第七十六話 軍艦イークナイブ 2/3

 そんなとりとめも無い話をしている時でった。

 最初にセッカが異変に気付いた。

「おかしい。減速してる」

 立ち上がったセッカがそう言うと、エルデは即座に精杖ノルンを取りだした。

 セッカの言うとおり、船はまだ外洋にいるはずで、そんなに早くレナンに着くはずがなかったのだ。

「何かあったってことだな」

 エイルはそういうと小さな丸窓から外をうかがった。

「船だ」

 船窓から複数の船が見えた。

「まずい!」

 エイルに続いて窓の外の様子を見たエルデが目を見開いた。

「あれはシルフィード海軍の旗や!」

 まさかという思いがあった。

 ウンディーネ連邦の東側の海はドライアド大陸に続いている。制海権はドライアドにあるはずであった。だからこそ軍船とはいえ船団も組まずにたった一艘での闇の航路が成立しているのだ。

 海賊なら話はわかる。そしてその海賊は戦争が始まった直後にドライアド海軍によってほとんど殲滅状態にあると報じられていたのだ。ましてやシルフィード海軍が展開しているなどということは「ありえない」海域だと言えた。


 エルデが「まずい」と言ったのは状況把握が正しくなされたということである。

 たった一艘のドライアド船が船団に敵うはずがない。この船はどちらにしろ降伏する事になるだろう。そうなるとこの船が軍船である事が大きな問題となってしまう。

 つまり、軍船の乗組員は全員が捕虜となるからだ。エイル達がいくら民間人であると主張しても常識に照らしてそれは通らないだろう。平時ならともかく戦時下なのだ。お目こぼしすら見込めまい。

「面倒な事になってしもたな」

 エルデは唇を噛んだ。

 これが陸上であればどうにでもなるだろう。姿を消すルーンなりをかけてこっそりと逃げ出せばいい。だが海上だとそうはいかない。そもそもエルデはルーンを使えない上、船がないと移動ができないのだ。

「この船をいまから乗っ取って、テンリーゼンの風のフェアリーの力で逃げ切れないかな?」

 エイルの破れかぶれの提案に、エルデは苦虫を噛み潰したような顔をしてみせた。

「色々無理がありまくりや」

「だよな」

 まず船を乗っ取るのが問題だ。次に今の乗組員にレナンに向かって操船するように命じなければならない。海軍所属のル・キリアの一員だったとはいえテンリーゼンだけでこの軍船を操る事は不可能だろう。単に船を操るだけは出来たとしても、今度は航路がわからない。たとえレナンにたどり着いたとしても港でまた一騒動起こす必要がある。

 そもそも……

「囲まれて……いる」

 テンリーゼンの言うとおり、既に逃げ切れる見込みがないのだ。


 時を置かず船は止まった。

 止まると外洋のうねりがより大きく感じられるようになった。

 考えがまとまらぬうちに、状況に変化があった。

 船が大きく揺れたのだ。

 波やうねりのせいではない。大きく揺れる前に、全員がその大きな音を耳にしていた。

 船が何かにあたる音である。

「投擲や」

 窓の外を見たエルデが叫んだ。

 確かだった。

 エイル達の船を囲んだシルフィード軍の船団は、こちらに向けて巨大な船載投擲機の照準をこちらにむけていたのだ。そのうちの一つが放たれたのであろう。

「降伏してないのか?」

 エイルは思わずそう口にしたが、その場に居る人間から回答が得られるわけがない。

「嫌な予感がする」

「嫌な予感って?」

「降伏無視の殲滅部隊かもしれへん」

「なんで? そんなの協約違反なんじゃ?」

 エルデは唇を噛むとチラッとテンリーゼンに顔を向けたが、すぐにエイルに向き直った。

「アルヴは三千年前、一つの種族を滅ぼしてる」

「あ」

 エイルは絶句した。同時にエルデの言葉にテンリーゼンがぴくりと体を震わせた。

「わからへんけど、矜持ある戦い方をするはずのシルフィードの軍隊がよってたかって一艘の船を攻撃しているのは事実や」

 エルデの言葉が終わらないうちに、再び大きな音と共に船体が大きく揺れた。今度の揺れは大きく、エイル達は足元をすくわれるように床や壁に叩きつけられた。

 壁に背中を叩きつけられたエイルは、思わず側に居たテンリーゼンを抱きかかえるようにして守っていた。エルデにも手を伸ばそうとしたが離れすぎていてどうしようもなかったのだ。

