第202話 王都の人狼

 乾いた破砕音と共に粗末なドアが蹴り破られ、盾を構えた騎士が屋内に踏み込んだ。

 そこは有体に言って地獄であった。バラバラになった人体と、まき散らされた内容物。糞尿混じりの臓物と乾いた血液が放つ、猛烈な異臭に耐えかねたのか咳込む者もいた。

 そして部屋の突き当りに惨劇の舞台を作り上げた張本人が居た。薄暗がりに光る双眸、耳まで裂けた口、全身を覆う獣毛と言う異形の姿をしていた。

 化け物は咀嚼していた内臓を投げ捨てると、侵入者に対して低く唸り、邪魔者を排除しようと飛び掛かった。


 二足歩行の人型をしていながら、四足獣の姿勢で地面を蹴り、恐ろしい速度で迫る化け物が突如としてつんのめった。

 裏口から伸びる真っ黒の鎖が、その両足に絡みつき、化け物の動きを封じていた。


「『戒めの鎖トールケン・プレチャプタ』」


 厳かに言い放ち、口から鼻先までを布で覆った司祭が現れる。司祭を守るように立つ騎士が握る鎖は、化け物がいくら足掻こうともびくともしなかった。

 まるで生物であるかのように絡みつき、剛力で締め上げて化け物の自由を奪う。

 しかし全身を鎖で縛りあげられ、出血しながらも化け物は諦めようとしなかった。繋がれつつも地面を蹴り、唯一自由になる顎で噛み付かんと飛び掛かった。

 司祭の前に立つ騎士が、漆黒の槍を構えて呟いた。


「『磔刑の槍アスタム・デ・ディミティス』」


 迫る化け物に対して真っすぐに突き込まれる槍。長柄の槍は化け物を串刺しにし、それでも息絶えぬ化け物が蒸気を噴き上げて暴れる。

 しかし化け物が暴れられたのはほんの一時であった。液体を啜るような耳障りな音と共に、化け物が恐ろしい勢いで干からびていく。

 瞬く間に木乃伊ミイラと化した化け物は、騎士が槍を振るうと乾いた音を立てて砕け散った。


「では、焼き払いなさい」


 司祭の命を受け、騎士たちが動いた。司祭ともども屋外へ出ると、用意してあった斧を振るって粗末な小屋の柱を砕いていく。

 四隅の柱が叩き折られ、自重を支えきれずに屋根が落ち、家屋が圧壊した。

 そこに油壷が投げ込まれ、騎士が火を放った。たんぱく質が焦げる吐き気を催す悪臭を立てながら、惨劇の舞台は炎上する。

 その様子を遠巻きに眺める貧民たちを一顧だにすることなく、司祭と騎士たちは整然と立ち去って行った。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 王都に住まう平民たちは眠れぬ夜を過ごしていた。彼らを悩ませているのは『人狼』。突如として隣人が凶悪な化け物へと変貌するのだ。

 『人狼』は獰猛で、狂暴かつ残忍だった。その鋭い爪で、凶悪な牙で人々を引き裂き、むさぼり喰らう。

 昨日も貧民街で『人狼』騒ぎがあり、教会騎士団が派遣されたと聞く。法王様のお膝元である王都に於ける醜聞は、信仰を捨て堕落した者の末路だと断じられ、身内から『人狼』が出れば共に処刑される。

 平民たちは毎朝家族の顔を見るたび、化け物になる兆候は無いかを確認し、一心に神の慈悲を乞い願った。


「今度は貧民街で『人狼』が出たらしいぞ」


「ああ、そうらしいな。あそこは不信心者が多いからな、法王様のご威光も届くまい」


「まったく忌々しい。貧民街ごと焼き払ってしまえば良いものを」


「そうは言うが、奴らが居らねば汚物処理やドブ浚いは誰がやるというのだ。おりゃごめんだぞ」


 一見すると美しく見える王都は大きな歪みを抱えていた。王城を中心とした貴族街と、平民たちが暮らす外周部は城壁で隔てられ、更に下町から隔離される形で貧民街が形成されていた。

 それでもまだ王都の内部にある貧民街はマシな部類となる。税を払えず貧民に身を落としても、元はと言えば共に暮らした仲間である。

 下町と外とを隔てる最外殻の城壁で守られ、狂暴な獣や自然の猛威からは守られている。


 しかし城壁の外は違う。王都周辺の村々から逃げてきて、城壁の傍に粗末なテントを立てて住み付く難民たちがいる。

 村を追われた原因の多くは『人狼』だ。村人が突如として『人狼』となり、暴れまわっている間に村を捨て、逃げてきた難民たちだ。

 領主の保護もなく、王からも見捨てられた棄民。彼らがどのようにして糊口を凌いでいるかなど、市民たちは知りたくも無かった。


「貧民街で『人狼』騒ぎが出始めたのも、外の奴らが住み着いてからだろう」


「何の役にも立たぬのに、法王様の慈悲に縋ろうというのが厚かましい」


 外の棄民と内側の貧民、下町の平民たちは互いにいがみ合い、その鬱屈は溜まり続け、いつ暴動が起きてもおかしくない緊張をはらんでいた。


「それよりも聞いたか? 外の連中たちを喰らう『吸血鬼』が出たって話」


「ああ、俺も聞いた。『人狼』と違って肉を喰らわないが、干からびるまで血を吸う化け物らしいな」


「いっそ、その『吸血鬼』が棄民どもを皆殺しにしてくれりゃ、少しは安心して眠れるってのにな」


「違いない。さてお勤めに向かうとするか」


「そうだな。教会への奉仕と引き換えに頂ける聖水が魔を退けてくれるらしいからな。安息日とはいえ、うかうかしてたら出遅れちまう!」


 そう言って男二人は足早に立ち去っていく。誰しも藁にも縋る思いで、教会を頼っている。その威光は王を越え、法王の言葉は神の言葉として受け入れられていた。

 楽園教は急激にその勢力を伸ばし、貴族たちも王族派と協会派とに別れ、互いに牽制し合うという国難が顕在化しつつあった。

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