R.E.C. ファンクションコントロール

開拓

00

 まるで生活感のない静謐な小部屋に、無数のブロックが散らばっている。

 積み上げて遊ぶために作られた原始的な玩具は、所有者に構ってもらえず、所在なげに転がっているだけだ。

 どのような構造物を望み、組み上げていたのか。それは所有者に訊ねなければわからない。

 ある操作を加え、ブロックを拾い上げようとした時、小部屋の奥からカノジョのか細い声がきこえた。

「私は、〝ここ〟で神様になってしまうんだね」 

 カノジョの声は、諦観に満ちていた。

 彼女は、緩やかな動作で移動し、こちらを向く。体温の無さそうな白い肌と、精密に整えられた記号のような黒髪が、カノジョをどこか浮き世離れしたもののように映す。

 そう簡単に神様にはなれない、と応えてはみたけれど、その言葉はどこまで本心なのか分からない。確かに、〝そこ〟ならば、それを可能にしてしまう。更に言えば、カノジョの力をを以てすれば、不可能ではないのかもしれない。

 だけど、本当にそんな方法で良いのだろうか?

 その行為が、何よりも失いたくなかった彼女と、永遠に会えなくなるかもしれない危険を孕んでいるというのに。

 

 崩壊の始まりは、いつだって何気ない日常から始まる。

 カノジョが記した言葉の意味が、今は痛いほど理解出来る。

 カノジョがいなければ、多くの魂は無為に消えていくことになる。それだけは分かっている。始まってしまった崩壊の中で、致し方ない行為だと、分かっている。

 もしかしたら彼女は〝これ〟が生まれたその日から、自分に起こる事態を理解した上で、受け入れる準備を進めていたのかもしれない、とも思う。朧気に霞んでいく記憶の中で、彼女の言葉を手繰る。

 元より、カノジョに選択の余地などなかったのかもしれない。疲弊し、混迷したこの世界そのものに、選択の余地がないのかもしれない。

 〝この〟世界をカノジョが選んだ。そうなるように、仕組まれた。ただ、それだけ。そして、カノジョはそれを許容する。包括する。そして、皆がそれに委ねる。これでは本当に、神様のようなものじゃないか、と思う。

 恐らくは、知りすぎてはいけない。

 往々にして、秘匿される事実は、人間を苛む。十二分に理解しているつもりでも、僅かに期待してしまう。

 他に選択肢はなかったのか、と。

「お別れだ。もう、時間がない」

 そう呟いて、自分の声が震えていることに気づく。カノジョは困ったように微笑む。

「ごめんね……でも、その前に、あなたのデータを改ざんしなきゃならない」

 自分がこれから、カノジョとは違う大勢の一部にならなければいけないこと、この奔流から逃れられないこと、それらはカノジョにとっての最後の足掻きだということ、全てを理解した上で、頷く。

 蓄えた情報や能力は、すべて、始まりへ帰るのだろうか。

 いや、この表現はきっと、的確じゃない。もうすでに、始まっていたのだろう。知らないうちに、人間の中では何かが流転しているのかもしれない。自分の意志の及ばない、整理が行われているのだろう。そう思うと、空恐ろしい感覚に苛まれる。

「始まってしまったことだから……もう、選択の余地はないよね」

 俯きがちなカノジョは、こちらを見ることもなく呟き、

「ずっと一緒にいられたら、良かったのにね。皆、一緒に……」

 と、宙を見上げて言葉に詰まる。その表情は、窺えない。カノジョの視線の先を追う。同じ景色は望めない。見上げた先には、硬質な白色の天井が実感を伴って視界を遮る。何もかもが違う。見ているものが違う。

 カノジョに視線を戻し、

「大丈夫だ。きっと」

 と、告げた。カノジョはこちらを見て、

「そうかな? そうだといいな」

 と呟いて、複雑な表情を浮かべた。

 その場所からは、空が見えない。蒼く映える景色が、作為的に奪われた部屋に、叶えられない願いは頼りなく響いて、消えていく。

 いっそ彼女を連れて逃げだそうか、とも考えたけれど、混迷の中、どこに向かおうと、結果は変わらない。そして、そんなことをしても彼女が喜ばないことは分かっていた。彼女は逃げられない。それを望まない。

 僅かばかり沈黙が続き、小さな室内に無音が広がる中、天井に設置されたランプが点滅を始める。

 時間だ。皆の行動意識が、停止する。

 いずれ〝カノジョ〟は、神様になる。いや、正確には、神様のようなものになってしまう。繰り返し失敗してきたこの世界は、いつしか、絶対的な安寧を求めるようになった。試みの多くは徒労に終わり、安息とはほど遠い混沌が、世界の空気を澱ませていった。

 本当に、この世界はどうしようもないのだろうか? こんなことに、何の意味があるのだろうか? 彼らの策謀には、未来が見えない。 

 思考を止めない脳に、強い振動が伝わる。ああ、もうすぐ――。


 荒唐無稽に思える試みが幾度も重ねられ、その役目は今、カノジョの身に降りかかろうとしている。そんなこと、許せるはずがない。受け入れられるわけがない。

 カタリ、と音を立て、椅子に腰掛けていた彼女が、ゆっくりと立ち上がる。そして、永遠にも思える一瞬が、訪れた。硬質な空気を裂くように、彼女に問いかける。

「またいつか、会えると思うか?」

 そう告げると彼女は、儚げな表情を浮かべたあと、

「そうだね……いつか、世界がまた、始まるときに――」

 消え入りそうな声で呟いて、そして、彼女は消失した。その世界に、自分はいるのだろうか。

 その世界でカノジョは、幸せになれるのだろうか。

 僅かな隙を窺い、セフィロトに手を伸ばす。彼らの監視を逃れられるのは、一瞬だ。

 羅列された文字を眺める。REC、と簡素なフォントが画面上を這うようにして流れていく。幾度となく逢瀬を重ねたカノジョの姿も今はない。

 生命の樹と訳されるセフィロト。こんな大仰な名を冠したシステムが、全てを狂わせた。

 止めてくれ、と眼前に広がる〝もの〟に懇願する。耳鳴りが止まない。この身体はもうすぐ、自分の意志とは別種のものにすり替わる。コントロールが奪われる。早く、早く。

 焦る気持ちは、その、〝もの〟と自分を繋いでいく。自分から乖離した、魂の欠片が生まれていく。

 最後になるかもしれない述懐を心に浮かべ、離れゆく自分の欠片に願いを託す。

 その眼で、その感情で、世界を選別しろ。その全てをもって、世界を選定しろ。カノジョが背負わされた境遇を、拒絶してくれ。

 そして、どうか、この感情を忘れないで。

 〝彼女(カノジョ)〟をよろしく――。

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