第七十七話 女王の艦隊 1/4

 エルデが使ったルーン、正確には精霊陣の効果は範囲睡眠ルーンであった。

 ぶっつけ本番と本人は言っていたが、船を覆うほど巨大な精霊陣が回るさまを見れば、失敗をしているとは思えなかった。

 認証文を唱えたのは「何か言わんとカッコつかへんから」という理由だった。それが多少恥ずかしかったのだろう。照れ笑いの意味はそれで、実のところルーンの効果については本人は一切不安など持っては居なかったのだ。

 とは言えエルデはセッカに命じて船内の様子を見てこさせた。全員が眠っているのを確認するというよりも、むしろ火を使っている所など、放置すると危険な場所があればそれに対処する必要があったからだ。


 セッカの帰りを待つよりも早く、シルフィード艦隊が動いた。

 斥候船が三艇、船に近づいてきたのだ。

 テンリーゼンが求めた会見要請に対する答えと思われた。

 三艘とも白い旗を掲げていた。自分達は白い旗を掲げている船を攻撃したというのに皮肉なものだとエイルは思ったが、もちろん口にはしなかった。

 テンリーゼンは再びシルフィード王国の旗を掲げて見せた。

 舳先に立つテンリーゼンの顔がよく見える所まで近づいた船から、叫び声とも歓声ともつかない声が響いてきた。


「陛下だ!」

「本当に陛下が!」

「間違いない、あのご尊顔は我らがイエナ三世陛下だ」

「シルフィードの宝石!」

「女王さま!」

「しかし、なぜこのような所に?」

「エレメンタルのお力だ」


 わきかえる斥候隊にテンリーゼン、いや彼らにとってのイエナ三世は固い態度を微塵も変えずに告げた。

「斥候、大義……である。疾く……艦隊の……司令官に……取り次いで……もらいたい……その際……こう……告げよ……この船は……我が腹心が……訳あって……ドライアド軍……より、接収……したもの……であり……この船は……既に……我が直轄……の、シルフィード……船籍の……艦で……ある。従って……王国軍海軍の……手出し、および……詮索……心配は……一切、無用である……と」

 テンリーゼンが話し始めると、興奮で湧き上がっていた斥候部隊は私語をやめ片膝を立てた姿勢で一言も漏らさぬといった緊張した面持ちで耳を澄ましていた。

「むろん……場合が、場合である……貴君らの……立場も……理解して……いる……ついては……詳細な……事情説明を……する……用意がある……しかし……司令官に……面倒は、かけぬ……我と、腹心数名で……旗艦へ……赴こう」

 テンリーゼンの申し出に斥候隊の隊長と思しき長身のアルヴが最敬礼を持って返事をした。

「はっ。ありがたき行幸にございます」

 テンリーゼンのシルフィード国旗の掲示により、一端中止されていた砲の投擲準備は、結局それ以上進む様子がなく、テンリーゼンが斥候部隊の船に乗りこみ、先触れ船が旗艦に戻る頃には投擲機の照準そのものが外された。


 二人の副官と一匹の黒猫を従えたテンリーゼンは、泰然として旗艦イークナイブへ乗り込んでいった。

 迎える艦隊司令官のトルマ・カイエン海軍元帥以下、その幕僚と主立った兵達は、マントをとったテンリーゼンの姿を見ると最敬礼をもってこれを迎えた。

 彼らの目にも目の前のアルヴィンがイエナ三世である事を疑う者はいなかった。銀髪であろうと、男物の旅装であろうと、むしろそれが「お忍び」である事を証明しているかのようで、本人である信憑性を高める効果があったと言える。


 テンリーゼンはさらに自らが本物である事を証明するように、自分から艦隊司令官に向かって声をかけた。

「元気、そうだな、トルマ」

 テンリーゼンの滑舌はここへ来て急速に良くなってきていた。テンリーゼンなりに「らしく」しゃべれるように緊張しつつ努力をしたのだろう。

 トルマは下げていた頭をさらに下げ、顔を甲板につけんばかりの状態で答えた。

「知らぬ事とはいえ、大変失礼な事をいたしました。申し開きの余地はございませぬ。いかなる処分であっても」

「その件は、もう、いい」

 テンリーゼンはトルマの言葉を遮った。もとより処分を望んでいるわけではないのだ。それよりも無駄な会話に時間を割きたくなかったのであろう。

「処分など、無用。今回は、こちらにも、落ち度が、あった」

「もったいのうございます」

 テンリーゼンは極秘行動中であることを告げ、取りあえずの人払いを申し出た。

「今から、話す、事は、国家の、一大事と、なろう」

 老元帥はテンリーゼンの言葉にハッとしたように顔を上げテンリーゼンの表情を確認するように見つめた後、躊躇うことなく承諾してテンリーゼンを船長室に案内すると、側近達に誰も入るなと命じた。

 船長室に一歩入ったテンリーゼンは、入り口の前で顔を見合わせるエイルとエルデを手招くとトルマに声をかけた。

「その者、達は、我が腹心だ。そもそも、話は、この、者達に、関係する、事だ。同席する、必要がある」

 トルマはテンリーゼンの命を受けて二人に恭しく礼をし、船室内へ誘った。


「陛下。お願いがございます」

 全員が部屋に入った時点でトルマがそう言って頭を深く下げた。

「なんだ?」

「恐れながら、我が腹心の同席をお許しいただければと」

 先に扉を閉じた後でトルマが慇懃にそう頼むと、テンリーゼンはしばらく考えるようなそぶりを見せた後でゆっくりとエルデに顔を向けた。

 エルデは小さくうなずくと、テンリーゼンに代わって尋ねた。こういう時に間を置かず、自分の意を汲んだ行動をエルデができるのだとテンリーゼンはわかっていた。いや、信頼していたのだ。それは長い旅の間にテンリーゼンが学習していたからだろう。

 テンリーゼンにしてみれば、おそらくこういう役割は本来アプリリアージェが担当すべきものなのだ。そのアプリリアージェと対等にやり合えるエルデを信頼するのは当然といえば当然かもしれない。だがエイルはそれをこの場でためらわずに行動に移したテンリーゼンの大胆さと決断力にテンリーゼンがエルネスティーネと血を分けた姉妹である事を改めて実感していた。


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