第57話)ある駐在妻からの問い合わせメール
【担当者さま】駐在員の浮気調査に関するご相談です
《はじめまして、この度は貴サイトに掲載されている探偵調査サービスを拝見いたしまして、ご連絡させて頂きました。タイに赴任中の私の亭主が犯した不貞行為に関するご相談です。現在、私たち家族が直面している諸問題について詳細をご理解いただくため、大変恐縮ではございますが事の経緯を順を追ってご説明させて頂きます。長文のメールで誠に申し訳ございませんが、ご一読のうえお力添え頂けましたら幸いです……。
私の主人はバンコクにある某日系企業の駐在員として現在タイに赴任中で、もうじき3年が経過しようとしています。赴任期間はおそらく3年になるだろうという話でしたので、当初は主人の現地での生活が落ち着いたら、私たち家族も後を追ってタイへ赴き、数年海外生活するのもいい経験になるのではないかと話していました。私たち夫婦には子供が二人いまして、主人がタイに赴任した当時は、上の娘が小学6年生で、下の息子が小学3年生でした。特に長女のことを考えると、赴任の翌年から中学に上がることになり、その数年先には高校受験と続く大事な時期ですので、帯同すべきかどうか悩みどころでしたが、バンコクには家族向けの物件も充実しているようですし、子供たちを通わせる日本人学校やインターナショナルスクール、それに日系の学習塾など教育環境も整っているとの話でしたので、私たち家族も主人と一緒について行く予定でした。
とりあえず、赴任1年目はしばらく様子を見てみようという話になり、私たち家族は子供の学校が長期休暇となる夏休み時期に初めてタイを訪れました。私としては主婦目線でいろいろ現地を視察したいという思いもあったので、この時は一ヶ月近く滞在しました。滞在中は主人の住まいがあるバンコクを見て回るだけでなく、タイ各地の観光地に国内旅行に出かけたりもしました。子供たちにとっては初めての海外旅行だったのですが、二人ともすぐに現地の雰囲気に慣れた様子で、耳にするタイ語を面白がって真似してみたり、くせのあるタイ料理も好き嫌いせず何でも食べてみたりと、私たちの心配をよそにすっかりタイが気に入ったようでした。それに帰国後もタイの話ばかりで、仲の良い友達たちと離れるのは嫌だと難色を示していた息子もタイ移住を心から楽しみにしているようでした。子供たちにとっては旅行気分の延長みたいな感覚だったのでしょう。
そして、初めてのタイ訪問は私にとっても(いい意味で)想像を覆される驚きの方が大きいものでした。特にバンコクの街中に実際足を踏み入れてみて分かったことですが、思っていた以上に街は発展しているし、日本食のレストラン等も沢山あるように感じました。また、心配していた主人も、さほど海外ということに不便を感じている様子はなく、単身赴任生活を何不自由なく気ままに過ごしている感じでした。私はタイに対して良い印象を持ち、子供たちの勢いに後押しされるように、本格的に主人の元に行く機会をうかがっていました。そして、赴任から1年後の春、長女が中学へと上がる時期が丁度いいタイミングなのではないかと考えていました。
しかし、主人の言い分は全く逆で、自分は独りでも何とか大丈夫そうだから、やはり子供たちの教育を最優先に考えるなら、私たち家族は日本に留まる方がいいのではというものでした。実際、主人の同僚たちも家族を日本に残して単身赴任を選んでいる人が多いようで、それが一般的なのだろうし、子供たちにとっては最善の選択なのかもしれないと、主人から冷静な意見を言われて、改めて考え直すことになりました。そうして、最終的な結論として、私たち家族は日本に残り、年に何度かタイ旅行に行けばいいじゃないかという形に落ちつくことになりました。
しかし、今となっては、そのとき主人が考えていたことはそれだけではなかったようにも思うのです。赴任から1年が過ぎ、2年目を迎える頃からだったでしょうか、それまで主人とは国際電話やメールで頻繁に連絡を取り合っていたのですが、その回数も徐々に減ってゆきました。まあ、日本にいる私たちにも毎日報告するような話はないわけですし、単身赴任とはそういうものだろうと感じていましたが、こちらから携帯電話を鳴らしても繋がらなかったり、折り返し連絡がない夜があったりすると、ふと不安な気持ちを通り越して、主人への不信感を募らせるようにもなってゆきました。
