背中 さんじゅういち

「何か変なことに、お兄ちゃんは巻き込まれたんです。だって、こんな死に方、普通じゃない」


 病院の霊安室で、美和は真っ青な顔で亡霊のような姿で立っていた。大吾死亡の連絡を受けたさゆみと斗真が駆けつけた時には、北条刑事がすでに美和に付き添っていた。


「病院では自殺なのは間違いないから解剖されないって言うんです。でも、絶対、おかしいじゃないですか。百合子さんの家で何かあったんじゃないですか? お兄ちゃんが変になった理由が何かあったんじゃないですか?」


 美和に詰め寄られて、さゆみは大吾を連れ帰った時の様子を詳しく語った。美和は瞬きもしないで聞き入っていた。


「催眠術にかけられたんだ、きっとそうだ。催眠術をかけて、死ぬように命令したんだ」


 美和は刑事の腕にすがる。


「百合子さんがお兄ちゃんを殺したんです。捕まえてください。お願いします」


 刑事は眉根を寄せた厳しい表情を見せた。


「あんたの兄さんの死亡は事件性がないというのが医者の見解だ。警察が出る幕じゃない。もし死因に異論があるなら解剖も出来る。だが、死亡原因が催眠術だったかどうかなんて特定は出来ないぞ。死んだ原因が、そんな理由だとしたら証拠は何も出ないんだからな」


「証拠ならあります。百合子さんの家にいるお兄ちゃんと電話で話したんです。その時の話を録音してます」


 美和はスマホを取り出して音声を再生した。刑事は表情を緩めることなく聞き終わった。しばらく黙って考えに沈んでいたが、さゆみと斗真の方に振り返って尋ねた。


「あんたたちから見て、どうだった? 船木大吾は催眠術で操られていたと思うか」


 斗真はさゆみに目をやったが、さゆみは微動だにしない。斗真は自分の考えを口にした。


「操られている、というよりは、とり憑かれているといった様子に見えました」


「とり憑かれる? 何に?」


「高坂百合子の弟にです。大吾さんは、心の底から高坂百合子を姉だと思っているように見えました」


「でも!」


 美和がスマホをかざしてみせる。


「お兄ちゃんは言ったんです。『ごめん、美和』って。私のこと、わかってたんです。でも、それでも、百合子さんの言うことを聞いたんです。それって、洗脳なんじゃないですか? 人を操るなんて犯罪じゃないんですか?」


 刑事はますます渋い表情になった。


「洗脳された人間が起こした事件というのはある。だが、洗脳したという事実自体が犯罪にあたるわけじゃない。洗脳して犯罪を行わせたというのならば、別だ。だが、その場合でも、立証は難しい。洗脳された本人が、自分の意思でやったと言えば、それで終わりだ」


 美和はまだ何かを言いたそうだったが、言葉は出て来なかった。


「虐待の可能性はあるんじゃない?」


 さゆみがぽつりと言った。


「私たちが大吾さんを見つけた時、かなり衰弱していた。命の危険があるほどに。たった二日でそんなことになるなんて、普通はないでしょう。高坂百合子が何か、たとえば水も食料も与えなかったとか、それ以上の何かをしたとか」


 刑事が無精ひげを撫でながら尋ねる。


「それ以上の何かって?」


「それを、警察で調べることは出来ないの?」


 さゆみに見つめられ、刑事は天井を向いてしばらく考えていた。


「あまり、期待せんでくれよ。俺の管轄じゃないから、強くは言えん。だが、担当部署に提案はしてみる」


 そう言って、誰とも目を合わせないようにして霊安室から出て行った。




 美和の家族は大吾の解剖を希望した。警察関係からは、遺族からの承諾解剖として受け入れられた。北条刑事の働きもあってか、事件性があると判断されたようで調査されることになった。


 大吾が倒れた現場、百合子の邸にも警察が立ち入ったが、これといった発見はなく、事情を聞かれた百合子にも、特段の落ち度はないと判断された。

 事情聴取が終わり、警察署を後にする百合子に、聴取を担当した刑事が尋ねた。


「船木大吾さんを、自分の弟だと言っていたなら、亡くなってしまって寂しいんじゃないですか?」


百合子は微笑を浮かべて答えた。


「船木さんは、残念でしたわ。でも、私にはあまり関係ないですから。私の弟は死んだりしていませんし」


 その刑事は去って行く百合子の背中を腑に落ちない気分で見送った。

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