第五十八話 父と娘 6/6

「ティアナを優先しよう」

 気配を察して目を開けたエルデに、エイルは自分の考えを先に告げた。エルデは小さく笑うとうなずいた。

「アンタは絶対にそう言うと思てた」

 エルデは顔をティアナの姿をしたセッカに向けた。

「黒猫。案内もええけど、とりあえず場所を教えろ」

 高圧的なエルデの物言いに、セッカは不機嫌そうに肩をすくめた。

「おいおい、こっちは『教えてあげる』方なんだ。そっちが嫌ならこっちは別にいいんだぞ」

 セッカの言うとおりだとエイルは思った。だがエルデは凶悪な笑いを浮かべてセッカに歩み寄り、その胸ぐらを掴んだ。

「ちょっと、乱暴はするなって」

「やかましい。さっさと場所を言え。『教えてあげる』やて? お前、誰に向かってそんな言葉を吐いてるんや? ウチらに来て欲しいのはそっちなんやろ? お前がそんな態度するんやったら別にウチらは行かへんでもええんやで?」

 エルデはそう言うとそのままセッカの体を宙に持ち上げた。まるで猫を掴んで持ち上げるように大柄なアルヴを片腕で軽々と宙に浮かせるエルデを見て、さすがにエイルはそれを制そうとした。しかしそんなエイルをちらりと見たエルデは悪戯っぽく笑いかけた。

 大丈夫だという意味だ。

 それはセッカに対してエルデが相当な優位を持っている事をエイルに確信させた。

 ならば任せるだけであろう。

「ホラホラ、さっさと言わへんとウチらは違うとこに行ってまうで」

 襟元を掴まれたティアナ……いやセッカは浮いたままの状態でぶらぶらと揺すられ続け、たまらず元の黒猫の姿に戻った。

「ご主人様に言われてるんやろ? ウチらを連れてこいって。何が『会わせてやる』や。バレバレなんや。わかったらさっさと言われた仕事せえ、この化け猫!」

 以前と違って最近は見ないエルデの悪口ぶりに多少驚きはしたが、以前と違い、それがエルデの計算だということがエイルには理解できていた。

 いったん冷えた部屋の温度が戻っている。何よりエイル向けた笑いに込められた意味が言葉にしなくてもわかっていた。

(心配するな)

 エルデはそう「言った」のだ。


「黒猫はともかく化け猫はないだろう? ちゃんとセッカ・リ=ルッカっていう名前が……」

「『セッカ』とか『リ=ルッカ』とか、ウチの前で、二度とその名を口にするな、この化け猫!」

 エルデはセッカの言葉を途中でさえぎった。その表情には笑いの気配は全くなかった。

 セッカは無言でそんなエルデの顔を少しうかがっていたが、やがてポツリと独り言のようにつぶやいた。

「なるほど、私も知らない事情が色々とありそうだね」

 後を向いてゆったりとした足取りでエルデから距離をとったセッカは、再び人型に変化した。

 長い金髪を下ろした緑眼のアルヴィンがそこにいた。

 整った気品を感じるその顔立ちを、その場の全員が知っていた。

「お前!」

 エイルの怒鳴り声と同時に一条の炎が同時にセッカに浴びせられた。

 炎はセッカを直撃することなく一瞬で消えたが、セッカはその場に尻餅をつき、その反動でまたもや黒猫の姿に戻った。

「ウチらの目の前で二度とその姿になるな。今度は一瞬で体を発火させるで!」

 部屋の温度がかなり下がっているのを確認するまでもなく、エルデの怒りは本物だった。エイルもまた同じ感情をセッカに向けていた。

 エルネスティーネの姿を真似たセッカに向かって。


「おいおい、なぜシルフィードの女王の姿をしちゃいけないんだ?」

 その一言でエイルは我に返った。

 セッカはエルネスティーネの事を知らないのだ。

「この間ノッダで見て、気に入ってる姿だったから変わっただけなのに、なんでそう殺気丸出しで怒るのかなあ」

 考えてみればそうなのだ。彼は純粋にシルフィード王国の現女王、イエナ三世、つまりイース・イスメネ・バックハウスの姿を模しただけだ。髪が長かったのがその証拠と言える。そう考えて思い出してみれば、セッカが模した姿はエルネスティーネよりおっとりした大人っぽい顔立ちをしていたように思えた。

「ウチらが化け猫に対していちいち理由を言う必要はあらへん。ウチがアカン言うたらアカンのや!」

「やれやれエイミイの王は全くむちゃくちゃな暴君だな……」

 小声でそう抗議すると、セッカはまたもや人型に変化した。今度も全員が知っている人物だ。

「ウチらはええとして……」

 エルデはニーム・タ=タンの姿を模したセッカの姿を見て、眉を顰めた。

「ああ。付き人が見たら何というかな。少なくとも剣士の方は問答無用で斬りかかってくると思うぞ」

 エイルもエルデに同意するようにそう続けた。

「あれもダメ、これもダメ、か」

「なんで人型になるんや? 化け猫の姿でええやろ?」

「猫の姿だと視線が低くて色々嫌なんだよ」

 セッカはそう抗議した。

「だいたい、なんで女ばっかりやねん? しかもかわいい子ばっかりなんが気に入らん」

 エルデはそう言うとチラッとエイルを見た。エイルは気付かない振りをしてセッカに声をかけた。

「道中の事を考えると男の方がいいじゃないか。絡まれたりしにくいし」

「そんなの嫌だよ」

「なんでやねん?」

「私は女だもん」

「え?」

 エイルとエルデは思わず顔を見合わせた。

「なんだよ、その意外そうな顔は」

「化け猫に女も男もないやろ」

「いや、そりゃないだろう」

「百歩譲っても。女やのうてメスやな」

「見た目と性格がこんなに反比例している人間も珍しいな」

「なんやて?」

「はいはい、じゃあ、そろそろこれで許してよ」

 その後、十数人目の変身で、セッカはようやくエルデの許可を得た。

 結局エルデの指示で、二人のよく知る人物の姿をとる事になった。

 本物と見分けが付かない程そっくりなセッカの姿を見て、エルデは満足そうにニヤリと笑った。

 エイルはその笑いの意味を何となくわかったような気がした。同時にセッカではなく、その姿の本人に同情を禁じ得なかった。

「ほな、紹介も兼ねて一応今後の事をみんなに報告しとこか。なあ、リリア姉さん?」

 エルデがにっこり笑ってそう声をかけると、セッカ扮するアプリリアージェはげっそりした顔で肩をすくませた。

 それは二人が今まで見たこともないアプリリアージェの表情と仕草であった。

 さっそくエルデの「遊び」が始まった事をエイルは知った。そしてもちろんエルデの思惑を瞬時に悟るであろうアプリリアージェがとる行動の予想も。

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