それで私自身少なからず懸念を抱いていたこと、俗に夜遊びというのでしょうか。タイの歓楽街のことなどをインターネットで検索しいろいろと閲覧してしまったのです。私たち家族がタイを訪れた時は(主人がそういう場所を避けたのか)実際に目にする機会はなかったのですが、バンコクには日本人御用達の飲み屋街やカラオケクラブ、ゴーゴーバーなど、現地の女性と戯れたり、店外へと連れ出したりできるような風俗関係のお店が沢山あることを知りました。主人はお酒が苦手な人で家では一切口にしませんし、日本にいる時は仕事が終わればすぐに帰宅するような真面目人間でしたから、まさかとは思いましたが、不安な気持ちを抑えきれなくなった私は、思いきって主人にそのことを訊ねてみました。
「まあね、正直いうと、そういう店に行ったことがないと言えば嘘になるけど、自分から好き好んで行ったことなんてないよ。日本からお偉いさんが出張でタイに来た時とか、付き合いがある会社との接待会食とかさ、その手の食事会の後に二次会みたいな感じでクラブに行く機会はあるけど、酒盛りしながらカラオケを歌って終わりだし、女性はいるけど日本のキャバクラとかスナックみたいなもんだよ。俺は酒もカラオケも苦手だから、そういう場は敬遠してるんだけどね。まあ、仕事の付き合いで我慢しなきゃいけない夜もたまにあるぐらいの程度だよ…」と主人はあまり関心がないような口ぶりでした。それが本心なのか事実を確かめたくても、国際電話なので主人の顔色をうかがう事もできません。ただ、私は主人の言葉を信じようと心の中に湧きあがった猜疑心を抑えこむだけでした。
私と子供たちはその後も機会があれば、主人に会いに度々タイへ旅行に出かけ、主人も毎年お盆時期やお正月など長期休暇が取れれば必ず日本に一時帰国していました。そうして、2年が過ぎ、3年目を迎え、ようやく今年の3月で主人も任期を終えて、私たちは本帰国の日を待ちわびるだけでした。そんな折、主人から信じられないような言葉を耳にしました。現地事業所の拡大に伴い仕事量が増加しているとか、後続の人材が不足しているとか、諸々の理由で、なんと主人の任期が半年から1年ほど延長になるかもしれないというのです。私は何とかならないのかと訴えましたが、主人は会社からの辞令だから本決まりになれば仕方がないと口にするだけでした。
そして、不運が重なるように、時を同じくして、それ以上ともいえる最悪の事態が私たち家族に襲いかかってきました。それは突然降り始めた雨がたちまち豪雨へと姿を変え、気づくと私たちは大きな嵐の只中に巻き込まれていたというような感覚でした。
ある日の深夜のことです。すでに私は寝入っている時で、日本時間の午前2時になろうかという時間帯でした。枕元に置いていた私の携帯電話に着信が入りました。主人とは数時間前に電話で話したばかりでしたし、タイとの時差は2時間とはいえ、普段からそんな遅くに主人が電話をかけてくることはありませんでした。だから、初めは間違い電話かなと思ったのですが、液晶画面を見ると表示は非通知でした。もしかしたら何かの緊急電話なのではないかという嫌な予感が直ぐに頭を過ぎりました。というのも、主人から国際電話がかかってきた際に、非通知とか通知不可能と表示されることが度々あったからです。10回近くコールが鳴り響いた後、私は意を決してようやく電話に出てみました。すると相手は無言で、もしもし?と何度こちらから話しかけても応答はなく、十数秒後に通話が切れました。
