第138話 家族との団欒

 俺はコックコートを脱ぐとポケットの中から調味料や小物を取り出すと畳んで洗濯籠に入れる。形から入りたがる俺が日本で買い求めた品だが、汚れてしまっては台無しだ。

 調理が終われば即座に洗って油染みや汚れが残らないように気を遣っている。

 普段着に着替えるとハルさんが手招きするテーブルへと足を運んだ。


「シュウ先輩、お疲れ様でした。チーフ達はお酒が飲める席が良いと、山妖精達の所へ行かれたので私とサテラちゃん、スカーレットちゃん、グレッグさんが残っています」


 グレッグ? あ、そういえばドクがそんな名前だった。ドクが名前のように認識していたが『博士ドクター』なんて名前の奴は居ないなと思い至る。


「シュウちゃん、お帰りなさい! お料理はハルちゃんが温め直してくれたから、皆で一緒に食べようね」


 サテラがニコニコと笑みをたたえて、話しかけてくる。サテラの頭をくしゃくしゃとなでるとドクが声を掛けてきた。


「すまねえな、ちぃと話したいことがあったんでお邪魔してるぜ。んで、これが試作142号の『命の水ドクペ』だ」


 そう言うとビールサーバーのような容器から炭酸のはじける黒い液体がグラスに注がれる。既に3桁に及ぶ試行が繰り返されているという事実が恐ろしい。

 独特の風味を持つこの飲料を好むのは俺とドクだけであるため、ハルさんとサテラのグラスにはジンジャーエールをスカーレットの深皿にクランベリースカッシュ注いで乾杯する。

 スカーレットが乾杯できないことに不満そうだったので、彼女の深皿にもグラスを合わせて乾杯すると満足そうに頷いている。


 まずはドクが情熱を注いでいるドクペ142号に口をつける。俺の舌にはもう市販のドクペと変わらないように思うのだが、ドクは満足していないようだ。

 良く味わうと確かに後味が違う。炭酸を含んだ液体が喉を通った後に残る風味のようなものが若干爽快感で劣っている。


「うーん。良く出来ているとは思うけど、85点ってところかな? 飲んだ後の風味が少し違う気がするよね」


 そこなんだよな! とドクは理解者が居て嬉しそうだ。ドクペが如何に奇跡のバランスで成り立っているのかを話し始めたのを聞き流し、料理に手をつける。

 大皿からハルさんが取り分けてくれたエビチリを口に含む。山妖精のテーブルに運ぶ分は唐辛子を追加で入れているが、それ以外はほんの少ししか入れなかったためピリ辛未満の微妙な辛さだ。

