第1話 【助手】
十月十七(火)
「それで、今日はまた可愛らしい依頼人ですなぁ」
コポコポとサイフォンが音をたてながらコーヒーを完成へと導く中、夏目壮助なつめそうすけが穏やかな声を響かせる。部屋の片隅には大きな柱時計が鎮座していた。そんななか 今日も趣味で町の人の相談事を引き受けているのだ。齢七〇歳にして現役(気取り)の探偵をしている。その昔は警察に協力して難しい事件を解決したり、何年も解決に至らなかった未解決事件、いわゆるコールドケースを解決したりとそれは腕利きの名探偵だったと本人はよく言う。
「ほれ、隼斗はやと」
そんな声が聞えるも、夏目隼斗は事務所というか、リビングの端の机で聞えないふりを決め込む。隼斗にとっては今日の宿題である方程式の文章題の方が目玉がぶっ飛ぶほど難しくて重要なのだ。
「ほれ、聞えておるのじゃろ。ほれ、依頼人はお前さんの先輩じゃないか」
隼斗は当然、聞えている。依頼内容もここまで起きた三つの事件についても丸っと全部。とはいえ、先輩って言っても学年が一つ違って同じ学校に通っているっていう以外繋がりなんてない。自分が関わる義理なんてないという態度を示していることに気がついて欲しい気持ちを言葉にせず伝えているのだ。それでも、壮助には勝てないことを隼斗は気が付いている。
しぶしぶ問題集の角に折り目を付けた後で閉じると、部屋の中央に置かれているソファに移動して壮助の横に座る。正面には丸々と太った少年が腰かけていた。彼が今日の依頼人、丸山真弘だ。今日は学校の帰りにそのまま寄ったと見えて、ジャージ姿だ。隼斗や丸山少年が通う星の杜第一中学校のジャージは一言で言うと「ダサイ」。あずき色の上下に白い線が所どころに入るせいで、白玉ぜんざいみたいな色合い。同じ市内にある星の杜三中の生徒からは「あずきバー」なんて呼ばれる始末で、そんなジャージを白玉のような体形の彼が着ているとそれはもう、隼斗としては残念としか形容しがたい。
「で、なんで俺なの」
隼斗は分かり切った質問を壮助に投げる。
「お前が適任だと思ってな。探偵の勘じゃよ」
これが、壮助のキメ言葉なのだ。壮助は長めの白いひげを生やし、わざとらしく片目だけのお洒落なメガネをしていつもブラウンのスーツを着込んでいる。形から入る人なんだと隼斗はその昔、父親から聞いた事があった。見た目に騙されて依頼人がたくさん来るんだよなぁと隼斗はぼんやり思った。
「で、俺は何をしたらいいの」
丸山少年は目の前で進む壮助と孫のやり取りをただただ見ているしかない。
「探偵の最初の仕事は―――」
「依頼人の聞き取り」
「分かっておるじゃないか。どれ、わしは今回うってつけの助手がそろそろ到着する事だから駅まで迎えに行ってこようかね」
「聞いた俺が悪かったですよ」と言わんばかりの視線を壮助に向ける隼斗はさっきまで話し半分に聞き流していた彼の話を頭の中で少し整理しながら目の前の依頼人に質問をしていく。
「ってなわけで、この俺が今回の依頼を担当する事になったんでよろしく、先輩」
「え、あっ、うん。よろしく」
急に話しかけられて丸山少年はどぎまぎする。そのしぐさから読みとれる情報を隼斗は頭の中に入れていく。自分には絶対にないと思っていたパスを急にされた時にボールを落とすタイプの人間。注意力が無い。
「んで、先輩は俺のこと知ってますか?」
「えっと、一年…何組かは忘れちゃったけど夏目君だよね。夏目隼斗くん。陽子ちゃん、あ、二年の朝川さんに紹介されてきたんだ。月末までには解決して欲しくて」
「え、なんでそんなに急いで―――」
「お父さんとお母さんの結婚記念日があるんだ。ちょっとでも安心させたくて」
「わかりました、努力します。それにしても、知ってるんですね。俺、影薄いのに」
「え、いや、小さい町だからね。それに、おじいさん、有名だし」
隼斗はちょっといじわるしたつもりなのに、壮助のことで返されると調子が狂う。
「まぁいいです、ところでさっきまでの話なんですけど」
「あぁ、そうだった。最初に僕の机の上に生肉が積み上げられたのは今月の二日。教頭先生が見つけたんだ」
静かな教室。机の上に山盛りに盛られた赤々とした生肉と、腐臭ともいえぬあの独特な臭気。想像するだけでも気味が悪い。
「それで、単刀直入に聞きます。先輩はクラスメイトからいじめられてるんすか?」
その質問をすると丸山少年はぎょっとする。それはそうだろう。「あなたはいじめられていますか」と聞かれてそうならない方がどうかしている、かもしれない。
「いや、どうだろう。僕はそうされてるつもりはないんだよなぁ。まぁ、イジられるみたいなことはよくあるけどさ。ほら、僕、こんな体形だし」
そういって少年は自分の体を指差す。丸々と太ったその体を示されてまぁ、そうだろうなぁと思ってしまうのは残念ながら人の性だろう。ただ、中学生にとっていじめられるとイジられるとは決定的に違う。前者は所謂、加害者側だけが楽しんでいるもので、後者はされている側も一種の楽しみを共有しある意味では共犯的な楽しみを享受、演出するところにいじめとの違いある。と、信じたいみたいな複雑な中学生心理が働く。
つまり、いじめられているという事実を認めてしまう事が「かっこ悪い」わけだ。
「ふうん、じゃあ先輩はいじめられてはいないと」
「うん、そうなるかな」
「では、今回のみたいな所謂、嫌がらせをするような人、つまり犯人に心当たりはありませんか」