私はせっかくの睡眠を邪魔されたみたいで腹立たしい気分になりましたが、数分後に再び携帯が鳴りました。表示はまたも非通知でした。私は不気味さを感じながら、恐る恐る電話に出てみましたが、再び無言のときが流れるだけでした。いい加減嫌な気分になり、私は怒気をこめた声で、もしもし!と何度も訴えかけてみましたが、何の返答もありません。しかし、私は電話口の向こうで誰かが息を飲んでいるような気配を確かに感じていました。そのとき私が不審に思ったのは、非通知でわざわざかけてきている、つまり故意のいたずら電話なのではないかということ。それに、もしかしたら海外からの着信なのではないかという疑念も拭い去ることはできませんでした。それから私はしばらく寝付けず、あれこれ心当たりを探りながら身構えていましたが、その後30分程が過ぎても電話はかかってきませんでした。きっと何かの間違い電話だったのだろうと、私は自分を納得させて再び眠りにつきました。
それから何時間が経過したのでしょうか、すでに深い眠りに落ちていた私は、再び耳元で鳴り響く携帯の着信音で起こされました。暗がりの中、壁かけ時計に目をやると午前4時を回った頃でした。私は怒りよりも眠気が勝ち、もう電源を切ってしまおうと手探りで携帯をたぐり寄せました。そのとき私の目に飛び込んできたのは、非通知表示ではなく、液晶画面に浮かび上がった主人の名前でした。驚きで全身に衝撃が走り、私は飛び起きるように目を覚ましました。なぜこんな時に主人の携帯から着信が入るのかワケが分からず、半ばパニック状態に陥りながら電話に出ました。「もしもし?あなたなの?もしもしっ!」しかし、私の呼びかけに応答はなく、またしても無言のまま、電話は切れてしまいました。
私はその状況が全く飲み込めず、深夜であるにも関わらず、すぐに主人の携帯電話を鳴らしてみました。しかし、主人は電話に出ませんでした。もう一度かけ直したところで、ようやく眠たそうな声をした主人が電話に出ました。「どうしたんだよ、いったいこんな時間に、、何かあったのか?」「いや、ついさっき私に電話をかけなかった?私の携帯の着信履歴にも残ってるんだけど、どう見てもあなたの携帯番号からの電話みたいなんだけど…」「はあ?こんな時間にかけるわけないじゃないか、、いや、ちょっと待ってくれ、こっちも一応、履歴を確認してみるよ。すぐに折り返すから」私の問いかけに主人は訝しげに答え、一度電話を切りました。
そして、ほどなくして折り返し電話をかけてきました。「ごめん、ごめん、発信履歴を確認したら、やっぱり俺の携帯から電話をかけてたようだ。多分、寝ている間に間違えてボタンを押してしまったらしい。そういえば、寝る間際に会社の後輩から電話があったんだよ。こっちは眠いのにタイ人従業員の愚痴やら上司の愚痴やらで、しばらく話に付き合わされたからさ。それでいつ電話を切ったのかよく覚えてないんだけど、ベッドで寝ながら話してたから、多分、携帯を手にしたまま寝ちゃってたんじゃないかな…」そう主人は答えましたが、主人の声は明らかにうわずっているように感じました。
「本当にあなたが間違えてかけてたの?実はね、さっき2時頃のことなんだけど、私の携帯に何度か無言電話がかかってきたのよ。初めは間違い電話かなって思ってたんだけど、非通知だったから、いたずら電話かもしれないって気味悪く思ってたところなのよ。そしたら数時間後にまたかかってきて、表示を見たら、今度はあなたの携帯番号からの着信だったのよ。どう考えても、流れが不自然っていうかおかしいじゃない。もしかして、そこに誰か女でもいるんじゃないの?」 私はその時なぜか主人が浮気をしているかもしれないという嫌な予感がしたのです。「いやいや、そんなわけないじゃないか。単なる偶然だよ。じゃあ、明日も早いからもう切るよ、おやすみ…」そして、主人は話半ばに電話を切ってしまいました。
その後、不審な電話は二度とかかってくることはありませんでした。しかし、それから数日が過ぎた頃、再び奇妙な出来事が私に起こりました。それはパソコンに届いた一通のメールでした。主人とは国際電話以外にメールでもやり取りしていたので、メールチェックは子供たちが学校で家にいない時の日課になっていました。その日、私は毎日何件も送られてくる迷惑メールを削除する最中に、気になるメールを見つけました。件名欄には英語で「Wife Japan」とだけ書かれており、そのシンプルな言葉が一際目についたのです。メールを開いてみると、無料のメールアドレスから送られてきたもので、そこには英語のメッセージが数行記載されていました。英単語のつづりも文法もあやふやで、初めは内容をよく理解できませんでしたが、単なる迷惑メールでないことは直ぐに分かりました。
