第四十話 豹変のアプリリアージェ 2/4
ある噂というのは、すぐにでもエルミナは大災害に襲われるというものだ。このまま町にとどまっていたら助からないとすらささやかれていた。
その物騒な噂の出所は不確かであったが、ラウ達の報告によると、どこか風変わりな雰囲気のモテアの少女が触れ回っているという複数の情報があるという。
人々の多くはモテアの少女は頭がおかしい程度に考えているようだったが、その話を聞いたエイルとエルデは、すぐに市で遭遇した地震と結びつけた。
あれよりもさらに大きな地震が起きても何の不思議もないからである。いや、むしろ噂の信憑性は極めて高いと確信したと言っていい。
モテアの少女についての詳細な情報はなく、アルヴであるとか、背の高いデュアルであるとか、槍を背負った女戦士だったなど、外見に関係するものばかりであった。その出自やそもそもどんな立場の、つまり何者なのか? などについては皆目わからないという。
つまりわかっているのはエルミナの人間ではないということである。土地の人間にとって未知の少女であるということが何よりの証拠である
客観的に見ればエルミナを訪れたおかしなよそ者が、災害の予言をして人々の不安をあおっているという説ももっともであろう。
だが、うがった見方をすることもできる。
すなわち、その少女が災害を起こすとしたらどうだろうか?
だとすれば間違いなく予言は正しく成される。
もしそうだとすると、エイル達が遭遇した地震は、いわば「脅し」であろう。
だが、それにしてももう一つ解せないのは、そのモテアの少女が、治安を司る当局に捕まっていないという事である。
当然ながらこんな時勢下にあって、人心を惑わすような流言が許されるわけはない。
もちろん戦争下の混乱もあり、治安組織がまともに機能しているのかどうかは怪しいが、それでもたった一人の、それもモテアというどこに居ても目立つであろう風体の人間が捕まらずにいるというのもおかしな話である。
それについてもラウは情報を得ていた。
なんでも噂の中には少女は神出鬼没で、現れて人々を扇動したかと思うと、次の瞬間にはその場から消えてしまうのだという。それはまるで煙の様に、まさにかき消すように居なくなるのだと。
アプリリアージェはエイル達の地震の話を聞いて、そのモテアの少女の噂は重視するべきだと判断したのだ。
「情報が少なすぎて噂の少女の目的は不明ですが、自作自演の可能性があります。聞いたことはありませんが、高位の地のフェアリー、もしくは高位の、たとえば賢者ならば地震を起こすことは充分可能でしょう」
いったん屋敷の居間に落ち着いた後、アプリリアージェはファーンがいれた紅茶をすすりながらそう言った。
「モテアの少女が何者かは純粋に興味がありますが、嫌な予感しかしませんし、ここは我々が下手に正体の解明に首を突っ込むところではないでしょう」
アプリリアージェはそう言うとエルデとエイルをみやった。
二人がうなずくと満足そうに微笑む。
その態度だけを見ると、あの事件が起こる以前のアプリリアージェそのものだった。
「火の無いところに煙は立たないといいます。ましてや戦時下、何も無ければそれでよし、それよりも何かがあっては遅すぎます。とどまる理由がない限り、エルミナにこれ以上居るべきではないと思います」
もちろんイオスの屋敷はエルミナにあってエルミナにない。
屋敷の中に入り込むと、玄関はエルミナで、反対側の窓や庭、バルコニーはすべてツゥレフ島にある。
だが、エルミナに関係している部分があるという点で、完全に安全な場所であるとは言い難い。
最も安全な選択肢は、おそらく新教会の監視の目が及んでいないと思われるツゥレフへ出る事であろう。だがツゥレフに確固とした目的がある者はいない。
幸い、イオスの館からピクサリアに出る「通路」はすでに設置されており、何よりピクサリアには訪れるだけの目的があった。
もちろん、エルミナにとどまる理由が皆無ではない。
エイルとエルデにとっては「約束」があった。
セッカ・リ=ルッカという賢者を名乗る黒猫とエルミナで落ち合う事になっていた。それはもちろんその話を聞いていたアプリリアージェにしても織り込み済みではあった。
「ピクサリアに止まり様子を見ながら、問題がないようであれば約束の時間に合わせてエルミナに行くのにそう時間はかかりませんよね?」
アプリリアージェの言うとおり、イオスの屋敷を経由すれば、ラウが作ったピクサリアへの移動と、エルデが拡張した市場に近い出入り口の利用で、エルミナの滞在時間自体は最短で済む。
つまり、約束の日までイオスの屋敷に止まっている必要性はないのである。
ティアナの呪法を解呪する鍵となる人物を知る黒猫。セッカ・リ=ルッカは、ある意味でエルミナに於ける唯一の目的と言えた。全員の期待もそこにある。だから軽視をしているわけではない。
「あるいはピクサリアのどこどこに居るという伝言を頼むという手もありますが……」
「いや、それは実際問題として難しいかな」
エイルは即座にアプリリアージェの案を否定した。
《月白の森羅(げっぱくのしんら)》ことセッカは形態模写の能力を使って人の姿で現れるわけである。その日その時にどんな姿でやってくるかはわからない。基本的には相手に見つけてもらうしかない「待ち合わせ」であった。
「だったら、時々給仕に大声で呼び出してもらえばいいでしょう? 相手の名前はわかっているのですから」
アプリリアージェの言うとおり、給仕にあらかじめいくばくか握らせておけば、確かにそれくらいの事は引き受けてくれるに違いない。
「なるほど、その手がありますね……」
エイルはあの快活そうな給仕の顔を思い出していた。
と、その時。
「痛たたたたた」
突然右腕に激痛を覚えたエイルは、悲鳴を上げて思わず腕を振り払おうとした。
だがエイルの右腕は彼の意思を反映した動きをしなかった。できなかったのだ。
「え?」
エイルは右腕を拘束している原因に目をやった。
そこには誰が見ても不機嫌そうなエルデが、エイルの右腕をしっかりと抱きしめて腕の持ち主をにらみつけていた。
三眼が閉じられなくなったエルデが機嫌を損ねると、部屋の空気があっという間に変わる。その時も、すでに部屋には張り詰めた冷気のようなものが充満していた。
「思い出してた!」
エルデはあっけにとられているエイルにぴしゃりとそう言った。
「は?」
「今、あの可愛らしい給仕の女の子の事、思い出してたやろ?」
「え? いや、そりゃ……って、おいおい」
ようやくエイルは何がエルデの機嫌を損ねているのかに思い至った。
「エルデ、まさかお前、あの子にヤキモチ焼いてる?」
「そんなん、知らんっ」
エルデはそう言うと、抱きしめているエイルの腕に顔を埋めるようにした。
「ウチの側から離れたら嫌や」
「嫌……って、おいおい、何言ってるんだよ」
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