稲荷山Part2/絆
旦那と離婚してすぐ
お母さんを京都に誘った
自分でも
出来の悪い娘だと思ってる
女手ひとつで育ててくれて
結婚のときには大金を用意してくれた
それが結局十年ももたず
九つのひなただけが残った
稲荷山に行かなければ、と
ずっと考えていた
お母さんは今年六十二になる
足腰も強い方じゃない
あの石段を登るのは
そろそろきついだろう
もう今しかない
今までの蓄えとわずかな慰謝料と
本当に今しかなかった
稲荷山に行かなければ
お母さんとここに来るのは五度目らしい
ただ
私が覚えてるのは一度だけ
今のひなたと同い年のときだ
二十六年も前のことなのに
この景色をはっきり覚えていた
無限に続く赤い鳥居と石段
鳥居に書かれた不思議な文字の列
今見れば何でもないことがわかる
ひなたはすごい
まるでバネみたいな体をつかって
すごいスピードで登っていく
あのときの私もあんなふうに
つむじ風の如くどんどん登ったはずだ
気がつくと
お母さんはずいぶん下の方にいた
鳥居にすがるようにして
一本、一本、
一段、一段、
登っては止まり
先を見上げ
私の顔を見つけて
ぱっと笑った
その顔に
私も笑って返そうとして
涙でぐしゃっとなる
お母さん
いつまでも元気でいて
顔をごしごし拭いて
私は石段を戻る
お母さんの手を引いて見上げると
ひなたはちゃんと待っていた
ひなちゃあん
お母さんが手を振ると
ひなたは風のように駆け下りてきて
おばあちゃあん
ママと三人で写真撮ろう
ひなたは自撮りなんてお手の物
ちゃんと最高の写真を撮ってくれた
茶屋はそこにあった
二十六年前と少しも変わらず
参道の脇に佇んでいた
お母さん
ほらお茶屋さん
わたし覚えてるよ
おばあちゃんいたよね
そうよ
おばあちゃんはすでにいなかった
聞けば十年ほど前に山を下り
少しの間病気をして亡くなったという
今やっているのはその娘さんだった
母の菩提がすぐ上の塚にあります
もしよろしければ会ってやって下さい
その人は訛りのない話し方で
とても丁寧にそう言った
山を下りるときも
ひなたが先頭をゆき
私はお母さんの手を引いてゆっくり下りる
お母さんがふいに
はるか、ありがとうね、と
小さくけれどはっきりと
私の背中ごしに言った
私は振り向かずに
大きく二回頷いた
二人でいるときは必ず
早く早くと急き立てるひなたが
今日はただの一度も急かすことはなかった
優しく育ってくれていたひなたの
細くぴんと張った背中が
とてもとても凛々しくて頼もしい
からだ中の細胞が成長していて
エネルギーに満ちあふれている
どんなことでもやっていける
どんなことでもやりなさい
この愛しく若いいのちに
私が募らせる思いはきっと
お母さんが長い間私に思ってきたことと同じ
こんなにも私を愛してくれていた
ありがとうお母さん
私たちは
親子というまどろっこしいいとなみを経て
生物としての根源的で普遍的な感情を
ずっとずっと紡いでいく
お茶屋さんがそうだったように
お母さんから私
私からひなた
そしてひなたからその子供へ
順番におもいをつないでいくんだ
だから
私はまた稲荷山を登るだろう
もしかしたらその時には、と
そこまで考えて
今は今を精いっぱいに生きるんだ、と
私はそう思い直すことにした
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます