やや微笑んだように。


「荻原には300騎を与えて周辺を見当たらせている。四宮が今は巡視役だが、特にあの辺りを回らせておいている」


 彰は目をしばたいた。今度は上野が怪訝な顔をする。


「何だ、おかしなモノでも見た様なツラをして」


「公私混同じゃないの…珍しい‥ってかどうかしたの?熱でもある?」


「…今から、全軍下げてやろうか?」


 待って、待って!と慌てる彰に上野は溜息をついた。


「お前に前みたく取り乱されても困るんでな」


「ちょっと…あれは…」


 口篭り、些か恥ずかしそうにする。


「いずれにせよ、だ」


「・・・・・・・」


「余り心配してやるな。却って向こうが気にするぞ」


「…風の便り?」


「まあ…そういう事だ」


「優しいのね、衛二」


「黙れ。つまらぬ事を」


 上野は視線をずらした。彰は体を寄せて、上野の首筋に顔を寄せて、僅かに唇を付けた。


「そういや、最近…ご無沙汰ね」


「雌犬か、お前は。こんな場所で」


「ひどい。そういう風にしたのは、あなたでしょ?」


 甘い声色で囁く。首筋には生暖かさが感じられた。


「知らんな」


「あら、つれない」


 彰はクスっと笑った。こうなると彼女のペースである。


「そ・れ・と、あなた?」


「…何だ」


「…さっき、ルーデルって言ったでしょ?」


「…言ったか?」


「言ったよ。気をつけて」


「ああ、『祇園半次郎』だったな」


「せっかく名付けたんだからね、私が。ちゃんと覚えて」


「…承知した」



 総督との会見を終えた清継の足取りは軽かった。娘に会えるからである。実際、この出張は親子の再会、という第一目的の副次に他ならない。清継の敬愛する殿下、西宮堯彦は清継との「謁見」において、それを茶化すように述べていた。泰邦清継という存在について知る者は、乱世に名を挙げた先代 清明の後継者、としてよりも、どうにもならない親馬鹿振りを評していた。清継の愛妻家振り、家族想いの強さは、保守的思想傾向にある者には正しく模範的ですらあるが、時に職務について不抜けた様を見せる清継ゆえイマイチ歓迎しきれない点でもある。尤も、本人にとってはどうでも良い事ではある。


 とは言うものの、表立っては、副次の目的がクレーターまで来た主たる理由でなくてはならないのである。清継とて適当に済ませて来たわけではない。鷹司智子に通されて、「謁見」した清継は、敬愛する主上が世に憂いを見せているのに苦しい想いをしさえしたのだ。


 クレーターに迷い込んだ多くの流民を囲い込んで、この天変地異においても自派の党勢拡大に西宮堯彦を始めとした首脳部は執心していた。しかしながら、敷島人という異世界の存在の流入による混乱はここクレーターにおいても変わらず、堯彦に従う廷臣達によれば、堯彦自らが引見して徒党に組み入れた敷島人、上野正斉率いる鹿取隊の武人達が示威的な警備活動を繰り返す事で、日本人・敷島人の両方を震え上がらせて両者の乱暴狼藉を戒めていた。一方で、クレーターの裏を担うAB団が流入して来る不穏分子に始末を付けて、どうにか安定を生んでいる。薄氷を踏む統治が列島各所で行われている。それはここクレーターにおいても、清継の支配する会津でも変わらない。


 清継自身は東北にて相馬氏の攻撃を受けていた事もあり、敷島人への警戒心というのは極限まで高まっている。しかし、上野正斉が西宮堯彦に臣従したように、主の徳目次第では、無為に流血を招かずとも解決する方法はあると言える。そう考えた。勿論、上野にどのような目的があるのかは分からない以上、気を抜けない状態であり続けるのは結局変わらないが。


 「謁見」を終えた後で、念のため上野とその軍勢について警戒を厳にするよう落合に釘を刺しておき、御殿より退去した清継は、いよいよ主目的のために足取り軽くして愛娘の居る禍津日原第四学校へと向かった。


 「雨降る砂漠」と呼ばれる、クレーター。日本列島を覆った悪夢を除くと共に数多の命を消し飛ばした、石の雨。思い返すだけでも気分が落ち込んで来る。しかし、あれを以て、日本人を壮大な「実験」の餌食にした、気の狂った政権が叩き折れ、日本人に選択の「自由」が与えられた。今自らも会津の兵権を握る長として日本の先行きを決める舵を争っているわけである。そして、悪夢を除く悪夢から人が再び立ち上がり、未来を紡ぐ学校が築かれ、そこに泰邦清継の子、今となってはたった一人の娘、清子きよこが通っている。


