第164話 アンテ伯マーティエル06

 心臓。言わずと知れた生命の象徴とされた臓器。その役割は生有る限り血液を全身に巡らせ続けるポンプである。

 生を受けてから命絶えるその時まで、心臓は常に脈打ち続ける。片時も休むことなく動き続ける筋肉の塊。それが心臓。


 その心臓を塩水で良く洗う。大振りのカボチャほどもある心臓を4つに切り分け、鉄製の火箸に似た棒に刺して網の上に転がした。

 塩と胡椒を意図的に多く振りかけながらじっくりと火を通していく。

 何をしているのかと言うと、赤猪をしとめた4人の騎士への特別メニューを仕上げている。


 前述したように心臓というのは筋肉の塊だ。一般に良く運動する部位は身が締まって美味しいと言われる。

 ご多分に漏れず大抵の動物の心臓は美味しい。しっかりとした筋肉で、赤身肉特有の味と血の風味が相まって、窒息エトフェさせた鴨の味に似ている。

 食べやすいようにスライスせずに、塊のまま焼くことにも意味がある。肉をローストする際は、塊肉で焼いた方が肉汁を閉じ込めたまま焼けてジューシーで美味いのだ。


 火が通って縮み、肉汁を垂らしながら焼ける心臓は素晴らしく美味そうだ。中までしっかりと火が通ったのを確認して皿に載せた。

 従士たちが皿を受け取り、それぞれの騎士へと運んでいった。食欲を誘う香りが立ち込め、殊勲があった騎士の一人がその肉にかぶりついた。

 お上品にナイフで切り分けることなく、そのまま豪快に噛り付いた騎士は吼えた。


「う! うまいぞ! 音がするほどの歯ごたえに、素晴らしい旨み、それなのにさっぱりとしていて噛むほどに血の味がする!」


 見れば4人の騎士は口々に美味さを称えながらガツガツと旺盛な食欲を見せて貪り喰らう。

 他の騎士たちも羨ましそうに眺めているが、こればかりは勇者の特権なのでご遠慮願うほかない。

 実は火の通り具合を確認するために、俺は切れ端を味見しているのだが、美味いには美味いがパサついていてジューシーさが無かった。


 洗面器のような容器に入れられた肝臓を確認する。巨大な臓器は白い液体に浸かり、液体を紅灰色に染めていた。

 この液体は牛乳である。伯爵に頼んでもってきてもらった牛乳に漬け込み、血抜きをしているのだ。

 このひと手間を加えるだけで、肝臓から臭みが抜けてぐっと食べやすくなる。焼く前に水気をしっかり切るように伝えて従士に託し、俺とアベルは伯爵の許へと向かった。



◇◆◇◆◇◆◇◆



「こ…… これは『牛攫いアバクトール』! 使者殿は此奴を仕留められたのか!?」


「仕留めたというか、偶然殺してしまったというか…… 意図した訳じゃないんですが、不幸な事故で殺してしまいました。保護されている動物だったりしましたか?」


 俺とアベルは伯爵と共に再び執務室で相対していた。本題に入る前の繋ぎとして巨鳥の頭部を撮影した映像を見せていたのだが、伯爵が過剰反応を示した。

 無論写真など無い世界に於いて動画の特異性は語るまでもないが、それを差し引いても驚き過ぎだった。神聖視されている動物を倒したのかと焦ったが、言葉の響きからはそうでもなさそうだ。

 『牛攫い』と言うからには牛を攫って行く害獣扱いなのだろう。暴れる牛を攫っていけるという事は1トン近い重量をぶら下げて飛翔出来ねばならず。

 翼で飛翔できる限界をはるかに越えてしまう。物理法則に真っ向から喧嘩を売る存在に、つくづく地球の常識が通用しない世界だと思い知る。


「いや、失礼した。此奴は『牛攫い』。呼び名通り、度々牛すらを攫って飛び去る化け物で、何頭もの家畜はおろか、畜舎まで被害を受ける頭痛の種だったのだ。

 凄まじい風を纏い急降下してくるため、兵も手が出せずにいた。しかも矢も吹き散らされて通用せず、天災と諦める他なかったのだ。むしろ礼を言いたいぐらいだ」


 良かった。害獣駆除で済むようだ。まあ巨鳥側からすれば、丸々と太った獲物が一か所に集まっているのだから襲うのも無理はないだろう。


「大きすぎて持って帰れなかったので、首だけ切り取って持ち帰ったのですが…… もしご所望ならば差し上げましょうか? 仲間が腐りにくいように処置をしてくれているのですが」


 勢いで持ち帰ったは良いものの、全く使い道は無いので持て余し気味だ。欲しい人が居るのなら手土産代わりになる程度だったのだが、伯爵は目を剥いて驚いている。


「これほどの大手柄を譲ると申されるのか!?」


「ええまあ。持っていても邪魔ですし、食べられる訳でもないですしね。あ、これを畜舎に突き立てたら巨鳥避けになるかもしれませんね」


 俺としてはカラスの死骸をぶら下げてカラス避けにする程度の軽い気持ちだったのだが、伯爵は天啓を得たかのように大げさな仕草で驚愕を現している。


「流石は我が師が見込んだお方だ。『牛攫い』を倒す武勇と機知に、恐ろしい程の魔術の冴え。お名前を伺ってもよろしいかな?」


「私はシュウと申します。こちらが我らの代表でアベルと申します。ラテン語こちらのことばを話せないため、私が通訳を務めております」


 こうして使者としてではなく、個人としての立場を確立できた我々は『魔術師』が言伝してくれたであろう本題に切り込むことにした。

 我々は『魔術師』と同じく来訪者であり、元の世界へと帰るべく活動している。その目的のためにも大陸に活動拠点を構えたいと考えており、伯爵領に置いてほしいこと。

 対価として土地使用料や図ってもらった便宜に相応の礼をすることを約束し、こちらの世界では珍しい物も提供できることを伝えた。

 交渉は順調に進んだのだが、思わぬことで暗礁に乗り上げた。それは俺の持つ特異能力である瞬間移動。『カローン』を運び入れるにあたって公表は必須であり、隠し事は信頼関係を損ねるため正直に打ち明けたのだ。

 しかしこれが悪い方向へ働いた。領土を囲い、人の出入りを管理する側にとってこれほど都合の悪い能力もない。

 お互いが友好な関係を築ける妥協点を探りあうことしばし、10年ほど前まで最前線だった砦跡にのみ立ち入り可能とし、原則は伯爵側が内部を訪れて交流するという事でまとまった。


 お試し期間的な交流を通じてお互いの信頼関係を築いていければ、徐々に自由を認めると請け負ってくれた。

 最初の関門はなんとか突破できた。ここを拠点に大陸を巡り、最終的には王都にたどり着かねばならない。我々は漸く第一歩を踏み出せたのだ。

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