第二十二話 アイスとデヴァイス 1/4

 エイルがアプリリアージェに呼び止められたのは、昼食が終わりファーンがいれた紅茶を飲み干して席を立った時だった。

「少し、お散歩しましょう」

 すばらしい笑顔を浮かべたアプリリアージェはそう言うと、エイルの返事を待たずに広大な庭へ向かって歩き出した。

 いきなりの誘いに戸惑うエイルに、アプリリアージェは背中を向けたままで言った。

「エイル君に拒否権はない」

「え?」

「ということだそうですよ?」

「はあ?」

 エイルは思わず横に目を向けた。

 いつもなら隣にいるはずのエルネスティーネはいない。

 もともとエルネスティーネは昼食のテーブルに着いていなかったのだ。

 エイルはのど元まで出かかった質問を飲み込むと、アプリリアージェの背中を追った。


 その日は朝からいつもと様子が違っていた。

 エルネスティーネが朝、エイルの部屋にやってこなかった。

 朝食ができた事を告げに、毎朝エルネスティーネはエイルの部屋の扉をノックしていたのだ。

 代わりにファーンがやってきた。

 食事はベックとファーン、それにティアナが担当していた。

 そもそも食料や生活消耗品などはベックが完全に管理していて、勝手にそれらに触る事を許さなかった。

 例外はアプリリアージェとテンリーゼンで、酒蔵のワイン等が知らぬうちに減っていく事と、干した果実、それに粒のままの小麦やパンが申し訳なさそうにごく少量無くなっている事については、一切ベックは言及しなかった。

 マーナートのマナちゃんが、昼はエルネスティーネに、夜はほとんどテンリーゼンのそばに居る事をベックは知っていたからだ。乾燥させた果実については「ごく少量」ではなかったが、出された食事を文句の一つも言わずに全て平らげている事に免じて、テンリーゼンに対しての警告は無期保留としていたのだ。食材は豊富ではあったが、酒類の豊富さに比べると、いわゆる子供向けの甘味というものがほとんど無く、果物を除くと干した果実類くらいだった。甘い物好きのテンリーゼンには気の毒だと思っていたベックだけに、むしろ積極的に「お目こぼし」をしていたようである。具体的には目当ての樽を手が届きやすいような場所に位置替えをしたり、取り出しやすいように樽の蓋を緩めてあったり、といった思いやりである。ラウやファーンは気付いてはいたが、もちろん何も言わなかった。

 在庫の管理だけでなく、料理全般もベックが取り仕切っていた。

 とはいえ一人では手が余る。そこで助手という役職を設けた上でその当番制を提案したところ、

「料理の品質は均一している事が望ましい」

 というアプリリアージェの提言で固定制となった。

 ファーンが真っ先にその重要な役目に立候補し、続いてティアナも自らその大任を買って出たい旨を申し出た。

 ティアナとほぼ同時にエルネスティーネも自薦した。しかしそれはアプリリアージェによって間髪を置かずに却下された。理由は、

「料理の品質は均一である事が望ましいが、それは高い品質で均一であるべきだ」

 という、どうにも容赦ないものであった。エルネスティーネは当然抗議をしたが、間違いなく自分の陣営に付くものと想定していたティアナが明確な態度をとらない様子を見て、戦術的な転進を選んだ。その表情は憤然としてはいたが、「わかりました」と言って席に着いたのだ。アプリリアージェを除くその場の全員が、胸をなで下ろしたのは言うまでも無い。


 ベックの料理の腕前はそれなりに評価に値するものであった。少なくともアプリリアージェから料理について意見や嫌味を投げつけられることは一切なかった。

 商売柄ベックは普段から様々な食材を扱う事もあり、それらをより深く吟味する目を養う目的もあって自らそれらを調理する事が日常なのだという。それが高じて料理には相当詳しく、何より妥協がなかった。もちろん味も十分満足いくものであった。

 ファーンはもともとアルヴにしてはかなり手先が器用で、賢者だけに記憶力が並の人間の比ではない。さらにハイレーンには必須である薬の調合という特技もあり、ラウと行動を共にするようになってからは時々料理に挑戦していたのだという。

 確かに一度ベックの指示を聞けば、ファーンは彼の意図を十二分に理解した上で、彼が要求する水準を遙かに超えてそれに応えていた。


 ティアナは少々違う理由で立候補していた。

 彼女は成人してすぐに軍隊に入った。王国軍ではなく、近衛軍である。シルフィード王国を牽引する人々、つまり国の中枢の盾となりたいという強い願いが幼い頃からあったのだろう。

 しかし近衛軍の紋は狭い。思いつきで入れるような組織ではない。しかもティアナは周りが一目を置く程の剣技を持ち、勉強がかりを兼ねているとはいえ王女の警護役に抜擢されている逸材である。王女警護役の要件が女性である事という前提はあれど、周りが納得しない人事はできない役職でもある。要するにティアナはそれだけの腕前を持っているのである。つまり成人になるよりもずっと以前から剣技の修練に明け暮れていたことになる。要するにティアナは生粋の武人なのである。だからそれまで料理というものをじっくりと習得した事はなかった。

 だが、ファルケンハインの存在が彼女の価値観を多少なりとも変化させていたのだろう。

 有り体に言うならば、ティアナには「誰かの為に料理を習得したい」という新たな目標のようなものができたのだ。だからジャミールの里からこっち、一行の食事の準備については進んでその役をこなしていた。その頃になると完全な初心者ではなく、手順さえ教えればそれなりにこなせる程の素養ができていた。

 ベックとしては自分の指示通り動かない、あるいは動けない者こそ最も避けたい存在である。それを考えるとファーンとティアナは悪くない組み合わせだった。

 唯一の問題は、ファーンもティアナも、ベックお得意の軽口が軽口として通用しない相手であった事ぐらいであろう。


 食事の後片付け役にはエイルが自ら名乗り出た。

 もともと簡単な自炊ができるエイルは、食事係になってもいいと思っていた。しかしエルデとの間にできた気まずさから、さすがに気分が乗らなかった。そもそもエイルは自分が作った料理には、エルデは口をつけてくれないかもしれないとさえ思ったのだ。だからせめて後片付けだけでもと声をかけたが、料理当番は後片付けをしながら同時に打ち合わせをするのだという。すなわち食事当番の仕事は準備から後片付けまでがすべて一連の仕事なのだというベックの「哲学」によりエイルの申し出は却下されていた。


 つまりエイルはイオスの屋敷に来てからこっち、食事時以外は完全な自由時間になっていた。

 記憶をたどってみたが、ファランドールにやってきてから目的がない完全に空白の日が何日も続く事は初めてだった。

 最初はそんな時間をもてあますかも知れないと考えたが、そうではなかった。

 エルネスティーネがそんな絶好ともいえる時間を見逃すわけがなかったのだ。食事が終わると転がるような速度ですぐにエイルの側にやってきて、そのまま手を取り、広大な庭に出た。

 そして「探検」という名目をつけて二人きりで付近を散策した。

 エイルは誘われるままにエルネスティーネにつきあい、その副産物として屋敷付近の様子をほぼ把握することになっていた。

 予想と違い、屋敷は閉鎖された空間、例の龍の道や時のゆりかごのような空間ではなかった。ファランドールのどこかに存在する現実の時空にある場所だったのだ。

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