第44話)毎月の恒例行事、日帰りビザトリップ

「ピピーッ!ピピーッ!」


僕は何者かに追われている。サングラスに黒づくめのスーツ姿の強面(こわもて)の男たちだ。うらぶれた路地裏のビルディング。空に向かって半ば剥き出し状態の螺旋の非常階段を必死に駆け上がりながら、僕は何者かから逃げている。


「ピピーッ!ピピーッ!ピピーッ!」


振り返ると、男たちの姿が悪徳警察官ヅラしたポリスに変わる。上下カーキ色の軍服風の制服に、西部警察の大門みたいな丸いフレームのサングラスを着用しており、その顔立ちは浅黒く東南アジア風だ。男たちは手に持ったピストルを振りかざし、何やら意味不明の怒号を僕の背中に浴びせながら、どこまでも追いかけてくる。どこの言葉なのか意味は分からない。僕は必死に階段を駆け上がり、何とか逃げようとするが、螺旋の渦巻きの先は永遠に続くかのように遥か遠く視界の先だ。


「ピピッ!ピピッー!ピピピーッ!」


背中に飛び交う銃弾を感じて、ついに僕は空に向かってジャンプする。ルパンみたいに屋根の上を飛んだり跳ねたりしながら走って逃げようとする。しかし、うまく走れない。思うように足が進まないし、思うようにジャンプができない。身体に何か重石をつけられたか、老人にでもなってしまったかのように、自分の身体を思いのままに動かすことができない。うまい具合に手で空気をかきわけ、足をフル回転させて、身体全体で風を感じることができない。


あれだけサッカーで鍛えた足はどこへいったんだ。昔は50メートルを6秒台で走れてたっていうのに。冷静な意識が違和感を告げる。それでも焦りながら更に身体に力を込めると、もはや走り方を忘れてしまったみたいに、手の振りと足の動きがバラバラになり、不恰好な走りになってしまう。言うことを聞かない身体を必死に動かそうと、何とか走り方を思い出そうと、僕は身体の細部にまで意識を送り命じるように、更に力を込めて懸命に走る。走る。走る。


「ピピッ、ピピッー、ピピピーッ、ピピピピピーーッ♪」


何やら機械的なメロディーが意識の向こう側から聞こえてくる。やがて耳を刺激する大音量になったところで、ようやく僕は目を覚ました。


追われる夢、逃げる夢、落ちる夢、よく見る夢だった。何か自分の現状が反映されているのだろうか。睡眠には周期があり、「レム睡眠」と呼ばれる身体を休める眠りと、「ノンレム睡眠」と呼ばれる脳を休める眠りが交互に繰り返されているという。浅い眠りのレム睡眠の時に夢を見ることが多いらしいが、僕はよく夢を見る。そして、夢を見ている時に、それが何か映画観賞でもしているようにうっすらとした意識を感じている時がある。それは目覚める寸前の意識と夢が交錯している瞬間なのかもしれない。いずれにせよ、ひどく疲れている時や、落ち込んだり思い悩んだりしている時、はたまた翌日に何か大事なイベントがあって緊張している前の晩などに、奇妙な夢を見ることが多々あった。


その日は月に一度のビザトリップの日だった。久しぶりに一人で過ごす一日、ちょっとした遠出に心が張り詰めていたのかもしれない。


耳元で鳴った目覚まし時計のアラームは早朝5時30分にセットしていた。相変わらずの深酒で、つい先程までリュウさんと飲んでいたので、寝ていたのも数十分程度だ。初めは徹夜で行こうと考えていたのだが、思わず横になってしまって見た夢だった。ようやくベッドから這い出すと、フラフラと覚束ない足取りでトイレへ向かう。大小同時に用を足しながら、数分ぼんやりと先程の夢に想いを向ける。それから水シャワーを浴びて、しゃっきり身体を目覚めさせる。シャワーを浴び終えると、昨晩から用意していたポロシャツとチノパンに着替える。手の平サイズの安価なタイ製の携帯電話を手に取り、リュウさん宛てにメッセージを打ち込んで送信する。