「Me Love Hasban You... Him Love Me too... Him No Like You Now... You Finit Marry OK...」
そのたどたどしい英文メールの中でかろうじて私が理解できた言葉、、「私はあなたのハズバン(旦那?)を愛している、彼も私を愛している、彼は今あなたを好きじゃない、あなたは結婚をフィニット(終わる?)OK」これは私に別れてくれとでも言っているのか、、やはり主人は現地女性と浮気をしているかもしれないと、私はその時ようやく確信しつつありました。数日前に起きたばかりの無言電話の一件、そして、女の直感がそう私に真実を訴えかけてくるようでした。仕事中だとは分かっていましたが、私は居ても立ってもいられず直ぐに主人に電話をして問いただしました。しかし、それでも主人は何も知らぬ存ぜぬの一点張りで、浮気など絶対していないと、私が抱いた疑念に対して半ば怒ったような態度でけん制し、しらを切るばかりでした。
それから、おそらく主人は浮気相手の女性に連絡を取り、彼女を咎めたのでしょう。もしかしたら別れの言葉を切り出したのかもしれません。その日の午後、再び同じアドレスから私の元にメールが届きました。恐る恐るそのメールを開いてみると、あからさまに怒りに任せて書きなぐったような私を侮辱する内容の英単語が並んでいました。そして、一緒に数枚の画像が添付されていました。それは浅黒い肌をした現地女性と肩を寄せ合い微笑む、頬にキスされながら満面の笑みでピースサインしている、紛れもない主人の写真でした。
その事実を目の当たりにして、私は愕然としました。まさか、あの真面目一徹の主人が、これは何かの間違いだ、と自分に言い聞かせようとはするものの、その決定的ともいえる証拠が全てを物語っていました。それは自分の中で気持ちを整理するにはあまりにも酷な現実でした。私にも見せたことがないような写真の中の主人のにやけ顔に、私の自尊心はずたずたにされる思いでした。しばらくの間、私は激しい動悸や悪寒に襲われ、そのうち言いようのない怒りに支配されていました。私は怒りに任せて、送られてきたメールと画像を全て主人に転送しました。そして、再び主人に電話をかけると、「私に届いた浮気の証拠を全部あなたにも送っておいたから見てみなさいよ!」と一方的に怒鳴りつけてから電話を切りました。
しばらくして、主人から言い訳がましいメールが返ってきました。「俺も写真を見て正直びっくりしてるんだけど、これは誤解なんだよ。いや、誤解されるようなことをして本当に申し訳ない…。写真の女性は、俺の部屋に定期的に掃除をしに来ていた家政婦のオバさんの娘だよ。お前もタイに来た時に何度か会ったから覚えてるだろう。あの家政婦のオバさんだよ。彼女、たまに娘も一緒に連れて来て掃除を手伝わせてたんだ。でも、数ヶ月前に突然、田舎に帰るからって言って辞めちゃったんだよ。この写真は以前オバさんに娘が俺のことを気に入ってるってそそのかされて、つい調子に乗って撮ってしまったものなんだ。俺のデジカメで写真を撮って、娘のメールに送ってあげたんだけど。まさか、こんなことに使われるとは…。でも、とにかく断じて浮気なんてしていないから安心してくれ。俺を信用してくれ。詳しいことは夜、帰宅したらまた電話できちんと話すから…」
「はあ?何なのよ、その言い訳、本当のことを言いなさいよ。じゃあ、このメールの内容はいったいどう説明するのよ。あなたのことを愛しているだの、私に対して別れろ!みたいな言葉が書かれてるじゃない。それになんで家政婦のオバさんが私のメールアドレスを知ってるのよ。どう考えても、おかしいじゃないの!だいたいさぁ、数日前の無言電話から絶対に怪しいって私は勘ぐってたのよ!」主人からの嘘臭い言葉を全く信用できない私は、すぐに不審な点を追及するメールを送り返しました。すると、主人から私にはおよそ理解できない内容のメールが返ってきたのです。
