第七十二話 ニルティーアレイの海軍 2/5
自らの戦力の全貌と、その戦略を語り終えたアプリリアージェは、手に持っていたカップのお茶を、こくんと飲み干した。
「リリア」
ティルトールは絞り出すような声で海賊達の言う「黒髪の悪魔」に声をかけた。アプリリアージェはティルトールに微笑むと、無言で質問を待った。
「お前はさっき、自らが王になるつもりはないと言ったな?」
アプリリアージェは無言でうなずき、その問いの答えとした。
「ならば誰を担ぐつもりだ?」
ティルトールがアプリリアージェと共闘するにあたり、もっとも知りたいところがそこであった。アプリリアージェの口ぶりからして、イエナ三世に素直につくとは考えにくかった。普通に考えればノッダ軍の司令官であるティルトールにとって、アプリリアージェの麾下(きか)に入る事は難しい。だがアプリリアージェの言うとおりイエナ三世が「ニセモノ」だとすれば将官であるティルトールは自らの判断で軍を動かしてもいいと考えていた。もちろん動かすだけの証拠は必要だが、それは後付けでなんとでもなるだろう。つまりこの時点でティルトールはアプリリアージェの話を基本的に全て信じていたのである。
とはいえアプリリアージェ軍の「敵」を知る必要があった。ティルトールだけではない。彼の幕僚、そして多くの兵士達が納得し、かつ士気を鼓舞できるだけの「目的」がなくてはならない。良い一軍の将とは、兵達が心から納得出来る敵を用意する事が仕事なのだ。
だがアプリリアージェの答えはティルトールの期待を裏切るものであった。
「担ぐ者など必要ありません」
「必要ないとはどういう意味だ?」
「単純な話です。私は悪と戦いたいだけなのですよ、ティル」
「悪だと?」
ル=キリアの司令官とも思えぬ幼稚な発言だとティルトールは思った。悪などという単語を持ち出してくるとは思いも寄らなかった。そもそも悪や善などは絶対的なものではない。それを知らぬアプリリアージェではないはずなのだ。
ティルトールはアプリリアージェの言葉の裏側にある「意味」を探ろうとしたが、彼には想定される「悪」が思い浮かばなかった。
「悪とは、ドライアド王国ではないのか?」
ティルトールの問いに、アプリリアージェはうっすらと笑いながら首を横に振った。
「悪は悪です。私が悪だと思った者達が悪なのですよ。そもそもドライアド王国の全員が悪だなんて思うのはばかげた話です。悪はシルフィード王国にもいるのですよ」
ティルトールは鼻を鳴らした。
「ミドオーバのヤツか?」
アプリリアージェは今度はうなずいた。だが、こう付け加えた。
「バード長も、です。シルフィード王国には他にもとんでもない『悪』が潜んでいるのですよ? ティルだって噂くらいしっているのでしょう?」
ティルトールはアプリリアージェの問いかけに対して眉を吊り上げた。
「副官達には知られたくない、ですか?」
アプリリアージェの言葉は静かだったが、それだけにぞっとするものがあった。
「お前は何を言っているのかわかっているのか? それはつまり」
「アプサラス三世国王陛下は悪です。それはもう疑う余地はありません」
「きさま」
「勘違いしないで下さい。アプサラス三世陛下は既にこの世になく、もともと私は陛下を手にかけようなどとは微塵も思っていません。もちろんイエナ三世に刃向かうつもりもありません」
「では、どうしようというのだ?」
「あんなモノを作ろうとする仕組みが悪だと言っているのですよ、ティルトール。いえ、言い換えましょう。あんなモノを必要だとする人間が私にとっては悪なのです。だから私はそれを潰してしまおうと考えています」
「あの……」
アプリリアージェとティルトールの会話におずおずと割って入ったのはスウェヴであった。
「ユグセル提督、いえユグセル公爵」
「なんですか? イヴォーク少佐」
「差し支えなければお教え願いたいのですが……」
「ティルトールがあなたたちに知られたくないと思っているシルフィードの暗部の事ですか?」
「こ、こらリリア、あれは我がシルフィード軍に於いても最上位に位置する特級機密事項……」
ティルトールは自分の言葉を途中でのみ込んだ。そしてスウェヴとアプリリアージェの顔を見比べて肩を落とした。
「気付いたようですね。さすがはあなたの副官です。私はもうシルフィードの軍人ではありません。だから彼女は中将ではなく、公爵である私に尋ねたのですよ」
「勝手にするがいい」
ティルトールは不機嫌そうに……いや、思い切り不機嫌な声をスウェヴにぶつけた。
「だが、聞けば必ず後悔するぞ?」
その言葉にスウェヴはアンデル・サリナー少尉と顔を見合わせた。そして二人は同時にトラン・サーリセルカ少佐の方を見やった。
トランは首を横に振って見せた。
「この上なにが起きようと、私は驚きませんよ。いや、違うな。どれだけ驚こうが、もうどうにでもなれ、ですな」
「私も少佐と同じです」
これはアンデルである。
スウェヴは二人の返答のまとめ役のように、アプリリアージェに顔を向けるとうなずいて見せた。
「いいでしょう」
アプリリアージェはにっこり笑ったままで続けた。
「シルフィード王国は、秘密裏に人体実験を行っていました」
「人体実験?」
「戦闘力の高い兵を集め、ルーンや呪法で肉体と精神を改造し、強力な人体兵器を作り上げる実験です」
「何ですって?」
「それらは全て国際法に悖(もと)る行為ではありませんか?」
「まさか我が国がそのような事をするわけがない」
三人が三人とも同時にアプリリアージェに食ってかかった。
「信じる信じないはどうぞご勝手に。私がほらを吹いていると思ってもかまいません。でもあなたたちはその実験の、唯一の生き残りの名前を知っているのですよ」
アプリリアージェの言葉に三人が互いに顔を見合わせた。
「あ」
最初に声を上げたのはアンデルであった。
「まさか、凶兵……」
「正解です。彼女はあのおぞましい実験の唯一の生き残りです。たった一つの成功例を作るために一体何人が狂い死にしたか……考えるのもおぞましい」
「あれが……」
アンデルはつばをゴクリと飲み込んだ。
「あれが、凶兵が成功例なのですか?」
スウェヴの問いに、アプリリアージェは声を上げて笑い出した。
「『金の三つ編み』が成功例ですって? 彼女は幸運にも生き残っただけで、実験としては失敗です。敵も味方も見境無しに殺戮する成功作などあり得ません」
「ちょっと待て、リリア」
今度はティルトールが割って入った。
「成功する目処がたたず、凶兵を最後に実験は終わったと聞いている。つまり成功例など一つもなかったはずだ」
「いいえ、成功例はあります。事実はこうです。実験は失敗したのではなく、目的を達したから終わったのですよ」
アプリリアージェはきっぱりとそう言った。
「嘘ではありません。私は悲しい成功例を知っているのです。でも……もうそれも終わりました」
「終わっただと」
「成功例は、もう生きてはいません」
アプリリアージェは自嘲気味にそうつぶやくと、元の静かな微笑を浮かべた。そしてティルトールがさらに目を見はるような言葉を添えた。
「でも私が悪と戦うのは目的ではなく、ただの手段です」
「目的は……別にあるというのだな?」
「もちろん」
アプリリアージェは少し寂しそうな表情でうなずいた。
「私がそうやって悪者と戦っていれば、思い人に会える気がするんです」
「なんだと?」
ティルトールは思わず唸った。
その言葉を告げたアプリリアージェの真意を探ろうと、笑って細められているその垂れた目を注視した。
だが、そこには何も見出せなかった。
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