七日目④
湾仔には、ビクトリア湾を望めるアジア最大規模の香港コンベンション&エキシビションセンターがあり、隣接するマリオット系列高級ホテルがある。
その名を、ルネッサンス香港ハーバービュー・ホテル。
敷地内にはゴルフのドライビングレンジ、大型プール、庭園、フィットネスなど香港でも屈指のレジャー施設を備えている。
そのホテル三階にある老舗レストラン、滿福樓(マンフーロー)は、滋味あふれる伝統的な広東料理が堪能できる老舗の名店である。
アイボリーとブラウン系でまとめられた、シックで瀟洒なインテリアがとっても優美な店内には、ハーバービューを望む大きな窓があり、天井は高く、実に開放的だ。
地元の上流階級のファミリーが飲茶を楽しんでいる姿が目立つ。
席についたときサクヤは、並べられた皿やティーカップに目が止まる。
「天女の図が描かれてる」
「ほんとだ。おしゃれだね」
メニューを見る二人。飲茶店ではなかったが、点心も用意されていた。
「やはり、これを頼まねば」
サクヤが注文したのは、海老蒸し餃子。
食べると、皮が薄く、海老もたっぷりブリブリだった。
「春巻きと海老パンもうまい」
「サクヤのいうとおり。ほんとにおいしい」
サクヤとトモは顔をほころばせながら、運ばれてきた品へ箸を伸ばす。
キノコの腸粉という、見た目が春巻きを茹でたような代物を頂く。ちゅるちゅるっとしたやわらかい薄皮の食感があり、XO醤ともよく合う。名前の語源は、豚の腸に似ているところからきている。粉が使われた料理には粉の字が入るため、『粉でできた豚の腸』みたいな意味合いだろう。
グルメガイドにもあった名物の数量限定、蜜汁叉焼を注文する。蜂蜜を塗ってローストした焼豚は、一日一回しか焼かない。
サクヤは、これを楽しみにして来たのだ。
しかし、
「Sorry, that is already sold out.」
と、スタッフの返事。
信じられない、とサクヤは瞬きを繰り返す。
「売り切れ……だと」
「残念だったね、サクヤ」
小さく笑うトモに、眉をひそめるサクヤは口を曲げた。
「なにが残念だ。チャーシューごときで嘆くサクヤではない。なにが残念だ、誠にもって無念です」
しかたなく、皮付き豚バラ肉のクリスピーポークを注文した。これも、香港の広東料理で頼まずにはいられない定番中の定番。サイコロ状に切りそろえられた十二個の肉片。パリパリっと皮が焼けていて、サクサクした歯触り。これに対し肉身はしっとりジューシー。塩気もほどよく効いている。
口に入れると美味しさに、ほお、と感嘆の声をあげたサクヤにつづいてトモもひと口食べる。
「さくさくっとした食感がすごいよ」
うなずいてサクヤも同意した。
「そうだな。じゅわーと染み出してくるポークの旨味。実にうまい」
チャーシューよりも好きかもしれない。新たな発見にサクヤの心は軽やかに弾む。
トモは遠くを見つめるような目をしながら息を吐く。
「やっぱり、海外旅行は人生が満たされる。結婚したらこんなこともできないからね」
もごもごと口を動かすサクヤは、ごくっと飲み込む。
「独身の特権ね」
「わたしの人生、結婚してなくても仕事と海外旅行で充分満たされてるから。サクヤもでしょ?」
身を乗り出して苦笑するトモの言い分を聞いて、サクヤは共通点に気がついた。
一つ目は、仕事ができる有能な女性ということ。有能だから収入もあり、海外旅行費の蓄えもできる。二つ目は、自己主張がはっきりしていて行動力があること。疑問も躊躇もなく渡り歩くのは、誰にでもできることではない。海外旅行へ一人で行く強さと一人で生きていくたくましさは同一のものかもしれない。
とはいえ、結婚となると途端に後ろ向きになるのはなぜだろう。海外旅行に行く喜びに勝る相手でなければ、踏み切るのは難しそうだ。
うまい言葉が見つからなかったサクヤは、別の話題に切り替えた。
「スパは良かった。リフレッシュできてさ」
「そうね。二十五過ぎたら温泉のありがたみがわかる、なんて誰かが言ってたけど、三十迎えたわたしたちにはスパのありがたみがわかるって感じね。サクヤもそう思わない?」
「思う思う」
小さく笑って、サクヤは息を吐く。
海外旅行を卒業するのは、体力の問題かもしれない。
自分の生き方が変わる瞬間は、望むと望まないとにかかわらず、誰にでもいつかは訪れる。海外旅行にはそれなりの体力は必要だし、のんびりした旅行にするとそれなりの費用がかかることも、今回の旅行で実感した。体力の低下にともなう卒業を意識して、今後の人生設計を模索する時期に入ろうとしているのだろうか。
「みんなで集まるなら、また来たいね」
トモの言葉にサクヤはうなずく。
「そうだね。今度はどこがいいかな」
「やっぱりアジアがいい?」
「テロに巻き込まれたくないし、半島の様子も気になるけど」
「世界情勢はチェックしておかないとね」
考えるのは帰国してからにして、サクヤは締めのデザートにマンゴープリンをいただく。カクテルグラスに入ってるなんて、おしゃれだった。
会計は二人で七百三十香港ドル。日本円換算、一人五千円はたしかに高い。
ホテル内レストランとあって、店の雰囲気、内装、サービスは行き届いていたし、一つひとつの料理に派手さはないが、丁寧に作られていて、満足できる食事を楽しめた。
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