「実は先日からの出来事を、さっきタイに詳しい会社の先輩に相談したんだ。そしたら、タイではよくある話だってことを聞いたんだよ。うちの会社でも過去に同様の被害を受けた単身赴任者が何人かいるらしい。手癖の悪い家政婦が金目のものをこっそり盗むなんてトラブルはしょっちゅうらしいんだけど、それだとすぐにバレちゃうだろ?だから、隙を見て携帯の通話履歴に残っている電話番号とか、勝手にパソコンを開いて家族とやり取りしているメールアドレスとか盗み取っておくらしい。それで仕事を辞めた後に、狙いをつけた相手の家族だと思われる番号に片っ端から無言電話をかけたり、家庭を壊すようなメールを送りつけたりする。そうして、相手の反応をうかがいながらトラブルを装って、目星がついたら最後は美人局みたいに仲間の男が出てきて、あれこれと脅迫して金をむしりとる。そんな詐欺みたいな行為が横行しているらしい。俺みたいに家庭持ちの人間なら世間体もあるし、タイ人との揉め事を嫌って、向こうの言いなりに金を払ってしまうんだとか…」
そのメールを読んで、私はタイなら全くあり得ない話ではないかもと思ってしまいました。確かに主人のような駐在員にとって、現地でのトラブルは禁物です。特に家庭がある身で女性がらみの問題などもってのほかで、何か揉め事が起きれば、会社や周りの日本人コミュニティ内で変な噂が出回っては困ると、世間体を重んじて、金銭で事を収めようとすることは十分考えられました。しかし、主人の話はどう考えても、無理矢理こじつけたような内容で、半分は本当にあった話で、半分は自分に都合のいいように辻褄を合わせて作りあげた嘘のようにも感じられました。私は半信半疑で主人の言い分をそのまま信じることなど到底出来ませんでした。
だから、その日の夜、主人からかかってきた電話で、私はカマをかけてみました。「あれから、また浮気相手の女からいろいろと写真が送られてきたわよ。嘘の言い訳ばかり並べて最悪、もう何も信じられない。やっぱりどう考えても、あなたが浮気してるのは間違いないじゃないのよ。もう分かってるんだから、本当のことを全て白状しなさいよ!」と主人を誘導尋問するように叱責してみました。
すると、主人は私の追及にようやく観念したのか、消え入るような声で「ごめん…」と一言だけ吐き出しました。「何なのよ、ごめんって、、やっぱり私を騙してたのね、、いったいいつからよ!あの写真の女とはどんな関係なのよ!?」間髪を入れずに非難の言葉を並べる私に対して、主人はしばらく沈黙を決め込みました。
そして、今度はどんな言い訳でもするのかと思ったら、予想だにしなかった、全く信じられない言葉を主人は私に投げかけてきたのです。「本当にごめん、いや申し訳ない、としか言いようがないんだけど、、実は彼女のことは本気で考えてるんだ、、だから、その、、俺と離婚してくれないか……」
私は自分の耳を疑いました。「はあっ?いったいどうなってるのよ!自分が何を言ってるのか分かってるの?離婚って、、あなたは私を捨てて、そのタイの女を取るっていうの?それに子供たちはどうするのよ、あなたは子供たちを愛してないの?私だけじゃなく、子供たちまで見捨てるっていうの?」
「身勝手な話で本当に申し訳ないと思ってる…。もちろん全て俺が悪いんだから、それなりの慰謝料も払うつもりだし、きちんと財産分与もする。それに子供たちが成人するまでは責任をもって養育費も払い続けるつもりだから…」主人は全てバレてしまったことですっかり吹っ切れたかのように、淡々とした抑揚のない声で私に自分の主張を伝えるだけでした。そして、怒りを通り越してただ唖然とする私に「もう、こうなってしまった以上は会社も辞めようかと思ってる…。また数日したら、こっちから連絡するから、本気で考えておいてくれないか…」とだけ告げると、主人は一方的に電話を切り、そのまま携帯の電源を落としてしまいました。
