第四十六話 知恵の輪 2/5
「それにしても西部に展開していたドライアド軍がああもあっけなく瓦解するとはねえ。相当な大軍だったそうじゃないか」
フラウトを取り囲んだシルフィード王国軍は今のところ一切手を出していない。国王であるリムル二世に要求を伝える際は、一本の橋の前に使者である一人の将校を残し、その場所から軍勢を引き上げ、相当な距離を置いた。
エスカが感心したのは、そのたった一人の使者が帯剣していなかったことである。
遠すぎて短剣の装備の確認などできないにも関わらず、懐剣すら所持していないという徹底ぶりであった。
「二個師団だ。大軍だからこそやられたのさ」
「ふむ」
「有象無象となった大軍ほど脆いものはない。加速度的に崩れたに違いねえ」
エスカはフェルンには「困った」とグチをこぼしたにも関わらず、フラウトの中之島を囲むシルフィード軍を見下ろす表情はどこか嬉しそうだった。
「アルヴってヤツぁ、やっぱりデュナンとは相容れないというか、仲良くしろなんてそもそも難しい話なんだよな」
「どういう意味だい?」
「二個師団を蹴散らした威を借りてるわけじゃねえんだろうが、降参しろ。さもなくば力ずくで陥落するぜ、ってたった一人で脅しに来たかと思えば、驚いた事にその使者は丸腰ときたもんだ。しかもそれがアルヴとしての矜持だなーんて脅す相手にうそぶきやがる」
「懐剣は持っていたと聞いたよ? 丸腰じゃないだろう」
「腰にぶら下げた懐剣……あれは武器じゃねえよ。お前も知ってるだろ、シルフィードの風習は」
フェルンはエスカの声色が変わった事で、その意味を知った。シルフィードでは肉親あるいは大切な人を亡くした者は、喪章の代わりに懐剣を腰に下げる風習があった。つまり、その使者は服喪中なのだ。だがたとえ服喪中とはいえ、軍人が戦争中に喪章をぶら下げるのは異例中の異例である。その場合、考えられるの使者が喪に服している相手は肉親や配偶者ではなく、しかしよほど大事な人物という事になる。
「ふむ。だがアルヴの矜持などとたいそうな事をいうくらいなら、司令官自らが出向く方が筋じゃないのか?」
エスカは、まるでフェルンのその言葉を待っていたかのようにニヤリと笑った。その笑いを見て、フェルンはしまったと思ったが、もちろん後の祭りであった。
「その司令官が来たんだよ」
エスカは悪戯が成功した時の子供のように満面の笑みに喜びの感情を込めてそう言った。
「まさか」
フェルンはエスカの部屋に来る途中に、不在時に起きた事件の概略だけはリンゼルリッヒから聞いていたが、司令官自らが降伏勧告の使者であった事は聞かされていなかった。
「リリのやつ……」
「驚いたろ?」
「なるほど、確かにデュナンならそんな愚かしい真似はまずやらないだろうな」
「だろ? さすがというか恐れ入るというか、要するに俺はアルヴ族のそのバカさ加減に感動したね」
エスカはそういうと自らの胸のあたりをドンっと叩いた。
「ここにグっと来た」
フェルンはそれには反応しなかった。ドライアドの人間である彼にとって、司令官のその行為は愚かしいものとしか思えなかったからである。だからエスカの言葉をそのまま信じようとはしなかった。
「それは確かなのか? 本人が自分で司令官だと名乗っただけなんだろう?」
エスカはしかし、その疑問も想定していたかのように嬉しそうな表情を崩さず、頭を左右に振った。
「間違いないさ」
「ほう。やけに自信ありげだね。お得意のカンってやつかい?」
エスカは首を大きく横に振った。
「こればっかりは一目瞭然さ。例えばお前が俺でも、ヤツの言うことは信じるはずだ」
満面の笑みを浮かべてそう言うエスカに、フェルンは眉間に皺を寄せて見せた。
「その使者の名前は?」
エスカはその質問を待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべた。
「シルフィード王国軍陸軍准将、いやあれは少将の階級章だったな。つまりあのベーレント将軍だ」
ヘルルーガ・ベーレント。
それならばフェルンであっても本人が言っていることが嘘か本当かの見分けはつく。なぜなら、大葬の日に、あの歴史的な出来事が行われたエッダの王宮前広場で、ベーレント将軍本人をその目で見ているからである。
