第一章 ②瑞鶴飛行隊

昭和17年2月14日 横須賀


神奈川県横須賀軍港。

海軍の一大拠点であるここにラバウル攻略を終えた第五航空戦隊、通称五航戦の旗艦、空母「瑞鶴」の姿があった。


「聯合艦隊では今後、機動部隊による太平洋方面の作戦を一度切り上げ、新たにインド洋方面での作戦を行いたいと考えています」


「瑞鶴」の作戦室内で聯合艦隊通信参謀長 雨宮 菊次郎 大佐は聯合艦隊内で決定された今後の機動部隊による作戦行動について協議していた。

しかし、それを聞く第五航空戦隊の表情は険しい。


「インド洋方面が重要なのはわかる。しかし」


反論したのは五航戦司令官 柳 泰義 少将だ。

柳は海軍兵学校第四一期を十四歳で卒業後空母「加賀」副長、第一航空戦隊参謀など航空畑一筋を進み十八歳となった昨年、新たに編成された第五航空戦隊の司令官に抜擢され、ハワイ作戦に挑んだ。

しかし、柳にはひとつ気がかりな点があった。


「何故こんな中途半端な時期にさらなる作戦を行うのだ?我々としても、できればあと1カ月は送らせて欲しいのだが」

「確かに、時期からしてもかなり急であるのはたしかです。しかしこれをご覧ください」


天宮は、一枚の報告書を見せた。

それはインド洋で活動していたある潜水艦のものであった。


「インド洋で行動中であった潜水艦伊62から送られてきたものです。これによれば1月5日、マラッカ海峡付近で空母数隻を含む英艦隊を発見したとことです」


作戦室内に衝撃がはしった。

前年の12月10日に起こったマレー沖海戦で英国東洋艦隊の主力艦「プリンス・オブ・ウェールズ」および「レパルス」の二隻を撃沈したことにより、英国艦隊はすでに壊滅したと思われていたのだ。


「つまり、我々が英艦隊を撃滅するということですね」


動揺の中、冷静を保っていたのは、五航戦司令部参謀長 飯田 綾子 大佐だ。

飯田は天宮と同期の海兵四三期で現在十六歳。

兵学校では水雷を専攻していたが、当時航空本部長だった 伊野部 元 少将の影響を受け、航空へ転進した。


「その通りです。この作戦は五航戦を含む第一航空艦隊により、インド洋へ退避している英艦隊を早急に捕捉、撃滅するもとし、五航戦は3月上旬に艦隊への合流を予定しています。各艦は引き続き訓練を続行してください」



作戦会議が終わり、天宮は甲板で海風に当たっていた。


「新年そうそう慌ただしいね」


声をかけてきたのは飯田であった。


「まあ、うちの伊野部長官はこの戦争をよく理解しているから大丈夫だろう」

「かなり急に決まったんでしょ?この作戦」

「実際俺も初めて聞いたときはかなり驚いたよ。でも、ここで叩かないとインド洋での制空権を失うかもしれん。だからこそ・・・」


陸上の基地とは違い空母機動部隊は神出鬼没。

一度見失えば再び発見するのは難しくなる。


「だからこそ、我々がやらなくてはならない、てことか」

「おぉ、西じゃないか!」


「瑞鶴」艦長 西嶋 宗一郎 大佐だ。

西嶋も天宮、飯田と同じ四三期。

兵学校時代を共に過ごした仲であり3人にとって久しぶりの再会である。


「なぁに、一航艦は世界一の機動部隊だぞ。どんな敵だろうが、必ず勝ってみせるさ」


世界初の空母機動部隊である「一航艦」こと第一航空艦隊は「瑞鶴」を含む六隻の空母で構成され、その攻撃力は真珠湾攻撃で実証されている。


「おっ、噂をすれば、我らが戦闘機隊かな?」


南の方角からから戦闘機の編隊が近づいて来る。

だがそれを見て飯田が顔をしかめた。


「ねぇ、あの編隊1機だけやけに遅れてない?」


確かに、9機編隊の内1機だけ他の機に追いつけていない。

西嶋にはか心当たりがあった。


「多分武本一飛曹の機だろう。この間配属されたばかりでまだ慣れてないんだよ」

「それにしても、危なっかしい飛び方だなぁ。空母の飛行隊には早すぎたんじゃぁ」

「でも海軍省からのご指名なんだ。断るわけにもいかん」


やがて9機の零戦が「瑞鶴」艦上を飛び越えていった。



(もっと速度を上げないと、追いつけない)


「瑞鶴」戦闘機第三小隊所属 武本 遥 一飛曹は他の8機に遅れじと機体を加速させた。

戦闘機は3機をもって一個小隊。これを3個集めた合計9機を一個中隊としている。

しかし初めての編隊飛行である武本は遅れ気味であった。

スロットルを絞り過ぎているのに気づいていない。

その間にも僚機とはどんどん離れていく。


「そうだ!スロットル」


やっとそれに気づき、武本機は速度を上げ、編隊の中に戻る。


(よし!)


