少女を抱え車へ向かって駆け出した。

 かわそうとしたが、少女の肩によろける魚人の手がかかる。

 ヘッドライトの逆光の中、運転席から降りた人影が動くと、乾いた音が鳴り響いた。 


 銃声?

 身をすくめるも、魚人も動きをも止めているのに気付き、構わず走り続けた。


「助けて!」

「あれ? 郁海いくみちゃんだ」


 車に辿たどき人影に助けを求めると、聞き覚えのある声が返された。宗也そうやさんのまるで緊張感のない語り口に思わず脱力する。

 少女――キィと呼ばれていたか――の様子にも気付いているはずなのに、何も問わず浜辺を凝視している。


 月明かりに照らされる海面に、何かが浮かび上がる。

 それが魚人の頭部であることに気付き、次々と浮かび上がるその数に総毛立つ私に、宗也さんは軽い調子で言い放つ。


 「乗って」


 あわててキィを押しこめ、わたしも飛び乗ると同時に、車は急加速し浜辺を後にした。


 まだ心臓がバクバクいってる。

 おこもりというのは、が来るから外に出ちゃいけないんじゃあないか?

 灯りの消えた町を跳ね回る、魚の顔を持つものたち。自分が知らなかっただけで、毎年繰り広げられていた光景なんじゃあないか?

 ふとそんな事を考え怖くなった。


 落ち着いてくると、青臭い匂いと身体に付いてしまったべたつきが気になって仕方ない。

 宗也さんは何気ないふうに、クーラーを切りウィンドウを下ろした。

 わたしも無言で自分側のウィンドウを下ろす。


「女の子相手に言うのもなんだけど、やっぱり臭うよね」


 そう思うなら口にすんなよう!

 デリカシーの無さにあきれるが、本人に悪気がないようなので、怒る気にもなれない。

 キィは後部座席で半眼のまま大人しくしている。ショックを受けた様子でないのが救いだ。


 いったい、誰がこのあと車内の掃除するんだろう……?

 つまらないことが気になったが、男性と精液の話をする気まずさを避けるため、私は別のことをたずねてみた。


「さっき使ったの、ひょっとして本物の銃ですか?」

「そう思う? なあに、紳士のたしなみだよ」


 宗也さんは指で銃を作り唇を歪めてみせた。ニヒルな仕草のつもりだろうけど、まるで似合っていない。


 間が良いのか悪いのか、辿り着いた郷土資料館に館長の姿はなかったが、宗也さんの独断で、宿泊施設のシャワーを借りることになった。


「ちょっと、この子の服どうやって脱がすんですかあ!?」


 一緒に洗ってあげてねという宗也さんに、当然かつ深刻な疑問を投げかけると、彼はのんびりと信じられない応えを返した。


「ごめん。僕も知らないんだ」

「……あとでぜんぶ説明して下さい」


 すまなそうに笑って見せる宗也さんに、ため息まじりで首を振ってみ、わたしはぼんやりしたままのキィを更衣室に押し込んだ。今は一刻も早くけがれを洗い落としたい。


 手早く服を脱ぎ、それをタオル代わりに、キィの身体にこびり付いた精液をき清める。どのみちもうこの服は着られない。

 暑苦しい拘束着こうそくぎを脱がせにかかるが、留め具だと思っていた黒いパーツは、外せる構造をしていない。金属のようにも陶器のようにも見えるそれは、簡単には壊せそうもなかった。


 白いエナメル革のほうも、破ったり裂いたりできる強度ではなかった。

 拘束着の本来の目的を考えれば当然か。だけど、キィはなぜこんな物を着せられているんだろう?


 ――薬を飲まされてるのかな? 

 ぼんやりとしたままのキィの表情で思い当たる。暴れたり、自傷癖じしょうへきがあったりするのだろうか? それならなぜ同行しているのが医者や看護師ではなく、自称素人民俗学者の青年なのか。


 ――ひょっとして、薬漬けの少女を監禁かんきんして連れまわすサイコパス?

 気弱そうな宗也そうやさんの顔を思い出す。なんとなくだが、やっぱり違う気がする。私やユリカに車内のキィを見られてもあわてた様子はなかったし、なによりこうしてキィに逃げられてしまっている。犯罪者としても介護者としても失格だ。


 服を脱がすのは諦めた。幸いな事に、首周りはぴったりとしていて、中に精液が流れ込んだ様子は無い。狭いバスルームで、寄り添って冷たいシャワーを浴びた。

 冷水で充分に精液を洗い落とすと、そのままシャンプーを掛けキィの髪を洗い始める。臭いが残らないようにと、贅沢すぎるほど使ったら、2人でボトルを空にしてしまった。


 あとで買って返さないといけないかな?

 まだ洗い足りないくらいの気分だったが、替えが見当たらないので諦める。


 バスタオルで身体を拭く段になってようやく、着替えがないことに気が付いた。

 ゴミ箱に投げ入れた衣服は、たとえクリーニングに出したとしても二度と着たくはない。少し躊躇ちゅうちょしたあと、脱衣室から顔だけのぞかせ、宗也さんに着替えを要求した。


「すみませーん、なにか着るものないですかー?」

「ごめんね、気が利かなくって」


 用意されたのが男物のシャツとスラックスなのは仕方がない。でも、トランクスだけは迷った末に辞退した。

 さっぱりしてキィの髪を乾かしていると、宗也さんは気になることをつぶやいた。


「結果論だけど、これで良かったのかも知れないな」

「どういうこと?」

「君がおこもりに参加せずにすむということだよ」



https://kakuyomu.jp/works/1177354054884676877/episodes/1177354054884710632

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る