「Ohayo gozaimasu. Imakara Visa Trip ittekimasu. Mata renraku shimasu.」


送信済みフォルダを確認して、ホーム画面に戻ると、今日の日時と現在の時間を確認する。鏡台の上に並べて置いている腕時計、数個の中からSEIKOの逆輸入モデル(よそ行き用のゴツゴツしたダイバーズウォッチ)を選び、左手に装着。日時が正確に合っているかどうか携帯電話と見比べる。パスポートを手に取り、スタンプが押された数ページをめくって滞在有効期限を再度確認する。財布の中にビザ用の証明写真が入っているかどうかを確認する。 寝不足の頭にムチ打ちながら、淡々と準備を整える。腕時計の針が6時まで残り僅かとなったところで、僕はグレゴリーのデイパックに全ての荷物を詰め込んで、定宿を飛び出した。


宿前に屯していたモトサイに声をかけ、ビーチロード方面へとバイクを走らせる。空がようやく白み始めたパタヤの海岸通りに出ると、椰子の木陰に佇むフリー娼婦の姿や、朝のウォーキング(ランニング)に精を出している欧米人の姿などをちらほら見かける。うっすら朝陽を浴びたパタヤビーチを右手に眺めながら走り、程なくするとショッピングモールのロイヤルガーデンが現れる。その手前辺りの通り沿いに大型の観光バスが停留している。ビザトリップに用意されたもので、毎朝この時間になると、ビーチロードのソイポストオフィス入口付近で見かける光景だ。あの辺で降ろしてくれと指差しながら、運転手の肩を叩き、僕はバイタクを降りた。


早朝6時だというのに、小さな食堂風のレストランにはすでに10人以上のファラン(欧米人)たちの姿があり、皆、同じメニューの朝食を取りながら談笑している。どこでも見かける定番のアメリカンブレックファーストで、トースト2枚にバター、ベーコン、目玉焼き(orスクランブルエッグ)、申し訳ない程度に添えられたミニサラダ。それと小さなコップに入った100%果汁のオレンジジュース。食後にコーヒー(orティー)付きといった感じの朝食セットだ。これは現地ツアー会社が運行しているビザトリップについているオマケのようなものでツアー料金に含まれていた。


レストランの向かいにそのツアー会社があり、チャンピオンツアーという名前の旅行代理店だ。同族経営の店なのだろうか、店内で見かけるスタッフは皆ターバンみたいな布を頭に巻いた如何にもアラブ系の男たちだ。現地ツアーだけでなく、航空券やホテルの手配、各種ビザ取得代行、会社設立代行など、旅行者から長期滞在者向けまで様々なニーズに対応しており、リュウさんが以前から利用しているという老舗の代行業者だった。


すでに予約は前日に済ませていた。料金は2,000バーツ程で朝食つき、ビザ取得費用ももちろん含まれている。朝6時から開いている旅行会社前のレストランに集合しつつ朝食を取る。すると食事中に担当のタイ人スタッフが各席を回り、参加者たちのパスポートや写真を回収する。その際に渡される目印のステッカーを胸に貼り付け、あとは一日、彼らについて回るだけの便利なビザランツアーだ。2003年当時はカンボジアとの国境地アランヤプラテートへの日帰りビザトリップが定番ルートだった。


40人程が定員サイズの大型観光バスで、だいたい毎日20人前後のグループが作れるほど人が集まるようだ。利用者の顔ぶれはパタヤに長期滞在しているらしき欧米人のオヤジたちがほとんどで、小奇麗な身なりをした旅行者風ではなく、皆くたびれたタンクトップやTシャツに半パン、サンダル姿といった感じの、ちょっとそこまでふらっと散歩にでも行くようなラフな装いだ。


