第五十九話 運び屋組 2/4

 セッカと出会った晩、エイルとエルデが解呪士に会いに行く為にすぐにでも出発することを一同に告げると、即座にアプリリアージェが同道を申し出た。

 もちろん彼女の場合は解呪士に会うことが目的ではない。適当なところでエイル達とは別れ、シルフィード軍に合流する為である。

 軍に復帰するという言葉はエルデにルーンを使わせる為だけの方便であったわけではなく、どうやらアプリリアージェの本心のようであった。

 同道についてはエルデが何かを言いかけたが、その前にエイルが快諾してしまった。珍しく一瞬憤然とした表情を作ったものの、エルデはしかし、文句を一切言わなかった。

 その代わり、というわけでもないのだろうが、それ以降エルデはエイルにべったりになったのだ。


 仲むつまじく前を歩くエイルとエルデを眺めながら、セッカが唯一の話し相手であるアプリリアージェに再度声をかけた。

「今さらこんなことを言うのも変だけどさ」

「なんです?」

「あの二人が婚儀を挙げているっていう話は聞いたけど、あんなにべったりな間柄だとは思ってなかったから、さすがの私も驚いたよ」

「不自然」

「え?」


 アプリリアージェがセッカに短い単語で返すと、セッカは思わず隣の小さなアルヴィンを見下ろした。

「もとよりエルデはエイルにベタ惚れですが、あそこまであからさまな態度を良しとする子ではありません」

「ふむ。あなたの意見は私の最初の印象とも合致するね」

 セッカはうなずいた。

「それで不自然というのは?」

「あなたはどう思いますか、黒猫さん? エルデは私達に見せつける為にああいう態度をとっていると思いますか?」

 アプリリアージェがその形の良い細い顎を少し上げて指し示した先、つまり前方を歩くエルデは今もまさにエイルの腕に額をすりつけていた。目を閉じて。


「うーん。私達は瞳髪黒色の亜神さんの眼中にはない存在、というのが素直な感想だね。ちょっとムカつくから認めたくないけど」

 アプリリアージェもセッカと同じ意見なのだろう。目を細めて小さくうなずいた。

 だがアプリリアージェの言う「不自然」という言葉には別の意味もあった。エイルに話しかけるエルデの表情には感極まったというか、必死さのような輝きが常にある。そしてそこには他人に仲の良さを誇示しようという感情が感じられないのである。アプリリアージェの記憶が正しければ、それは「ネッフル湖の解呪士」に会いに行くことを決めたあの日、つまりピクサリア大聖堂の地下でセッカと出会った後からの変化だった。

 それまでのエルデはエイルに甘える態度をとる時には恥じらいの色が強く出ていた。周りの目を相当に意識していた。羞恥心の塊とまでは言わないが、羞恥と欲望の葛藤に揺れるそれは、同じ女であるアプリリアージェにしてエルデの事を思わず抱きしめたくなるほどに可愛らしく思える態度であったのだ。それほど見ている側に小さな幸せが伝わるような薄桃色のエーテルに包まれていた。

 だが今のエルデは違う。アプリリアージェには、エルデは切羽詰まっているように見えた。まるでそうしていなければエイルの心をつなぎ止められないという強迫観念に突き動かされているような態度なのだ。だが相手を引き留めたくて必死な行動をとっているわけでないのはエルデの表情でわかる。時折見せる感極まったような表情で見せる潤んだ瞳がそれだった。

 それは自分の強い思いを上手くエイルに伝えられないもどかしさで感情の制御が崩壊しているのか、それとも……。

 そこまで考えて、アプリリアージェは唐突に一つの仮説に辿り着いた。


「似せティアナさん」

 呼びかけられたセッカはため息をついた。

「頼むからその『似せ』というのはやめてくれないかな。【月白の森羅】猊下と呼べとはいわないから責めてリ=ルッカさん、とかセッカさんとかよんでくれませんかね?」

「ひょっとしてエルデ……【白き翼】と『ネッフル湖の解呪士』さんとやらはお知り合いですか、黒猫さん?」

 抗議を無視したアプリリアージェの問いに、しかしセッカは答えを言い淀んだ。だがセッカのその態度はアプリリアージェにとっては雄弁な答えであった。

「なるほど、少し読めてきました」

「いや……」

 自分の沈黙が肯定と捉えられた事をセッカは慌てて否定した。

「私は知らないんだ」

 形態制御が乱れたのだろう。ティアナの姿をしたセッカの瞳が緑色から空色と金色に変わった。

「相手……解呪士の方はどうだかわからないけど、少なくとも私は本当に知らない。でも、あいつも知っているわけは無いんだけどな」

「ふーん」

 アプリリアージェはしかし、セッカの答えが自分の考えと相反しない事を確認したようにそうつぶやくと、再び目を細めて前を歩く二人の後ろ姿を見つめた。

 静かなその表情にはいつもの微笑はなかった。


 そのさらに六日後。

 一行はウンディーネの東方にある小さな町に辿り着いた。

 当初の計画では水路が発達したウンディーネらしく、船を使って川を伝い、適当な外洋船を見つけてそれに乗る予定だった。

 だが戦争の影響は予想より大きく、すぐに一般の旅人が気軽に使える船など存在しない事が判明した。情報はベックや教会関係の事情通からのもので、おそらくその通りであろうと思われた。多くの船は様々な団体、具体的には軍やそれに準ずる武装集団に事実上押さえられており、既に水路は力を持つ者の監視下にあったのだ。つまりどの船も船賃が高騰しているだけでなく、乗船に際して兵から様々な詮索を受ける事になっていた。

 そうなると水路は面倒なことになる可能性が高い。エイルやエルデが船を選ぶという事は何らかの小競り合いが避けられない事を意味した。

 アプリリアージェはともかく、そもそもエルデがルーナーらしく水路の使用に対して気乗りしない態度を示したこともあり、彼らは水路を諦めた。


 次に馬車を調達して時間の短縮を図ろうとしたが、それも絶望的だった。

 そもそもウンディーネには馬車の路線というものがほとんどない。あってもそれは大きな街道だけで、そちらは既にドライアド軍の影響下にあった。つまり船と同じ状況だといってよかった。念の為にいくつかの街で情報を収集したところ、馬車が通れる規模の整備された街道は事実上幹線街道と同様に軍や、混乱に乗じた野盗の類の格好の的になることが予想されたし、そもそも馬車の調達自体が現実的では無くなっていた。

 人を乗せられる馬はほとんど軍に取り上げられていたし、例えあったとしてもこのご時世において馬車や馬を一般の人間が買うのは目立ちすぎた。とはいえ道程の一日だけは運良く乗合馬車を捕まえることができたのだが、彼らをして思わず顔を見合わせるような法外な対価を要求され、結局エルデの望んだ「座席に座って景色を楽しむ」という優雅な妄想は夢と消えた。もっとも金額自体は払えないものではなかった。出立にあたってアプリリアージェは相当な額を「金庫番」であったファルケンハインから巻き上げていたし、エルデはエルデで正教会側から餞別と称した驚くほどの路銀を受け取っていた為、実のところ所持金はそれなりにあったのだ。

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