美緒と狐とあやかし語り

星名柚花@書籍発売中

01:夏祭りの夜に(1)

(どうしよう)

 芳谷美緒よしたにみおは途方に暮れていた。


 今日は地元の神社の夏祭り。


 花のかんざしを挿し、華やかな赤い浴衣を着せてもらった美緒は上機嫌で屋台を見て回った。

 そうしてはしゃいでいるうちに祖母とはぐれ、迷子になってしまった。


 通りは多くの者たちで賑わっている。

 祭囃子が流れる中、行き交う彼らは、人ではなかった。


 二足歩行する狸に、べろんと舌を出した一本足の傘のお化け、頭に獣の耳を生やした子どもたち。


 中には人にしか見えない者もいるが、彼らと談笑している時点で普通の人間ではない。

 彼ら――あやかし。あるいは妖怪とも呼ばれるもの。

 美緒は祖母と同じく、生まれつき彼らを見る力があった。


 祖母曰く、村の北東、鬼門の方角にはあやかしたちの隠れ里があって、村にはそこから流れてきたあやかしが時折ふらりと現れるのだという。


 多分、ここはあやかしたちの隠れ里だ。


 空気の匂いも湿度も違う。

 ここに夏の熱気はなく、穏やかな春のように暖かい。


 通りの左右に並ぶ屋台は古めかしく素朴な造りで、頭上に吊り下げられた丸い提灯の中の火は意思があるかのように自由気ままに踊っている。

 金魚すくいの屋台では金魚が水槽の中でぺちゃくちゃ喋り、屋台の後ろで満開の桜が咲いていた。


 夏に桜が咲くなんておかしい。季節をまるで無視している。

 青い鬼火がすうっ、と目の前を通り過ぎて、美緒は後ずさった。


 いつの間にこんな場所に迷い込んでしまったのだろう。

 早く帰らなくては。

 でも、一体どうすれば帰れるのか。


 左手に下げた巾着袋をお守りのように握り締め、下駄を履いた足であちこち歩き回る。

 あやかしたちは山の上の神社に参詣しに行っているようだが、ついていくのはなんだか怖い。


 ふもとの赤い鳥居から神社へ続く階段沿いに赤い風車が飾り付けられている。

 規則的に配列された無数の風車が回る光景は圧巻だったが、風もないのに回っているのが異様に映り、美緒は逃げるように鳥居を後にした。


(どうしたらいいんだろう。誰か帰り道を知ってるかな……)


 心細さで泣きそうになるのを堪え、辺りを見回す。

 色とりどりの風車や独楽コマを売っているあやかしは人間に見える。


 真っ白の髪に抜けるような白い肌。

 垂れ目の美しい女性で、雰囲気が優しそうだ。

 あの女性に勇気を出して聞いてみようか。

 いや、リンゴ飴を舐めて歩いている豆だぬきの親子がいいかもしれない。


 誰に声をかけるべきか悩んでいると、ふっと辺りに影が差した。


「おや。キミ、人の子だよねえ? どうしてこんなところにいるんだい」


 顔を上げれば、浴衣姿の巨漢のあやかしが立っていた。

 通りを塞いでしまうほどに大きい。

 頭のてっぺんは吊られた提灯よりも高い位置にある。

 顔面に一つだけついた目玉がぎょろりと動いて美緒を見下ろし、全身の産毛が逆立った。

 なんだかこのあやかし、とても怖い。


 ――いいかい、怖いと感じたら、そのあやかしには近づいてはいけないよ。それは本能の警告だからね――祖母から言われた言葉が蘇る。


 友好的で優しいものもいれば、命を脅かすほど危険なものもいるんだと、あやかしと関わり合って生きてきた祖母は懇々と語った。


(ど、どうしよう。このあやかし、関わっちゃいけないやつだ!) 

 見えないふり、知らないふりを貫くべきだったのに、美緒はあやかしの一つ目を見てしまった。

 見えるということを、態度で表してしまった。

 視線で助けを求める。

 でも、目が合った首の長い女性は首を半回転させて顔を背け、猫の耳と二又の尻尾を持つ親子はそそくさと屋台の陰に隠れた。


「小さな子が一人でいるってことは、迷子なんだろう? ボクと一緒においで。お母さんの元へ連れて行ってあげるよ」

 巨漢のあやかしが手を伸ばしてきて、美緒は一歩引いた。


「わ、わたし、お母さんいないんです。五歳のときに死んじゃって。お父さんは顔も知らないし。だから、おばあちゃんと来てて……」

「おや、それは悪いことを言ってしまったかな。じゃあおばあちゃんのところに連れて行ってあげるよ」

「いいです、一人で帰れますから、大丈夫です」

 両手を振り、さらにもう一歩下がる。


「あやかしの厚意を無碍にするものじゃないよ。いいからおいで」

 巨漢のあやかしが美緒の肩を掴もうとしたとき、後ろからやって来た誰かに右手を強く引かれた。


「わっ」

 たたらを踏んで後退した美緒と入れ替わり、その子は美緒の前に立った。

 あやかしから美緒を守るように通せんぼして、両手を横に広げる。


(――だれ?)