朝7時に出発するバスに乗り込むと、それから国境地まで片道およそ4~5時間程の長距離移動となる。私語を謹んで行儀よく座っていたり、厳かに睡眠タイムに入るような人種は少なく、どちらかと言うと、長時間移動の暇潰しがてら、持ち込んだ缶ビール片手にワイワイ雑談を始めるタイプの方が多い。エアコンが効いているバス内は原則的に禁煙だが、半ば堂々と窓を開けて、プカプカと平気でタバコを燻らせている輩もいる。僕はデイパックからウォークマンを取り出し、そそくさと寝る体勢を整える。そしてすぐに爆睡する。僕はどこでも寝れるタイプの人間らしかった。ZZZ...


人々のざわめく声に目を覚ますと、すでに国境近くの町に到着していた。目の前に広がる景色は交通量も少ない、のんびり長閑な田舎の一本道といった雰囲気で、平屋の建物が多く、視界は良好だ。ちょうど正午を迎える頃で、国境を目前にして現地のタイレストランに立ち寄る。高床式の木造りの店で、バナナの葉を葺いた屋根や竹で編みこんだ壁など、手作り感あるタイの昔ながらの小屋風カフェレストランといった感じだ。この店もツアー会社と裏で提携しているのだろう。昼食はツアー料金には含まれておらず、食事は各自好きなだけご自由にと言わんばかりに、小一時間程のランチ&トイレ休憩タイムが設けられる。


こういう時、欧米人たちは気軽に挨拶し、軽い自己紹介から始まり、たわいない雑談に興じる社交性を兼ね備えている人が多いように思う。領土争いの歴史がそうさせたのか、国境が陸続きの西洋の人たちは、自分に敵意がないこと(武器を持っていないこと)をアピールするように、手を挙げて挨拶したり、握手したりする習性があるという。相手を抱き寄せ背中をポンポンとさするようにハグするのは武器を隠し持っていないかどうかの確認作業というわけだ。一方、島国の住人である日本人の我々には厳かにお辞儀をするという文化がある。だがその際、他人と直に触れ合うようなことはしない。


それらは言うなれば、接する相手との距離感というかプライベートスペースのようなもので、民族(人種)によって、その肌感覚に差異があるのだろう。総じて欧米系の人たちは他人との距離感が近く(狭く)、日本人は遠い(広い)と言えそうだ。日本人はその微妙な距離感やテリトリーを繊細に感じ、重んじる民族だという言い方もできる。でも、だからなのか、旅先でも日本人はどちらかと言うと閉鎖的で、他の国の人たちの輪の中に自ら気軽に入っていくような社交的な人は少ないように思う。それは、たいてい、そういう場では早いテンポの英語が飛び交っているのが常で、会話についていけないというのが大きな理由でもあろう。ご多分に漏れず、とりわけ人見知りの僕は、こういう時間が大の苦手だった。


確かにこの手のツアーに参加するなら、それは避けられないことだ。一日中、行動を共にするのだから会話のチャンスは幾らでもある。特に食事時は国際交流の場みたいに他の国の人たちと話す絶好の機会だし、何かしら有益な情報を得ることがあるかもしれない。それでも僕は自分から進んで話しかけるタイプの人間ではなかった。だから、自分では常に"話しかけてこないでオーラ"を存分に漂わせているつもりだ。とはいえ、どういうわけか、僕は海外において他人から話しかけられる機会が多々あった。そして、見知らぬ外国人との不慣れな英語での会話にどっと冷汗をかきながらアタフタしてしまうのだ。「イェアー」とか「ウフーン」とか適当に相槌を打ってはみるものの、その内容は大して頭に入ってきてはいない。早くこの会話が終わってくれ、とヤキモキした不安な思いが脳内に駆け巡るばかりである。


そうならないように、僕は誰からも話しかけられないほど十分に距離を置いた木陰に陣取り、持参した菓子パンやビスケット、ペットボトル水だけで簡単に腹を満たし、何本もタバコに火をつけて暇を潰した。


