第154話 閑話 天国と地獄

 おっぱいはお湯に浮かぶ。初めて見るその光景に私は目を奪われました。

 サテラちゃんが湯船に浸かり込む瞬間。それは確かに浮いたのです。

 入浴で血色が良くなりミルクチョコのように染まったそれに思わず手を伸ばし、触ってみると確かに押すと沈み、そして浮かびます。


「ハルちゃんどうしたの? くすぐったいよ~」


 サテラちゃんが体をよじるとお湯の中で暴れるおっぱいに目が釘付けになってしまいました。


「あ、ごめんなさい。見えている物が信じられなくて……」


 そのまま視線を自分の胸に向ける。慎ましく膨らんではいるものの、我ながら抵抗の少なそうな体型だ。

 もしやウィルマさんも!? と彼女は既にお湯から出るところだった。女性らしい優美さを損ねないままに引き締まり、ネコ科の猛獣を思わせる肢体は同性から見ても美しい。


「お風呂って気持ちいいね! シュウちゃんも入れたらいいのに」


 サテラちゃんが少し悲しそうにそう言う。この子は羞恥心がそれほど育っていないのか無防備すぎて心配になる。精神と肉体がアンバランスになっている。

 とは言え私もスパを利用する機会なんて初めてで、他人と一緒にお湯に浸かる経験も皆無であるため、シュウ先輩が事前に教えてくれた入浴の作法を守れているか少し不安になる。


 今日は大衆浴場の初稼働日。事前に周知していた事もあり、珍しい物好きの山妖精達も利用している。幸い山妖精の女性達は比較的幼い風貌の人が多く、コンプレックスを刺激される事もない。

 異世界こちらに来てからはずっと『カローン』のシャワーだけだったため、こうしてゆっくりお湯に浸かっていると疲れが溶け出していくようで心地よい。

 浴室に描かれている富士山も、男湯は男富士。女湯は女富士と違う図柄になっていると言われたけれど、私には違いが判らない。

 そもそも日本人であるシュウ先輩や日系人である私でもなく、生粋の米国人のグレッグさんが銭湯に詳しい理由が判らない。嬉々としてタイルに図面を転写している姿は異様ですらあった。


「ねーねーハルちゃん。そろそろ出ない? 熱いよー」


 見るとサテラちゃんが額に汗をかいている。少し長湯しすぎたようだ。


「じゃあ、でましょうか。最後にシャワーで汗を流しましょうね」


 そう言って浴槽を出ると、二人で連れ立ってシャワーブースへ向かっていった。



◇◆◇◆◇◆◇◆



 男湯は端的に表現して地獄絵図だった。

 そんな訳はないのだが、汗の臭いが充満しているような気さえする。ガテン系が好きな女性には堪らない光景かもしれないが、そっちの気が無い俺からするとむさ苦しいことこの上ない。

 ここは筋肉の楽園、もしくはマッチョの見本市と言ったとこだろうか。俺は体重こそ劇的に増えたものの、体積はほとんど変わらないため、浮力のサポートがある湯船の片隅で小さくなっていた。


 この体になって以来、引き締まった肉体になったと思っていたのだが、本物のマッチョに囲まれるとヒョロヒョロのもやしっ子にしか見えない。

 また肌の色もいけない。浅黒い山妖精達に加えて、黒人であるヴィクトル、ヒスパニック系のアベル、白人であるカルロスすらも俺よりは色がある。

 俺と『魔術師』、次にカルロスはこの浴室内で異様に目立つのだ。そして意外にも『魔術師』もカルロスも筋肉質な体つきをしていた。裏切り者め! 『魔術師』だけは頭脳派だと信じていたのに……

 まあ狩猟を生業なりわいとしてきた『魔術師』とデスクワーク主体の俺とを比較することがそもそも間違っていると思い直す。

 風呂に一番拘ったドクが入浴をしなかった理由が今更ながら理解できた。風呂好き民族の日本人としては入浴できる機会は見逃せないと勇んで入ったは良いものの、俺の体は風呂の熱を受け付けないようだ。

 熱は感じるものの、気持ち良くも血行が良くなる感触もない。温水プールに浸かっていればこんな感じじゃないだろうか? 虚しさがこみ上げるが仕方ない。命があるだけでも儲けものという状況だったのだから。


「うーん、広い風呂ってのは良いな。ベースキャンプを思い出す」


 そう言ってアベルが浴槽に身を沈める。ボディビルダーのような筋肉とは違う、無駄のない束ねたロープを撚り合わせたような引き締まった肉体だ。


「変電設備が出来たら電気風呂も作るんですよね? 楽しみだなあ」


 意外に風呂好きだったヴィクトルがそんな事を言う。黒人かつ軍人であるヴィクトルはそもそも体つきが違う。背骨が描くS字カーブに盛り上がった広背筋。

 体幹にしっかりと筋肉があり、末端に行くと締まっているというアスリート体型を天然で獲得している。俺もあんな体だったらスポーツが好きになれたかなと妄想してしまう。


「入浴の時間制限が無いのが良い。軍に居た頃は一人10分しか入浴時間が無かったからな」


 カルロスが珍しく愚痴を言っている。彼も風呂好きなのだろう。カルロスもまた凄まじい肉体を持っている。若返りの影響か、既に老いの影は見えず、ギリシャ彫刻のヘラクレス像かと見紛うような肉体美を誇る。

 俺は頭髪や眉毛、睫毛以外の体毛が無くなってしまったので、髭もじゃマッチョの山妖精やアベル達に混じると見劣りすること甚だしい。


「電気が使えるようになったんですし、扇風機や冷蔵庫なんかも置いて施設を充実させたいですねえ。銭湯と言えばフルーツ牛乳とコーヒー牛乳だと思うんですが、こっちでミルクを得ようと思うと山羊になるのかな?」


「隊商が犬を飼っていたらしいですよ。犬も哺乳類ですし、犬から取れませんかね?」


 ヴィクトルが予想外の事を言いだした。犬か、考えた事も無かったな。犬はお産が軽いので安産の象徴とされていたのは知っていたが、牛・山羊以外のミルクというものを想定すらしていなかった。

 飼育し易くて量が多く、安定して供給が望める乳。筋肉地獄に沈みつつ、そんな事を考えていた。

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