しかし突然、隊長機が進路を変えた。

隊長機が動けば他の機はその動きについて行かねならない。


「うわぁ!」


彼女はついて行けない。

またもや編隊から遅れてしまった。

すると編隊の中から一機が武本の隣まできた。

機体番号 E-Ⅱ-126 、笹原一飛曹の機体だった。

笹原は武本に「私にあわせて」と手で合図した。

笹原機の誘導のおかげで武本の機体はなんとか編隊内に戻った。

しかし、間髪容れず隊長機から信号弾が打たれた。

「小隊毎ニ散開セヨ」の意味である。

小隊長機が分かれ、それに二機ごとに続く、はずだったが武本はついていけない。


(どんどん離れてく・・・)


武本はただ呆然と見ているしか出来なかった。



同日 横須賀第一飛行場


武本機を含め訓練を終えた機体が次々と横須賀飛行場の滑走路に滑り込んでくる。

ここ横須賀飛行場は、港から比較的近く、「瑞鶴」飛行隊は母艦が停泊中この飛行場を使用することになっている。

そこへ最後に着陸したのは武本だった。


「ハァ・・・」


機体から降りると、思わずため息を漏らした。

結局、今日の訓練は散々だった。

まともに編隊を組むことはできず。バランスを崩して失速しそうになった場面もあった。


「武本さん。お疲れ様です」


先に着陸していた小隊長の赤羽がやってきた。


「やはり、まだ編隊飛行訓練は難しいかったでしょうか?」

「はい・・・すみません、こんな状態で」

「いいえ、機体にも慣れてないのに編隊飛行なんてすぐに出来るものではありません。大切なのはむしろこれからです」

「はい!」


さらにやってきたのは二番機の笹原一飛曹だ。


「お疲れ様遥ちゃん。訓練どうだった?」

「全然ダメだぁ。何とかしてちゃんとこなせるようにしなきゃ」

「大丈夫。遥ちゃんならこなせるって。阪口飛行隊長も十分見込みはあるって言ってたし」

「そうかなぁ?私には全然ないと思うし、阪口少佐の勘は・・・」


と、ここで会話は打ち切りられた。

他の搭乗員達が本舎前に集合し始めた。


「二人とも、今日の訓練について中隊長から話があります。本部まで来てください」


赤羽に呼ばれ二人も本舎に向け駆け出した。




「本日の訓練、ご苦労だった。では始めに」


本舎前に集合した8人の前で話し始めたのは、戦闘機隊第一中隊長 長谷川 岳望 中尉だ。


「今回は新人の武本も入れての初訓練であったが、皆よくやってくれた。まず武本だが」


いきなり自分が呼ばれ、一瞬たじろいたような気がした。


「初めてにしてはよくできていた」


意外な答えだったが武本はほっとした。


「ただし、あくまで今日はだ。実戦はとても無理ということは自分でも分かるはず」

「はい・・・」

「栄えある瑞鶴飛行隊の一員になりたければ日々の鍛練を怠らないことだな」


結局釘を刺された。


「それと柴田。貴様は相変わらず左にそれがちだぞ。もっと平行感覚を保て」

「はっ!」

「竹下は良くなったな。今度はもっと内側をとぶようにしろ」

「わかりました!」

「よし、では以上で本日の飛行訓練を終わる。解散!」

「はっ!」


話を聞き終えた武本達は皆食堂へと向かう。


(一員になりたければ、か)


まだ仲間として認められていない。

一刻もはやく上達しなければならない。

そんなことは分かっている。

しかし本当に自分にできるだろうか?

いや、ここに配置となった以上、任務を全うしなければならない。

もうとっくに昼を回り太陽は西の空に傾き始める。

その空を艦攻が一糸乱れぬ見事な編隊で飛んでいく。

武本は思う、これが「瑞鶴飛行隊」なのだと。

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