昼過ぎになって、ようやくアランヤプラテートのボーダーに到着した。国境脇の広大な敷地には、巨大マーケットのロンクルア市場が悠然と横たわっている。バスから降りると、ギラギラと突き刺す灼熱の太陽とアスファルトとの照り返しで目を覆うほどだ。パタヤから東へ数時間移動しただけなのに、同じタイとは思えないほどカラカラと乾いた暑さや熱気が身体全体を攻撃するように絡みついてくる。すぐに真っ黒に日焼けしたカンボジア人らしき物乞いの子供たちが我先にと駆け寄ってくる。サイズが合っていない、あちこち破れかぶれの薄汚れた衣服を身に着け、野性的に伸びた髪の毛は太陽で焼けているのか栄養が足りていないのか線が細く赤茶けている。


まだ幼稚園ほどに幼い子供たちは、とにかく歩く傍まで近寄りまとわりついてきて、衣服を引っ張ったり、手を掴んだりして、露骨な態度で「マニー、マニー」とせがんでくる。幾らか年上の小学生ぐらいの少年少女になると、オンボロ傘を手に持ち、すぐに客の取り合いを始める。目をつけた外国人の元へと走り寄り、隣を付き添い歩きながら、日除け当番を買って出る。それは駐車場のバスを降りたところから国境のゲート付近までの僅かな間で繰り広げられている、子供たちの商いだった。


それを知ってか、「ノー!ノー!」とまとわりつく子供たちを手で追い払うように足早に歩を進める人がほとんどで、中には持ってきた袋入りのアメ玉や、小銭を道路にぶちまけている輩もいる。国境周辺で暮らしている子供たちなのだろうか、中にはストリートチルドレンもいるのだろうか、プノンペンで見た光景をふと思い出す。僕はタイ語で「マイアオ(要らない)」と繰り返しながら、傘をさして隣をついて歩く女の子に手を振り、ゲート内へと足を滑らせた。


先ずはタイ側のアランヤプラテートで出国手続きを済ませて、カンボジア側のポイペトへ入国する。一歩足を踏み入れると途端に砂埃が舞い散る雑然とした通りに変わる。両国の出入国ゲート間の数百メートル程の国境内の通りでは、巨大な木製のリヤカー(荷車)に袋詰めの荷物を沢山積み上げて、それを支えるように人力で運び、行き交う褐色の男たちの姿がある。さっきとは違う物乞いの子供たちが現れ、群がってくる。通りの左右には、それらと不釣合いの豪華なカジノホテルがそこかしこに建ち並ぶ、独特な光景が広がっている。ビザトリップがてらカジノで一遊びする人もいるようだが、僕が利用しているツアーには遊戯するような暇はなかった。出入国の手続きに要する時間だけで滞在も僅かにして、すぐに歩いてきた道を引き返し、タイ側へと再入国する。


周りの参加者たちに従うように、覚えている顔の集団についていき、淡々と手続きを済ませる。気分はハトバスツアーみたいなものだった。初めてビザトリップを利用して陸路での国境越えを体験した時は胸がときめいたものだが、それも二回目、三回目と続くと、すぐに慣れてしまった。やがて毎月繰り返される億劫な恒例行事、事務的な作業みたいに変わっていった。


タイでの滞在が長くなってくると当然、滞在査証(VISA)の問題が浮上する。リュウさんは年に何度か日本に帰ったり、近隣諸国でタイの観光ビザを取得したり、ビザランしたりして、これまで数年間に渡りタイに滞在してきたようだ。僕は失業保険のために日本を行き来した数ヶ月が過ぎると、タイに長期滞在する手段としてビザランを繰り返すようになった。どこか周辺国でタイの観光ビザを取得するのは、二人の時期が合うタイミングにでもと見合わせるばかりで、僕は毎月のようにカンボジアの日帰りビザランツアーを利用した。僕のパスポートは見る見るうちにカンボジアのスタンプとビザで埋め尽くされていった。