 背丈は美緒より低い。八歳の美緒と同じか、いくつか下か。

 着物は白で、帯は青。恐らくは男の子。

 男の子の頭には狐の耳が生え、警戒した猫のようにぴんと立っている。

 尻からは立派な尻尾が突き出していた。


「この子に触らないで」


 震えながら、それでも男の子はきっぱりと言った。


「……なにかと思えば、ふん。狐の子ではないか。百年も生きる大妖怪に向かって生意気な。おとなしくその子を渡せ。さもなくば、もろともに食ってしまうぞ」

 巨漢のあやかしは優しかった口調を一変させ、浴衣の前をはだけた。


 覗いた腹は裂け、ぱっくりと大きな口が開いている。

 涎が鋭い上下の歯を繋いでいるのを見て、美緒はものも言えずに震え上がった。


 もしも男の子が助けに来てくれていなかったら、今頃美緒はどこかに連れ去られ、食べられていたかもしれない。


「そ、そんなことしたらアマネ様の罰が下されるよ。みんなだって怒るし、ヨガクレで暮らせなくなるよ。それでもいいの?」

 男の子の気弱な抗議を、巨漢のあやかしは鼻で笑い飛ばした。


「ははは。罰が怖くて暮らせるものか。これまで色んなものを食べてきたが、狐の子は食べたことがないなぁ。どれ、ちょいと味見してみよう」

 巨漢のあやかしは卑しい笑みを浮かべて男の子にその魔手を伸ばし、華奢な肩を掴んだ。


「止めて!!」

 美緒が血相を変えて叫んだ刹那、巨漢のあやかしは打たれたかのようにびくりと大きく震えた。


 美緒の叫びに怯んだわけではない。

 巨漢のあやかしの目線は美緒の背後、屋台の上あたりに向けられていた。


「……ああいや、怯えさせてすまなかったねぇ」

 巨漢のあやかしは手を引っ込め、口調を再び穏やかに改めた。


「どうやら調子に乗りすぎてしまったみたいだ。冗談だよ冗談。忘れておくれ」

 自らはだけた浴衣を整え、やや早口でそう言う。

「もう二度と悪ふざけはしないと誓うから、ボクのことは忘れてほしい。じゃあ、そういうことで!」

 巨漢のあやかしは早足で歩き去った。


「…………?」

 一体何が彼を怯えさせたのだろうと振り返る。

 その瞬間、視界の端――焼きとうもろこしの屋台の上でさっと何かが走ったような気がした。

 目を凝らしてももう何も見えない。

 ただ暗がりが広がるばかり。


(なんだかよくわからないけど助かった……みたい?)

 前方に視線を戻すと、既に巨漢のあやかしの姿はなく、男の子が座り込んでいた。

 俯いて胸に手を当て、大きく息を吐いている。狐の耳が垂れていた。


「大丈夫?」

 前に回り込んで屈むと、男の子が顔を上げた。

 初めて正面から見るその顔は女の子のように整っていた。

 金色の瞳は大きく、提灯が照らす髪は狐の耳や尻尾と同じ純白。

 肌も雪のように白い。


「うん。大丈夫。ちょっと腰が抜けて……」

 やはり相当に怖かったらしく、男の子は青白い顔で苦笑した。

 感謝と申し訳なさで胸が詰まる。

 自分よりも小さな子が、気力を振り絞って助けてくれたのだ。


「……立てる?」

 手を差し出すと、男の子は一瞬驚いた顔をしてから笑って美緒の手を取り、立ち上がった。

「恩返しができて良かった。おとぎ話の王子さまみたいに、格好良くできなかったのがちょっと残念だったけど」

「恩返し?」

 思いがけない言葉に、美緒は首を捻った。


「ぼく、あなたに助けられたことがあるの。四ヵ月くらい前、現世うつしよを散歩してたときに。――覚えてない?」

 美緒を見つめるのは綺麗な金色の瞳。

 お月様のようだ、と思い、既視感に襲われた。


(――そうだ、わたしはこの目を知ってる)

 月を思わせる金色の瞳と、腕の中で震えながら、縋るように自分を見上げる子狐の目がぴたりと重なり、美緒は「あっ!」と声をあげた。


「あなた、カラスに突っつかれてた狐!?」

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