第六十一話 小さな虹のハーモニー 4/5

「えらい別嬪さんだろ?」

「え?」

 呆然としてたハーモニーは、フィンマルケンに声をかけられてようやく我に返った。

「まあ、詳しい訳は聞いてねえんだが、そのお嬢ちゃんを見ちまうと訳ありなのは聞くまでもねえって感じだろ?」

 フィンマルケンの言う通りだとハーモニーは思った。

「ひょっとして」

 ハーモニーは少年に声をかけた。

「あんたと同じで、この子の目も黒いの?」

 想像するまでもない。少女はその美貌だけで充分に世間を騒がせるほど目立つ。加えて髪の色が黒ときた。

 髪をあえて黒に染めるデュナンなどいない。ましてや少女はダーク・アルヴでもない。すなわち黒髪の少女はピクシィの血を引く人間だ。

 少年はほんの一瞬だけ顔を曇らせたが、すぐにうなずいた。

「そうです。俺もコイツも同じ瞳髪黒色です」

「驚いたろ?」

 言われるまでもない。ハーモニーはもちろん驚いていた。そしてピンときた。

「セルカへ行くつもり?」

 ハーモニーの問いかけに、少年は首を横に振った。

「俺もそう思って尋ねたんだが、セルカとは関係がないらしい」

 少年の代わりにフィンマルケンが答えた。当然ながらフィンマルケンはここに来る道中で、少年達に対するある程度の情報は得ていたのだろう。


 セルカというのは、瞳髪黒色の末裔が住むという集落の名前である。迷いの森のどこかにあると言われている。名前だけは有名だが、ハーモニーも集落の人間もその場所を知らなかった。迷いの森の水先案内人ともいえる運び屋のフィンマルケンですら名前しか知らない、言わば伝説の村であった。

「ノールさんも同じ事を言ってましたが、セルカという村にはオレ達と同じ……瞳髪黒色の……そのピクシィの末裔が居るんですか?」

「さあね」

 ハーモニーは首を横に振るといったん脱がした薄茶色のマントを、毛布の上から少女にそっとかけた。

「言い伝えみたいなもんだからね。だいたい運び屋のフィンが知らないものを私みたいな村女が知っているわけないよ」

「おいボウズ。さっきも言ったが、そのノールさんってのはやめてくれ。フィンでいい」

「はあ」

「なんだよ、その微妙な顔は?」

「いや、なんかフィンってイルカみたいな名前で、実物との落差が大きいというか何というか……」

「イルカ?」

「フィンが? なんでイルカ?」

 フィンマルケン・ノールとハーモニーはそう言うと互いに顔を見合わせた。

「いや、オレの住んでた世界……じゃなくて地方じゃそう言う名前の有名なイルカが居て……というか、こういう話はどうでもいいですよね。あははは」

 わざとらしく、それでいて力の無い笑いで細かい話をごまかそうとする少年は、ハーモニーには当然ながら怪しく映った。

 しかし出かかった疑問を口にするのはやめた。

 ほんの一瞬だけ、ある事が頭をよぎったのだ。


 ハーモニーには敵がいた。

 少年がその敵である可能性は低いと判断していたものの、あまり深入りをするのもまたよくはないと考えていた。

 迎え入れてしまったものは仕方が無い。だが接触は最小限に留めたかった。

 曰く付きの迷いの森の中にある小さな薬草栽培集落の、その端にある祖母から受け継いだボロ家とささやかな畑を守って静かに暮らしている地味な独身女。多少水の力を使えるフェアリーだが、ただそれだけで迷いの森では特筆する程のものではない……。

 そう「思わせて」さっさとお引き取り願うのがハーモニーにとって最も都合のよい展開だったのだ。

 そもそも二人が訳ありなのは明らかだった。だから何としてもここはあまり目立つような立ち居振る舞いをすべきではなかった。

 あからさまに敵対するのはまずい。親切すぎるのはもっと危険だ。あくまでも普通に、相手に妙な違和感を持たれないように接するのだ。

 ハーモニーはそう自分に言い聞かせて湧き上がる好奇心を抑えこんだ。

 だが……。


「で、この子はどうするの? 今晩にでも埋める?」

「え?」

 少年は驚いたような表情でハーモニーを見た。

「え? じゃないでしょ。厳しいことを言うようだけどこのままにしておくとすぐに腐っちゃうわよ。誰かに見られるかもしれないし、家に死体があるなんて吹聴されちゃ本当に迷惑なのさ」

「いや、でも」

「病気か、頭の怪我? いや、死因が知りたいわけじゃ無いけど、どっちにしろこんな別嬪さんなんだから、綺麗なうちに埋めておやりよ」

「えっと、死んでません」

「え?」

 少年の言葉に今度はハーモニーが驚く番だった。

「死んでません。眠ってるだけです」

「眠ってるって……」

 ハーモニーはフィンマルケンを見た。だが髭面の運び屋は目を伏せて首を左右に振るだけだった。

 少女が死体なのは明らかだった。体温がまったくない。念のためにこっそりと心臓の上に手も当てて確認済みなのだ。そもそも……。

 長椅子に横たわる瞳髪黒色の美少女に顔を向け、まったく動かぬ事を確認すると、ハーモニーはため息をついた。見ての通り、そもそも息をしていないのだ。

「その……詳しくは言えないんですが、特殊な呪法みたいなものにかかってて……時々こうなるんです。冬眠というか仮死状態ってヤツです」

 少年はそう言って少女死亡説に抗った。

「信じられないかもしれないけど、本当なんです。だから……」

「しばらくってどのくらい?」

 ハーモニーは声を荒らげた。

「エッシェさん」

 気配を察したフィンマルケンが声をかけたが、ハーモニーは声の主を一にらみしてそれ以上言わせなかった。


「わかりません」

「わからない?」

「数時間の時もあれば、半日の時も……。その、今日は長い方ですが」

 大切な人の死を受け容れられない人間は多い。だからそんな虚言で自分を暗示にかけ、それが本当の事だと思い込んでしまう。

 少年がそれだと決まったわけではないが、その言葉を鵜呑みにできるわけもない。

 そもそもどう見ても死体なのだ。

(死体?)

 ハーモニーはある事に思い当たってもう一度少女を見た。

「ねえ、教えて頂戴」

「はい?」

「『ああいうふう』になってどれくらい?」

「昨日の、昼くらいからです」

 その言葉を聞くと、ハーモニーは椅子から立ち上がって少女が横たわる長椅子に歩み寄った。

「失礼するよ」

 少年に一言声をかけたハーモニーは、毛布の中に手を入れて少女の腕をとった。


「なるほど」

 少しして振り返ったハーモニーは、なんとも言えぬ苦り切った表情をしていた。そしてフィンマルケンに向かってこう言った。

「その子言うとおりかもね」

「え?」

 フィンマルケンもハーモニーと同様、少年が混乱していると思っていたのだ。気の毒な少年をどう説得するか思案していたところであった。

「死んで一日近く経ってる死体なら、こんなに柔らかいはずがないからね」

「あ」

 ハーモニーが言わんとする事をフィンマルケンは理解したのだろう。驚いた顔をしたが、異議は唱えなかった。

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