タイの入管法では、我々外国人はビザがない場合(いわゆるノービザだと)30日間の滞在を許される。それ以上の滞在を望む場合は何かしらのビザ(査証)を取得しなければならないのだが、当時はまだビザラン(ビザトリップ)という、ノービザ滞在で周辺国への行き来を繰り返す手段がごく当然のように成立していた時代で、お手軽な滞在方法としてロングステイヤーたちに活用されていた。(※ビザラン行為は2014年~禁止に!)


国境での滞在時間は小一時間程といったところか…。


先程入ってきたゲートから外に出て、タイに再入国すると、当然のように待ち構えていた子供たちが再び我先にと駆け寄ってくる。僕はそれから逃れようと目に入ったコンビニに一旦避難する。むさ苦しい暑さの中、手続きに並んで移動して、歩き疲れた身体は甘い水分を欲しがっている。こういう時はやっぱりコーラが美味い。作業終わりの一服とでも言わんばかりに、コンビニの軒先に佇み、甘い炭酸で喉の乾きを潤しながら、タバコに火をつける。


行きがけも僕の隣について歩いていた同じ女の子が、数メートル先の日の当たる場所で傘をさして立ち、じっと僕の様子を窺っている。僕の上半身に直射日光が当たらないようにと、手を精一杯高く上げてオンボロ傘をさし、彼女はゲートまで我が物顔で隣をついて歩いてきた。だがチップはあげなかった。だからなのか、ビザラン作業を終えて戻ってきてからも、彼女は僕の姿を見つけると、自分の客だと言わんばかりに、すぐに駆け寄ってきたのだった。


「アーユー、タオライ?(何歳なの?)」と声をかけてみると、彼女は両手の指を前につき出して「ジェッピー(七歳)」と、幾らか訛りのあるイントネーションのタイ語で答えた。


「バーン、ティナイ?(家はどこ?)」と問いかけてみると、「あっちの方」と国境の向こうを指差した。


「ポーメーは?(お父さんとお母さんは?)」と訊ねてみると、目の前の市場の方角を指差した。


やがて観念した僕は、駐車してあるバスまで一緒に歩き、往復分のチップとして20バーツ紙幣を彼女にあげた。「サンキュー、ミスター!」と大人びた返事をしながら彼女がそれを掴み取ると、すぐに数人の仲間たちが彼女の元に群がった。彼女はそれを取られまいと、お札を握りしめた手を胸に抱えながら、キャピキャピと走って逃げる。それから、彼女は先程まで僕がいたコンビニの中へと駆け込んだ。


お金をあげた僕を見て、再び小さな子供たちが「マネー、マネー」と諦めもせず最後のひと強請りを仕掛けてくる。飲みかけのペットボトルのコーラを差し出してみる。瞬くうちに奪われてしまう。もう何もないよと手を振り、避難するようにバスに乗り込む。行きがけと同じ座席にようやく落ち着き、窓外に目を向けると、僕の専属係だった女の子がコンビニの軒先に座ってアイスクリームを食べていた。もちろん隣にはそのアイスに群がる数人の仲間たちの姿があった…。


パタヤに戻ってきたのは、すっかり辺りも暗くなり、バービア群のネオンライトに明かりが灯り始めた頃合だった。丸一日がかりの手続きと長距離移動で身体の節々が痛み悲鳴を上げている。それでも移動の間はほとんど寝ていたので、トータル10時間近く睡眠を取ったことになる。朝方出発する前はうんざりと億劫で仕方なかったが、とりあえずこれで今月の面倒な作業は終わった。


これで、また一ヶ月は滞在できる……。


安堵混じりの疲労感を感じながら、僕はリュウさんが飲んでいるいつものバービアへと足を向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る