第204話 吸血鬼
「ひゃっ!」
冷水が首筋を伝い、奇妙な声と共に意識が覚醒した。焦点の定まらない目で周囲を見回し、少女は己の現状を把握しようと努める。
「ん? 起きちまったのか…… 可哀想に、眠っていれば苦しまずに済んだものを……」
どうやらここは地下室のようだ。唯一の光源を持つ男が、少女の声に気付いて話しかけてきた。
「それは一体どういう――」
男の方へ進もうとして体が動かないことに気が付いた。少女は闇に慣れてきた目で己を確認すると、座面に穴が開いた奇妙な椅子に縛りつけられていることに気付いた。
衣服は剥ぎ取られ、全裸の状態で椅子に縛りつけられている。手は後ろに回され、手枷を付けられているのだろう、大きく足を開いた状態で足首と膝を固定されており、羞恥心から局部を隠すことすら叶わない。
「ここは一体どこですか? 私に何をするつもりですか?」
「まあ、そうギャンギャン喚きなさんな。可哀想だが、あんたの運命はもう決まっちまってるんだ。説明してやるから暫く待ってな」
男は億劫そうに応じると、屈んでいた姿勢から両手を払って立ち上がり、燭台を拾い上げて少女に近寄った。
近寄られたことで露わになった男の姿は尋常のものでは無かった。肩幅の広い中肉中背の男性であり、これと言って目を引く特徴も備えていない。
しかし通常の人間は肩から心臓までを一直線に切り割られた状態で、暢気に会話などすることは叶わない。少女が恐怖から息をのむ。
「ああ、これかい? ちっとドジを踏んじまってね、薪割りの斧でバッサリやられたよ。お陰で左手がまだうまく動かないんだよ、困ったもんだ」
男は然程困った様子でもなく言い放つ。奇妙なことに断ち切られた傷口からは一滴の血すら出ておらず、よく見ると傷口が蠢いているように見えた。
「そ、その傷で何故生きているんですか?」
少女は震える声で問いかける。無論答えなど期待していなかったのだが、男はあっけらかんと答えた。
「そりゃあ俺が『吸血鬼』だからだよ。真っ二つにされても死にやしないんだ、この程度は不便なだけさ」
『吸血鬼』。少女はその言葉に聞き覚えがあった。盲目の聖者が現れる少し前から難民区に出現する魔物の名前だ。
曰く、闇より現れて人の生き血を啜り、素手で人間を引き千切る剛力と、如何なる傷をも瞬く間に治してしまう不死身の化け物。
その恐ろしい悪鬼が目の前の男だと言うのだ。確かに不死身ではあるが、瞬く間に傷が治るわけではないようだが。
「わ…… 私をどうするつもりですか?」
「んー、俺には学が無いから上手く言えねえんだが、こうすりゃ判るかい?」
男は燭台を置いて頭をぼりぼりと掻きむしりながら答えると、再び燭台を手に持って部屋の奥を照らした。
「ひっ!」
少女が鋭く息を飲んだ。そこには少女と同じように奇妙な椅子に縛られた女性が居た。虚ろなその目には意思の光などなく、半開きの口からは涎が垂れたままとなっている。
いつから囚われているのか垢と脂にまみれた髪がべったりと体に張り付き、女性の悲惨さを際立たせていた。
そしてその女性は妊娠していた。はち切れそうな大きなお腹をしており、時折腹部が痙攣するように動いている。と、水音とともに破水し、突然の出産が始まった。
「おっと、いけねえ。始まっちまった。ちょっと待っててくんな」
男はそう言うと燭台をテーブルに置き、女の股の下へと木製の桶を据え付ける。じゃばじゃばと言う水音に混じって固形の何かが産み落とされる音がしている。
男は手慣れた様子で臍帯を切り、あろうことか口に放り込んで咀嚼し始めた。目を覆いたくなるような凄惨な光景に絶句していると、男の体に異変が現れた。
しゅうしゅうと蒸気を噴き上げ、傷口同士が蠢き合って繋がり合い、癒着していく。男は首を回し、次に肩を回して手の動きに問題がない事を確認して頷いた。
「やっぱりこの血肉が堪らなく美味いな。まあ、こいつもあと2、3回は産んでくれるだろう。後でお医者様を呼んでやるからな」
そう言って意外に優しい手つきで女性を撫でる男。少女は混乱の極致にあり、狂気に蝕まれる直前であった。
「一体何なんですか、貴方は!? その人は赤ん坊を産んだんじゃないんですか?」
「言ったろ? 『吸血鬼』だって。こいつだけじゃないんだがね、この状態になった女が産むのはこれだ」
男は木桶を燭台の明かりの下へと持ってくる。破水した血液混じりの羊水に浮かぶのは蛙のように頭が潰れた赤ん坊。泣き声を発さない、明らかに生きてはいない肉塊に少女が絶叫した。
「まあまあ、落ち着きなって。どうせ生きていても潰されて材料にされちまうんだ、最初から死んで産み落とされるなら罪の意識が薄れるだろう?」
「い、い、一体何を言って……」
唐突に地下室の扉が開き、新たな黒衣の男性が入ってきて声を掛ける。
「なんだ、起きちまったのか。それじゃ悪いが頭を押さえてくれるか?」
「はいよ。嬢ちゃん、ここまでだ。怖がるこたあねえ、最初だけ我慢すりゃ後は何も感じなくなる」
そう言って男は少女の頭を固定し、首を傾けて鼻の穴が上を向くようにした。男の力は凄まじく、少女のか弱い力では抗うことなど出来ようはずもなかった。
黒衣の男は金属皿からピンセットのような器具を用いて、赤黒く筋肉質な蠢く何かを摘み上げた。
それは蛭だった。鼻孔組織を破壊し、その先にある神経線維へ達すると蛭は特殊な体液を分泌する。
その効果は劇的で、絶叫を上げ、体を痙攣させながら暴れていた少女の体からくたりと力が抜け落ちる。男達は長い時間をかけて蛭の活動を見守った。
黒衣の男が蛭に結ばれた紐を引っ張ると、少し膨れ上がった蛭が引きずり出された。少女の目からは光が失われ、出産した女性のように半開きの口から涎を垂れ流している。
「そいつは鼻の奥の何を食ってるんですかい、先生?」
「脳だよ。脳の一部を食い荒らして、こんな風に恍惚状態にしちまうのさ。恐ろしい生き物だぜ全く。さてと、こいつは出産したのか。それじゃあ処置をしないとな」
「毎度、すみませんね」
「それが仕事だからな。それじゃ、この新しい奴の面倒も頼んだよ。それでもこの子は幸せさ、この子の妹に比べりゃね」
「ありゃ…… ってことはアレですかい? 子爵様のお目に止まっちまったんですか?」
「幼くて可愛い子だったからね。子爵様に弄ばれた末に、ここへ運ばれる妹は哀れだが、我々は何もしてやれない。それよりも父親に肩を叩き割られたんだろう? その傷は治ったのか?」
「先ほど臍の緒を頂きましてね。もうすっかり元通りでさ」
「まったく羨ましい体だね。自分がなりたいとは思わないがね」
医師は苦笑しつつそう言うと作業を続け、やがて扉を閉め、男から渡された桶を片手に、地下室から出て行った。
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