丸山少年はそこで深いため息をつくと、答えた。
「それが全くないからこうやって君の所に来たんじゃないか」
「じゃあ、もう少し詳しく。今までその、肉を盛られたのは何回ですか?」
カレンダーはあるかい、と聞かれ隼斗は窓際の壁に掛けられた近所の銭湯でもらったものを指差す。
「あぁ、ありがとう。ええとね、例の二日と五日の木曜、一三日の金曜日とで三回だね」
月曜、木曜と金曜日と曜日に関連はなく、数字も規則性は感じられない。無作為な選定の可能性も出てきた。
「ちなみにこんなこと聞くのも変なんですけど―――」
「いいんだ、何でも聞いてよ」
丸山少年は食い気味に応える。隼斗は「大丈夫です、聞くつもりだから」という声をぐっと押しこむ。
「置かれた肉って、どんな感じでしたか。その、食べられるようなやつ?」
「うぅん・・・僕も聞いた話でしかないけど部位的には食べられるよ。まぁ、スーパーとかでも売っているようなやつかな。でも、常温で長時間外気に晒されてたから実際食べるのは無理だったと思うけど」
「というと、その後、置かれていたモノはどうなったんですか?」
「あれは用務員のおじさんが片付けてくれたんだ。学校の裏に埋めたとか生ごみで出したとか僕もそこまでは聞いてないんだけどね」
そう言って少年は、メガネの位置を直した。メガネが幽かに埋まりだしている肉付きの良い顔は、メガネも元々顔のパーツでしたと言いださんばかりの様子だった。
「では、結論から言うと肉屋的な見立てで言ったら普通に手に入る食べれる様な部位の肉が積まれていたということで良いってことか」
うん、そうだね。と少年は頷く。かくいう丸山少年はこの地で二代続く丸山精肉店の御曹司にして三代目丸山精肉店店主を襲名予定なのだ。そのため肉に関してはそこらへんの中学生よりか断然、詳しい。その彼が言っているのであるのならば、恐らくそのあたりの情報は間違いないのだろうと判断が出来る。
「現実的に考えて――それだけの生肉を手に入れるのって誰にでもできると思いますか?その、肉屋的に考えて」
その質問に少年はうーんと唸ってわざとらしく顎を触る。そう、肝心なのは肉屋がどう考えるかなんだ。なんたって肉屋の息子の机の上に生肉を盛るなんて喧嘩を売っているとしか思えないぐらいの明らかな悪意を感じる。いや、挑発かな。いずれにしても、単純ないたずら心とは少し違う何かを感じるのは、あれだ、探偵の勘なんだろうと隼斗は思う。
「そうだねぇ、あの量を手に入れること自体はウチで買ってもいいだろうし、スーパーでも別に位の量ではあったかな。とてつもない量じゃなかった。両手で掬うくらいの量かな」
「わかりました、じゃあ肉の入手だけ考えたら誰にでも出来たってことですね」
とりあえず、誰にでもできたってことは肉の入手ルートから犯人を特定していくのは難しそうである。そこから推測するに、朝まで誰にも気が付かれることなく先輩の机の上に生肉を盛ることができたのは誰だったのかという線で調べるのがいいかもしれない。隼斗は脳内にメモをとどめる。
隼斗が何気なく窓の外を見ると、丸山少年もつられてそちらに目を向ける。さっきまでの青空はどこへやら、いつのまにか赤紫色に染まりつつあった。季節は一一月。日暮はぐんと早くなった。吹奏楽部に所属している丸山少年のような中学生が部活動を終えて帰ることにはもうすっかり暗闇になっていることも珍しくない。とはいえ、隼斗は特別活動部という名の帰宅部に所属しているので明るい間に帰宅することができている。
窓から目線を先輩に戻そうとしたとき、窓の外で車が止まる音が聞こえた。壮助が帰ってきたようだった。車のドアがしまる音が二回すると話し声が近づいてきた。
「おじいさん、帰ってきたみたいだね」
「うん」
丸山少年は隼斗と二人だけの時間が気まずかったのか、顔にわかりやすい明るさをたたえていた。
直後、玄関の開く音がして壮助が戻ってきた。
「戻ったぞー。ささ、入って。ここが事務所ですぞ、ほら、靴はそっちの端に寄せておくれ」
壮助の後に続いて玄関に現れたのは、
「はぁ」
隼斗は感想よりも先にため息が出た。なんでまた――
一言で言うと、でかい。横にも縦にも、力士とまではいかないけど身長は一七〇前後で、体重は絶対九〇キロは超えているだろう。わざとらしいぐらいの丸メガネは顔に埋もれんばかりであった。そんな隼斗の体の三倍ぐらいの質量をもった「助手」は汗を拭きながら我が家の玄関に現れた。
「はい、よいしょっと、それじゃお邪魔します」
白い無地のパーカーにジーンズとその辺のコンビニに行くようなラフな格好。丸々とした顔にはやっぱり、汗。あとなんとも形容しにくい、このにおい。
「わぁ!肉まんだ!」
席に声を上げたのは丸山少年だった。
「すごいなぁ、君。よくわかったね。さすが名探偵」
助手候補はその肉付きのせいで動いたのか分からない表情をわずかに緩めて少年を見た。
「あの、探偵は俺なんだけど」
気まずいぐらいの沈黙。これだから自分は助手なんていらないんだと何度も壮助に言ってきたのだと、隼斗は思う。そして、今度は分かりやすいぐらい「やってしまった」の表情が彼のこれまた肉付きの良い赤ら顔に張り付いていた。とはいえこれが、少年探偵:夏目隼斗と今回の助手である茂森篤夫しげもりあつおとの出会いだった。
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