それっきり電話をかけても繋がらず、連絡が取れない、メールの返信すらない状態がもう一週間近く続いています。家庭の事情なので恥ずかしくて、会社や主人の同僚家族の方に電話をすることもできません。もはや怒りの気持ちも枯れはて、どうしようもなく途方に暮れた私は、ついに自分の両親に相談することにしました。それから、私の家族と主人の家族との間で、家族会議が開かれました。私の両親に兄弟、そして、主人の家族たちと皆が当然のように激怒し、特に向こうの両親は、私への謝罪の言葉と共に、そんな勝手なことは絶対に許さない、一族の恥だと、主人を無理矢理にでもタイから連れ戻すと息巻いています。会社を辞めさせることになっても構わないという話になっています。
私たち一族の総意としましては、主人の身勝手な行動だけでなく、浮気相手の女性も許すことは出来ないと考えている次第です。私たちは近いうちにタイへと乗り込み、主人を日本に連れ戻す覚悟です。また、出来ることならば相手の女性を懲らしめたい、そして、法的機関に訴えて慰謝料を請求したいとも考えています。相手の女性には勿論そのことを告げてはいませんが、話し合いの席を持ちたいと、送られてきたアドレスにメールで連絡しましたら、バンコクの○○というカラオケクラブで働いているので、そこに来るならば話し合いに応じてもいいと、その店のママさんを名乗る人物から返信がきました。
上記バンコクのカラオケ店について何かご存知でしょうか。お互いの両親を連れて行くわけにはいきませんので、タイへは私と私の弟の二人で行くつもりです。子供のことを考えると、私自身、今回のことは泣く泣く水に流して、離婚だけは極力避けたいと考えていますが、主人と相手女性の出方次第ではどのような結末を迎えるのか分かりません。ただ、怒りに任せてタイに乗り込んでも悪い結果を招くだけですから、出来る限り冷静に対処し行動しなければならないとは考えています。つきましては、誠に恐縮なお願いではありますが、当日、話し合いの現場に通訳かねてご同行頂くことは可能でしょうか。もしお手伝い頂けるのであれば、相談料、必要経費など詳細をお知らせ頂けますと幸いです。何卒よろしくお願いいたします……》
只事ならぬ手記のような長文メールに目を通し、僕はどう対処すればいいのか皆目見当がつかなかった。一方、相棒のリュウさんはと言えば、相変わらず他人事とでもいうのか、さして同情心を抱くような素振りも見せず、ふむふむ、よくある話だと言わんばかりに、あれこれ思慮にふけると、自分たちに対処できそうな問題かどうか、それに見合うだけの相談費用、そして、この案件に関わることで生じる危険度などを、冷静に判断し、答えを導き出すだけであった。
「うーん、バンコクのカラオケクラブかぁ、多分スクンビットにある店だと思うけど。まあ、一日二日バンコクに行く程度ならいいけど、このメールの感じだと、どう考えても長引く可能性の方が大きそうだなぁ。それに浮気問題とかでタイ人と争っても外国人が簡単に勝てないのは目に見えてるしなぁ。だいたい慰謝料まで請求しようなんて土台無理な話だと思うよ。カラオケで働いてる女が慰謝料を払えるほどそんな大金を持ってるわけないじゃん。まあ、逆ギレされるのがオチだろうね。それにさぁ、仮に訴訟できたとしても裁判は時間がかかるし、外国人だからって弁護士にいっぱい金ふんだくられるだけだからね。まあ、日本の奥さんからしたら大問題だから、相談料は結構な金額とれるかもしれないけど、それでも割が合わないっていうか、これはさすがに俺らには手に負えないかなぁ」
「はあ、、まあ、確かにそうですよね、、それに話し合いの場に同行って、これって敵地アウェーに乗り込むようなもんでしょ。もし修羅場にでもなったら大変そうですよ」
「まあ、そうだなぁ、カラオケクラブって言っても、しょせん夜の店だからね。ママさんが間に入っての話し合いって感じみたいだけど、当然、店には用心棒みたいなヤカラもいるだろうしね。で、その女も、日本の奥さんから旦那を奪う気満々なわけだし、血気盛んなタイ人相手に話し合いだけで終わるとは到底思えないけどなぁ。しかも、旦那も奥さんと別れてその女を取るって言ってるんだからさ。そうなると、向こうが主導権を握ってることになるわけだから、自分たちを別れさせたいんだったら、逆に金払えなんてことになる可能性も考えられるしね。それにさぁ、俺らはタイ語の通訳で間に入るだけっていっても、向こうからすれば完全に敵の一味だからね。そうなったら、最悪、俺らまで恨まれることになるかもしれないからなぁ」