 異世界の海老は大型化しているというのに大味でもなく、良く締まってプリプリとした身から旨みが口に溢れかえる。


 失敗した。この海老は美味すぎる。ここまで旨みが強い素材なら、下手に小細工せず単純にエビフライにした方が引き立つだろう。

 胡桃くるみのような風味すら感じる甘い身は、チリソースの甘みと酸味、辛みとゴマ油の風味で少し相殺されているが美味い。

 やはり赤い色を好むスカーレットはモリモリと凄い勢いで食べている。

 辛みを抑えたおかげかサテラが満面の笑みで食べているのを見ると、父性本能というか大人としての喜びを感じる。

 子供が美味しそうに食事をする姿というのは何ものにも替えがたい充足感を齎してくれる。


 一度ドクペで口の中をリセットし、海老のビスクを一匙掬って口に含む。

 甲殻類特有の香ばしい風味とトマトのコクと旨み、生クリームの滑らかさに香味野菜の味わいが潜んでいる。

 これだけ香ばしい風味が出るなら、ソースアメリケーヌでポワレにした方が海老そのものの美味さを味わえると思う。

 海老ミソがスープの中に溶け込んでいるので濃厚な風味が味わえるのは美点だろう。


 料理を味わっていると炊飯器が蒸らしも終わったよと機械音で知らせてくれる。

 いそいそと歩み寄り炊き立ての蒸気を胸いっぱいに吸い込む。ああ、甘美なるこの香り。日本人に生まれて良かったと思う瞬間だ。

 お米を上手く食べられないスカーレットには一口大のおにぎりにし、それ以外の全員に椀に持った白飯を提供する。

 エビチリと白飯だけでもご飯がお代わりしたいほどに進むが、メインはアワビのステーキだ。


 『ブール・ノワゼット』ソースに浸したアワビを一口大に切ると噛み締める。ムッチリとした食感はそのままに限界を越えた途端にブツリと弾ける柔らかさ。

 ブールとはバターであり、バターの油脂成分以外がノワゼット。つまりヘーゼルナッツのような香りと色を作り出している。

 バターを焦がす過程で揚がったたんぱく質や糖質が旨みとなり、アワビの旨みと合わさりお互いを引き立てあう。

 不思議と濃厚なアワビとご飯がよく合うのだ。お酒が飲めれば日本酒でキュッとやりたいとでも言うのだが、万が一にでも酔って暴れたら大惨事を引き起こす。

 涙を呑んで自重していると、俺の皿からアワビが一切れ消え、代わりの一切れが放り込まれる。


 犯人はスカーレットだ。どうも肝バターソース以外も食べてみたくなったのだろう。ちゃんと交換する辺りに几帳面さが窺えて面白い。


「もう一切れ食べるか?」


 スカーレットに訊ねるとコクコクと嬉しそうに頷くので、箸で摘んで口に運んでやる。

 それを見ていたサテラが何故か対抗心を発揮して、自分にもと促してくる。


「サテラのと同じ味だよ? スカーレットは違うけど」


「違うの! シュウちゃんから貰うことに意味があるの!」


 女の子は難しい。一切れ摘んであーんと口を開けているところに放り込んでやると、頬に手を当てて美味しそうに咀嚼している。


「じゃあ、次はシュウちゃんね! はい、あーん?」


 うひぃ…… これは恥ずかしい。ドクが明らかにニヤニヤと笑いながら眺めている。

 しかし、男としてこれを拒絶してはサテラに恥をかかせることになる。大人しく口を開いて食べさせて貰う。

 正直味なんぞ分からない。サテラが嬉しそうにしているので良しとしよう。


 カタンと言う音がしたのでそちらに目をやるとハルさんが椅子ごとぴったりと横に身を寄せていた。

 そしてアワビのステーキを一切れ摘むと、やはり口を開けと促してくる。


「シュウ先輩! サテラちゃんは良くて、私はダメなんですか?」


 明らかにいつもと様子が違うが、涙目で上目遣いに迫られては拒絶できようはずがない。恥を忍んで食べさせて貰うとハルさんがもたれかかってくる。

 異常事態に驚いていたが、ほんのりとアルコール臭が漂っている上に、彼女は寄り添ったまま眠っているようだった。

 ドクに目を向けるとウォッカの瓶を振っていた。野郎盛りやがったな! ハルさんは未成年だと言うのに無茶をしやがる。

 不安定な椅子で眠るのは危険であるため、お姫様抱っこで抱えてウィルマのところまで運び、彼女の寝室へと連れていって欲しいと頼んだ。


 テーブルに戻り非難を込めた視線を向けると、ドクは苦笑しながら言い訳をした。


「ハルは理性が邪魔をして自分のやりたい事を押さえ込んじまう。折角なんだから少しぐらい羽目を外した方が良いんだよ」


 確かにハルさんが我侭を言うところなど見たことがない。ドクは人付き合いが嫌いなだけで、心の機微については俺よりも余程敏感なようだ。

 時々で良いからハルさんに構ってやれと言われ、お世話になっているのに充分なお礼をしていないことに思い至る。

 俺の足りないところを補ってくれる仲間が居る事を嬉しく思いつつ、これが俺の家族なんだと認識して団欒のひと時を味わっていた。

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