第七十八話 新しい地図 3/4

「閣下はご自身の為に調理された食事を、見事な作りだからと言って飾っておく事を好まれますか?」

 ニームの言うとおり、精霊陣は手段であって目的ではない。ましてや鑑賞するものであるわけがなかった。つまりはそれだけニームの精霊陣が見事であったというわけだが、記録によるとトルマ・カイエンは後々もその日に目にした四つの見事な精霊陣について、ことあるごとに人に話して聞かせたという。


「私は、近衛軍大元帥に疑いを持っております」

 結界が張られた後に語り出したトルマの第一声がそれだった。さしもの大賢者やエスカもその言葉には目を見開いた。

 何かを尋ねようとするエスカを目で制すると、トルマは続けた。

「証拠などはありませぬ。したがってどうひいき目に見たとしても冷や飯を食わされている年寄りが誹謗中傷を口にしているだけ。いわば酔漢の醜い愚痴と言われても仕方のない事でしょうな」

 シルフィード王国近衛軍大元帥。それは国王を除くと王国軍大元帥と列ぶシルフィード政権の最高権力者の一人である。

 忠臣が実のところ逆臣であったという話は歴史を紐解けば枚挙にいとまがない。言ってみれば極めて陳腐であり、また政権闘争という名の舞台にあっては合理的とも言える立場での普通の出来事とも言えた。しかしそれは他国での話である。

 シルフィードでは……少なくともカラティア朝シルフィード王国ではその手の話は皆無であった。単一王朝で四千年とも五千年とも言われる長きにわたって一つの大陸を治めている国家体制が、逆臣の存在で揺らいだという話は存在しないのだから。

 他国では当たり前の事がこの国では異常事態になる。

 だが、その異常事態が起きる背景はあったのかも知れない。


 エスカはトルマが最初に告げた言葉に心底驚いた。驚いたから彼らしく思い切り驚いた表情になった。しかしそのエスカの表情はすぐに落ち着いたものに変わった。本人が意識しない限り感情が素直に表情にでるエスカのその変化を、彼の何倍もの年月を生きている老アルヴは既に見切っていた。それだけに驚きがさほど持続しなかったエスカの感情に少し違和感を覚えた。

 本来であればトルマが口にした「大それた推理」に対し、エスカは驚きを持続しなければならなかったのだ。

 つまり簡単に言ってしまえば、エスカはトルマの説に対しもっともだと納得したという事になる。それも彼が大した説明をしないうちに。

 トルマは先人が残した格言を思い出していた。

「近すぎて見えぬ事も離れて見ればよく見える」

 この言葉には様々な切り口から複数の解釈が存在するが、今回の場合は文字通りトルマ自身が導き出した「とんでもない」推理を他国の人間は「それも充分あり得る」と感じていると言う事なのだ。


 生涯の忠誠を誓った我がシルフィード王国とは外から見るとそれほど脆弱な存在なのであろうか? 

 トルマは無意識のうちにそう自問していた。

 もちろん答えなどはない。ただ、今まで持っていた自信という堤に針の穴が空いたかもしれないという薄ら寒い感情が残っただけである。

「証拠はありません。とはいえ私は出来事の舞台の中心に近いところに居たわけです。しかしながらその私とは比べものにならないほど遠く離れ、手にしたその少ない情報から全く同じ結論を導き出した人間が居る事で、私は自分の考え以外の答えが見えなくなっております」

 エスカはトルマが言葉を切るのを待っていたかのように口を開いた。

「失礼を承知で申し上げます」

 シュクルがそのエスカの言葉に敏感に反応して眉をひそめたが、トルマはうなずいた。

「伺おう」

 彼はエスカの驚きがすぐに収拾した事に興味を持っていたのだ。むしろ彼の方からエスカに意見を尋ねようとしていたところだった。

「では、お言葉に甘えて」

 エスカはそう言うといったん言葉を切って、ゆっくりとベッドから上体を起こした。ニームはそれをとめようとはせず、無言で補助をしてやった。

 上体を起こし、乱れた長い金髪を手櫛でざっと整え直すと、エスカはトルマに向かってにっこり笑って見せた。

「いやあ、実に陳腐な話ですな」

「な……」

 シュクルが思わず口を開きかけたが、エスカは手を挙げてそれを制した。その時は真顔になっていた。

「問題は誰がやったかではない。何しろ泣こうがわめこうがアプサラス三世はもうこの世にいない。そうではありませんか?」

「何を言いたいのですかな?」

 そのトルマの言い回しに微妙な不快感が含まれているのを感じつつも、エスカは微笑を浮かべていた。

「要するに、閣下は大元帥につくのかつかないのか。生きている人間は死んだ人間と違い、考える事ができる。考えるのは行動するためです。閣下の行動や如何に? 私としては、出来ればそれを伺いたい」


 リンゼルリッヒのハラハラが再び始まっていた。

 何を言い出すのだ、この男は……。

 エスカ・ペトルウシュカとは渡世に長けた人物ではなかったのか? 

 自分たちの調査は間違っていたのだろうか? 

 相手を不快にさせず、かつ自らに好印象を与える洒脱な会話と気の利いた話題提供、一歩身を退く腰の低さに併せて相手の矜持を決して逆なでする事のない細心の注意力による耳触りのよい声と言葉、そして嫌味の無い話しぶり……。

 彼らの調査では、エスカ・ペトルウシュカとは基本的にはそう言う男であるはずだった。

 だからこそエラン五世、いや五大老は大葬の特使として彼を抜擢したはずなのだから。

 いや。

 下心だけはあまり隠そうとはしないところは確かに多々あった。しかしそれも時と場合、つまり適時を熟考した上での計算と決断によるもので、相手にその下心に乗ってやろうと思わせるような場合に限られていたはずである。

 しかし、この場面は一体何なのだ? 

 少なくともここまであからさまに挑戦的な態度を、それもいわば敵陣と言っていい場所でとる必要性をリンゼルリッヒは考えつかなかった。エスカにとって益になる態度とは到底思われなかったのだ。

 

「私が今ここで申し上げたい事は二つです、閣下。どちらも『鍵』です」

 エスカの話は続いていた。

「一つはおそらく閣下もまだ計りかねているのでしょうが、イエナ三世陛下のお立場がどうなのか。平たく言えばすでにミドオーバ近衛軍大元帥の傀儡なのか否か」

「うむう……」

「二つ目はもう一人の大元帥の存在でしょう?」

 エスカはそう言いながらシュクルの方に顔を向けた。

「シュクル殿もその『怪文書』とやらを受け取った時にまずそう思いを巡らしたはずだ。そして次にこう思った『これが本当ならば閣下はどうされるのだろうか』と」

「む……」

「それは私も知りたい。カイエン元帥閣下がどの道を選ぶのかをね。でも言っておくが、閣下がどう動かれようと私がやろうとする事に変更はない。多少なりとも影響はあるだろうけれど、ね」

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