 「流刑地」と呼ばれるこの地にも学校が出来たというのは、生存者皆無の惨状から、改めて「人間が生活を営む」地に変わりつつあるのかも知れない、と清継自身は漠然と考え始めていた。悪夢から覚めてもう長い年月が経過した。列島は未だに深い昏迷状態にあるが、いずれはこの状態も変わって行く事になるだろう。そうあるべきであり、そうして行く力を自分は持っているのだ。二度と敗れない、二度と…失いはしない。そうであってこそ、強き父として、娘に合わす顔ができる、というものだ。


 そうこう思っている内に清継とお付きの士官広沢ひろさわ富次とみつぐ秋月あきづき禎吾郎さだごろうは禍津日原第四学校の校門までやって来ていた。


 心が踊る。胸に込み上げるものがある。清継は久々の愛娘との再会に高揚していた。傍らの広沢や秋月が如何にも付き合わされて疲れた表情を浮かべているのとは対照的だった。


 今行くぞ、清子。清継は勇んで校門をくぐり、


「止まれ」


 制止された。清継は不意に声を掛けられ、思わず軍閥の長に戻った。


「ここに用あるなら、腰の物ともう置いていけ。用ないなら、拘束する」


 声の主は校門のすぐ近くに立っていた。しかし、清継は気配など微塵も感じていなかった。僅かに首を動かし、背後に控える二人の様子を窺うが、両人とも面喰らった様子で、主人だけが惚けていた、というわけではないようである。となれば、余計に渡せはしない。


「用はある。だが、これは渡せないな。今は非常時だ」


 清継の腰には銃がある。そして、軍服の裏地にも一丁備え付けてある。腰の物はアメリカ製の輸入拳銃M1911、裏地には、愛用のトンプソン コンテンダーである。制止した男は清継の両方の物を見抜いた。只者ではない、と清継は見抜いた。この学校にはこのような警備員は居なかった。そしてまず、警備員としての格好をしていない。まず、信用ならない。


「わかった。力づく取らせてもらう。構わぬな」


 男は構えない。だが、両脚に力が入っているのは見て取れた。相手から「良くない気」を感じた。これは少なくとも、真っ当な人間或いはゴロツキ上がりの輩で感じられる代物ではない。間違いなく、人間として者。長年、この手の人間に狙われて来た清継には良く分かった。


 最早、清継は答えない。背後の二人も主人の様子から、そして相手の姿から察し、同様に覚悟を決めたのか腰の物に手を伸ばす。


 静寂が四人を包む。誰かが動けば事が始まる。誰が動くか。機先を制した方が勝つ。人数の上では清継達が有利だがこの程度の数的有利は、相手次第では幾らでも覆される。その相手が、この男かも知れない。


 清継は先に動く事に決めた。手早く、早期に一撃を与えて決着を付ける。愛用のコンテンダーではなく、まずはM1911を用いる。裏地の切り札はそう簡単には使えない。彼は後を考えねばならない存在である。本気は出すが、全力は出せない。


 対する男はなおも構えず、じっとこちらを見ている。只々清継の目を見ている。頃合だな、そう清継が思ったのに対して、相手も悟ったのか目が更に開きつつある。なら更に早く!清継が動かんとした時だった。聞き覚えのある声が耳に届いた。


「何をしているの?さい智尊ちそん、やめなさい!」


 大牧先生、と男は答えた。しかし、目すら動かさず、声だけの反応に留めている。その目はなおも清継を捉えている。


 早足に近寄る大牧を視界に入れた清継と崔智尊と言われた者の間には、まだ緊張で満たされていたが、清継は、敢えて戦意を引っ込める事にした。娘の先生がそこに五体満足に居るなら、娘は大丈夫な筈だ。そして、その先生の声に反応したのなら、まず当面の敵にはならない筈である。


 大牧は足取り早く、智尊の傍らまで来て彼の左腕を掴み、そしてやや力を込めて引っ張った。


「戻りなさい。智尊、戻って」


 語気が強く感じられる。恐らく、少なからず偶然立ち寄って見たこの状況に、焦っていたのだろう。清継はそう思った。


 智尊は引っ張って下げられてもなお清継を見ていたが、大牧に2、3度引っ張られて漸く踵を返した。礼もなく、只々不審げな視線を残して行った。清継は辟易するような顔で息をついた。大牧は智尊が去って行くのを見届けると、清継に向き直り、深々と頭を下げた。


