罪の名のエーテル

夢野ピ子

プロローグ

 どうしても知りたいことがあった。

 目の前に広がる人の波を掻き分けながら、私は彼の名を呼んだ。彼、芹野奉一はどこに行った。またどうせ、今日も音楽室でサボっているのだろうけれど、でも、まさか、自分の卒業式に出なかったなんてことはあるまい。しかしながら、彼は気分屋の頂点のような存在でもある。思考が絡まり、体も人間の塊に押されて、気持ちが悪くなる。なぜ、卒業してもなお、私は彼の事を気にかけているのか。自問自答したくなる気持ちを飲み込んで、舌打ちと一緒に吐き出した。

 楽しそうに写真を撮る卒業生、その中に私はいない。芹野奉一もいない。私たちはイレギュラーであり、楽しそうな人間にはなれずに、脆い青春を終えたのである。茶色の髪を巻いて、長身の男と腕を組む彼女にも、冴えない同士が集まっているグループに存在している彼にも、彼らなりに人生があって、目が眩むほど嬉しいことも、死にたくなるくらいの悲しいことも経験している。だけど私たちは、自分の人生は尊重する癖に、他人の人生はさして見ていない。ある時は自分が一番幸せだと、ある時は自分が一番不幸だと思いこむ。それが世界規模にまで至るから、人間と言う生き物は傲慢である。「私が世界で一番不幸」と語るメスが大嫌いだよ、と、芹野奉一は八重歯を見せて笑っていた、あの音楽室を目指す。

 桜は咲き乱れ、そして散る。窓から見える光景は、その時だけ、私に青春と言うものを感じさせる。私の青春の日々はちっとも綺麗では無かったが、グラウンドとか、誰も居ない教室とか、そんな青春の切れ端みたいなものにノスタルジーを感じるのは、もはや日本人の特性なのだろう。思わず立ち止まってそれに見とれてしまう事も、そんな私がドラマのワンシーンみたいだと我ながら思ってしまう事も、当たり前の事なのだろう。

 そして、それを邪魔する存在の声が降ってくる事も、当たり前の事なのだ。


 「……浸ってんの? 大して高校生活に思い入れもないくせに。一過性の、卒業っていうイベントが持つ特別感に、あぁ今までのゴミみたいな生活も、悪くはなかったな――とか思ってる?」


 階段の途中にいた私を、上から見上げる存在がいた。その妙に鼻につく、とても語彙を捨てた言い方をすればムカつく声は、間違いなく芹野奉一だった。

 私は顔をあげた。そうしないと彼が見えなかったからだ。階段を登り切ったてっぺんに、彼は、芹野奉一はいた。さらさらの黒髪を靡かせ、着崩さずに着ている学ランの右胸にはピンクの花飾りが光っている。こんなおめでたい日にも、芹野奉一の目には生気はない。真っ白な肌を、窓から入る陽に透かして、私を見下して笑っていた。

 彼は突然やってくるし、気配が無いから気付かない。私はドラマのワンシーンごっこを見られた羞恥心なんかよりも、彼に聞きたかった最後の問いの事で頭がいっぱいになっていた。


 「芹野、ねえ、香月に告白しなくてもいいの?」


 私の声が、誰も居ない階段に響く。芹野奉一は、そんな私を見て、ふっと微笑んだ。


 「しないよ。迷惑でしょ、最後の思い出が僕なんかじゃ」


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