 テンリーゼンの体重分、エイルの衝撃は大きかったが痛みだけで骨折など体の損傷はなさそうだった。

「大丈夫か?」

 エルデに声をそうかけたエイルは、自分の妻が無事なのを確認すると、テンリーゼンを抱きしめていた腕から力を抜いた。

「立つな!」

 エイルはすっと立ち上がったテンリーゼンに怒鳴った。

「姿勢を低くしたまま、何かに掴まってろ」

 だがテンリーゼンはエイルの指示には全く反応せず、踵を返すと軽やかな足取りで船室の扉に取りついたたかと思う間もなく、その扉を開けて外に滑り出した。

「リーゼ!」

 エイルはエルデと顔を見合わすとうなずき合った。

「追うぞ」

 二人はほぼ同時に立ち上がると、セッカに声をかけてテンリーゼンの後を追った。



********************



「馬鹿者! 早く投擲をやめさせろ!」

 旗艦「イークナイブ」の艦橋に怒声が響いた。

「誰が攻撃していいと言った? 敵は降伏済みだぞ」

 立ち上がって怒りを露わにする艦隊総司令に気圧されるように副官が伝声管に向かって叫んだ。

「緊急指令! 全艦に告ぐ。直ちに投擲を中止せよ。これは総司令の命令である。繰り返す、全艦直ちに投擲を中止せよ」

 伝声管は甲板に近い信号室に繋がっていた。別名旗部屋である。

 旗艦の旗部屋には普通の軍船と違い、戦闘態勢中には専門の信号員が常駐している。彼らは伝声管の命を受け、四名ほどが攻撃中止の合図である大きな緑色の旗を持ち、甲板の四方に散っていった。有視界における伝達は通常音と旗で伝えられるのだ。


「投擲を行った艦の艦長の名前をまとめておけ。後で厳罰だ。儂が直々に殴り倒してやる」

「はっ」

 命じられた副官は敬礼と共に承諾の返事をしたが、おそるおそるといった感じでこう続けた。

「恐れながら、例の噂が皆の耳に入っているのではないかと」

 艦隊総司令は副官をじろりとにらみ据えると鼻を鳴らした。

「愚かな。噂が本当だとしても本物であるはずがない」

「しかし、例の事件に居合わせた者が、あれは間違いなくエルネスティーネさまの御首級(みしるし)であったと触れ回っております」

「そんな戯れ言を申す輩は我が剣の錆びにしてくれるわ。そもそもその事件とやらが起こった日に、儂はイエナ三世に謁見しているのだからな」

「はあ」

 副官はうなずいたものの、さらなる疑義を投げかけた。

「噂ではその……エッダの御首級の方が本物で……ノッダにおおまします陛下は……」

「黙れ!」

 艦隊総司令は皆まで言わさず、副官の胸ぐらを掴んだ。

「も、申し訳ありません」

「申し訳ないで済むか!」

 普段から強面ではあるが、総司令がここまで激昂するのを見た事がないもう一人の副官がすかさず間に入った。

「閣下、お控え下さい。そこまで激昂なさるとかえって他の兵が不安を感じます」

 総司令は声をかけた副官を忌々しそうに睨んだが、忠告には素直に従い、腕の力を緩めた。


「噂というのは恐ろしいものですな。しかもその出所が例の場に居合わせた全員が異口同音に触れ回るのですから」

 総司令に睨まれた副官は、しかし全く動じた様子を見せずにのんびりとした口調で続けた。

「初期の対応が後手に回ったのが敗因とでもいいましょうか。彼らに箝口令を敷こうにも、こうなってはもはや時機を逸してそれも無理。むしろ逆効果でしょうな。もはや我々はエッダに向かった捜索隊の成果に期待するしかないのですよ」

「そんな事はわかっておるわ。ワシが言いたいのは」

「上に立つ者が噂に踊らされてどうする? と仰りたいのでしょうが、私の予想ではあの投擲は現場の独断で行われたもの。上官はむしろとっくに止めにかかっているはずです。つまり……」

 副官はそこまで言うといったん言葉を句切り、総司令をじっと見つめた。

「何が言いたい?」

「閣下はもっと自分の部下を信用なさった方がよろしいかと」

「うぬう」

 言葉にならないうなり声を上げると、総司令はさらに目を吊り上げて副官を睨んだが、やがて大きなため息をひとつついて自らの椅子に腰を沈めた。

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