「突然の御無礼申し訳ありません、閣下」


 大牧という教師は常に律儀だ。娘の入学手続き時に偶然顔を合わせて以来清継は好感を持っていた。


「顔を上げて下さい、先生。これしきの事でそのような事をされては、却ってこちらが申し訳なく思いますよ。…あれは敷島人ですかな」


「はい、そうです。ウチで取り敢えず雇って用いていますが…」


 清継の声に従って頭を上げて答えた大牧であったが、しかし、清継の顔を見た途端に目を逸らし、再び大きく頭を下げた。


 これには清継も驚くしかない。背後の二人も面喰らった様子である。


「どうなされました、大牧先生?……大牧先生?」


 再び下げられた頭。動かない姿。清継は彼女の様子から異常を感じた。清継は背筋に嫌な汗をかき始めているのに気が付いた。この嫌な感覚は、決して、忘れられるものではない、あの日を、思い出させる。清継は頭を下げっ放しの信頼する教員に、答えてもらわねばならない事が出来てしまった。たった今。


「…先生、一つ窺いたい事があります。あの、む、むすっ…娘…娘に、ついて、ですが…」


 声が震える。喉が異様に乾いて来て、それでいながら、身体中からは汗が垂れて来ている。油混じりの汗が服の裏地を濡らし、嫌な湿り気を含んだ生地が清継の背に張り付いて気持ちが悪くなる。それは、平静を保ちながらも心の奥底から胸板を突き上げる、清継の苦痛。二度味わいたくなかった、苦しみ。


「せ、せんせい…先生っ!」


 清継は頭を下げ続ける大牧の肩を掴み、押し上げるようにして彼女の体を起こした。清継は急くようにして無理に大牧を起こしたが、その結果見えたのは、無理に起こされてなお沈痛な顔を浮かべる若い女だった。


「……や、泰邦‥さんは…」


「きよ‥こ‥は‥?」


「行方が…あの日…以来…知れなくて・・・・・、も、申し訳ありません…」


「…あ、あの日…?」


 清継は内心答えを分かっていた。大牧も言葉を濁しただけだ。広沢も秋月も分かっていた。


「…空が…落ちてきた…日です」


「・・・・・・・あ、あぁぁぁぁぁ」


 清継は大牧の方から自然に手を離し、両腕を上げたまま後ろへ下がって行って、そのまま後ろへ尻を突いた。


「閣下!」


「泰邦様っ!?」


 広沢が駆け寄り、大牧も思わず清継へ走り寄った。清継はまるで魂が抜けたかのように尻餅を突いたまま動かない。


 初めて見る清継の表情に大牧は目を疑った。放心、腑抜け、芯を抜かれたような清継に、長年の付き合いである広沢や秋月も言葉を失った。


「やっ、泰邦様っ!?泰邦様っ!!」


 大牧が今度は清継の肩を掴んで身体を揺する。しかし、清継の反応はただ力の向きに合わせて身体を前後に揺らすだけだった。


「し、しっかりして!しっかりして下さい!泰邦様っ!」


 思いっ切り大牧は前に押し出すように揺らした。すると力の入っていない清継の身体はそのまま力の方向へ押し出されて倒れてしまった。


「あっ…」


 大牧は思わず押し倒した腕を胸元まで引っ込めた。そして、押し倒れた主の身体の先にいる従者と目が合い、決して押し飛ばそうという意思がなかった事を両手で、胸元近くで、それらを横に小刻みに振って示した。


「・・・・・k・・・・・」


 倒れた男から何かが漏れ出した。それに反応した大牧も従者二人も清継に寄る。


「閣下!閣下、お気を確かにっ!」


「泰邦様っ!?泰邦様、大丈夫ですかっ!?泰邦様っ!?」


「……き……」


 清継の顔は既に蒼白であった。蒼白で、生気が失せたような、虚ろな目を携えた表情に、会津の長たる面影はない。そこに居るのは、只々絶望に胸を打ち抜かれた、一介の男だった。


「…泰邦様…」


 大牧は最早、名を呼ぶくらいしかできなくなった。清継の色を失った瞳から流れ出る水の粒が頬を落ちて地に染み込んで行く。仰向けに倒れたままの清継から無意識に身体をやや離して、三人は壊れた男をただ見詰めるしかなかった。


「き‥きよ…」


 そして、何もかも失ったように、清継は、娘をさらった、曇りなき空へ


「きっよっ、こォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」


 叫ぶ以外になかった。

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