「大葬の日は遠目で見てたからさほどでもなかったんだが、間近で見るとあのオバサン、迫力満点だな。当たり前だが俺よりでかいし、何より目の光がそんじょそこらの軍人とは違った。逆らったら眼力で射殺されそうだったぜ。いやあ、さすがの俺もちょっとだけビビったね。ありゃ、マジで大物だよ」
「でも、断ったんだろ?」
「当たり前だ。籠城戦になって困るのはやっこさんの方だぜ?」
自分が持っている他の誰よりも優れている資質が、人を見る目であると公言してはばからないエスカ・ペトルウシュカは、エッダで見たヘルルーガの態度で、尊敬と信頼に値する傑物であると直感していた。エスカにとって今回の会見はその直感を改めて確認するようなものだったのだ。
フェルンもエスカのその意見には反論はなかった。
合わせて五個師団、総勢約六万五千名もの兵を引き連れて大葬の場に同時に登場した「大音声のティルト」ことティルトール・クレムラート陸軍少将と共にあの歴史的な茶番劇の片棒を担いだ人物、いや大まじめな道化を任されるほどの人物である。少なくともノッダ側の首脳陣が手放しで信頼する人間の一人であろう事はフェルンにも理解できた。
そうなると問題はそのノッダ政府の懐刀の一人、それもおそらくは一筋縄ではいかぬであろう名将が率いる屈強のアルヴ系の軍隊と戦わなければならない事実であろう。
「斃(たお)すには惜しい人物だね」
フェルンは少し間を置くとそう言った。
それは本心であった。今の段階でフラウト王国に牙を剥き、降参をしないとなればそうならざるを得ないからである。
すなわちフェルンには完全な勝算があったということになる。
「全く同じ言葉を、先にあのお姉様に言われちまったよ」
「君を直に見て?」
「ああ」
「シルフィードの真面目な将官から見た君は、家名の七光りだけで成り上がったチャラチャラした薄っぺらい無能将軍だと思われるのが関の山だと思っていたんだけどね。むしろ向こうさんは参謀に有能なヤツがいるのかどうかを探りにきたんじゃないのかい?」
「待て。それはいくら何でも聞き捨てならねえ」
「客観的に見て、賛同を得られるのは私の意見だと思うけど?」
「まったくだ。いや、だから腹が立つんだろーが!」
「ふむ。だが一目置かれたわけだな。で、どんなルーンを使ったんだい、リリ?」
フェルンはそういうと主室の隅で二人のやりとりをおかしそうに眺めているリンゼルリッヒ・トゥオリラをチラリと見やった。
「ンなもん使わねえよ。ただ、見せただけだ」
「見せた?」
「ああ」
「何を?」
「フラウト王国軍の全ての軍備と、備蓄物資と城下の様子を、だ」
フェルンは言葉を失うと、もう一度リンゼルリッヒを見た。微笑を浮かべて立っているリンゼルリッヒは眉を少し下げると大げさに肩をすくめて見せた。フェルンはリンゼルリッヒが「おわかりでしょう?」と言っている様に見えた。
「はあー……」
目を閉じて嫌味っぽいため息をしてみせるフェルンに、エスカは言い訳じみた言葉をかけた。
「安心しろって。リリの賢者の力はまだ見せてねえよ。切り札だからな。もっともそれは向こうさん次第ですぐにでもたっぷり見せつけてやるわけだが」
「いや……本当なのか? 手の内を全部見せたというのか?」
「アチラさんにとっちゃ、チャラチャラした薄っぺらいアホバカ将軍の言葉よりよほど雄弁に映ったろうさ。だいいち、自分の目で見たものだ。面倒な説明をする必要もねえ。お互い楽ちんな話じゃねえか」
「相変わらず、君は補佐のしがいのある主だという事がよくわかったよ。だが、どちらにしろあの将軍から惜しい人物だと評された事は誇っていいと思うよ。少なくとも私は主がそう評価されたことに対しては実に嬉しい」
「まあ、そういうわけだ。奴さん達は本気でやってくるぜ。何しろ認めた相手に対して舐めた戦いなんてしてくれねえだろうからな」
「まったく。チャラチャラしたアホバカ将軍だと思われていれば楽ができたものを」
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