「はあ、、やっぱり安易な気持ちで関わるのは危険ってことなんですかね」
「うーん、そうだなぁ。結局、こっちに正当な理由があったとしても、タイ人と揉めるのだけは極力避けなきゃいけないってことなんだよ。しょせん我々は外国人で、それがこの国の暗黙のルールっていうか、闇の部分っていうかさ。タイ人からすれば、その辺のチンピラでも雇って仕返しすることなんて大したことじゃないし、それをはした金で請け負うヤツらなんてゴロゴロいるしね。まあ、そう考えると、この奥さんもさぁ、ヘタに恨まれて返り討ちに遭う可能性もあるわけだから、本当のところを言うなら、話し合いとはいえ、女のいる店に乗り込むなんて物騒なことは止めて、旦那を取り戻すことだけ考えたほうがいいと思うけどね」
「なるほど、そう言われれば、そうかもしれませんね。分かりました、じゃあ、とりあえず今話したような内容でメールを返信してみます。突き放すような返答になってしまいますけど、ここは外国で我々は外国人なのだから、日本の一般的な考えとか価値観は一切通用しないということ。それに浮気した旦那さんにも当然非があるわけですし、そう簡単に受け入れることはできないでしょうが、できるならば穏便にあまり深入りせずに、ご主人を説得して浮気相手と別れさせる方向性を探る、とにかく奥さんの元へと取り戻すことを最優先に対処されたほうが懸命なのではないかと思われます。それでも、どうしても相手の女性を許せない、訴訟も辞さない覚悟というのでしたら、バンコクの法律事務所あたりに相談してください、みたいな感じでどうでしょうかね」
「うん、そうだね、そんな感じでいいんじゃない」
それから、僕は、リュウさんの意見を参考にあれこれ熟考しては何度も書き直してと、一日がかりで奥さんへのメールを書き上げて返信した。相談相手が異性で、しかも駐在妻だけに、必要以上に気を使い、心身ともに酷く疲れることになった。日本で悶々としているだろう奥さんの気持ち、その子供たちの気持ち、家族たちの気持ちと、いろいろ同情して考えると気分が滅入ってしまい、暗黒の底なし沼へと果てしなく落ちていくような、まったく鬱になりそうな気分だった。
また、その一方で、男として旦那さんの気持ちを考えることにもなった。恋は盲目というけれども、単なる浮気心ではなく、それこそ思春期の青年のようにメラメラと燃え上がる情熱的な恋に落ち、本気でタイ人女性を愛してしまったかもしれない男心なるものに思いを馳せてしまうと、結局、解決策は見つからないようにも思われた。というのも、もし仮に、日本の奥さんとの関係が仮面夫婦みたいに既に破綻しているものだったとしたら、今一度、自分の人生を生き直してみたいと考える心情も分からないではないからだった。
こんなにも醜く自分の気持ちが揺れ動かされる作業はもう勘弁だった。他人の人生を左右するような案件に関わるのはもう二度と御免だった。とはいえ、自分が考案して始めたサービスに対して、少なからず相談依頼してくる人がいて、その困っている人たちを、自分に出来る範囲でよければ手助けしてあげたいという思いが同時にあるのも確かだった。
その相反する感情への答えは、どうやら責任の所在にあるように思われた。要は、依頼を請け負い金銭を受け取るから、自ずとこちらにもある程度の責任問題が降りかかってくるわけで、それさえなければ、助言する程度なら自分にも出来るだろうということだった。
だから、僕は偽らざる自分の本心をすべて吐露し、探偵調査で生じる一切の責任を回避するためにも、もう金を取るのを止めたいとリュウさんに進言した。僕が言い出しっぺで始めたことだし、依頼者とのメールのやり取りも全て僕が担当していたので、リュウさんも何とか了承してくれた。
そうして、僕らは、この案件を機にパタヤ便利屋コムの探偵調査サービスを終了させた。その代わりにタイトルや内容を少し書き換えて、無料の国際恋愛相談コーナーへと変更した。
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