第七十七話 怪文書 3/4

 唐突なシュクルの問いに、トルマは眉根にしわを寄せてあからさまに不快な表情を作った。特殊部隊の話は国家的な機密事項である。なによりそもそもル=キリアは既に全滅したという公式発表はとっくに済ませていたシルフィード王国軍である。

 エスカもその事は知っていた。だからつまりシュクルが今口にした事がきわめて重要な軍の秘密だと理解した。

「その様子だと私のいう意味はおわかりで、かつその件についてはご存じのようですね」

 トルマの答えを待たずシュクルは一人うなずくと話を続けた。

「その怪文書は、死んだはずの人間から届いたものです。差出人の名前はアトラック。閣下もご存じでしょう? アトラック・スリーズ。私の従兄弟です」


 もちろんトルマはかつて「陸軍の問題児」として有名だったシュクルの従兄弟の名前は知っていた。知っているどころか、彼が直々に陸軍の元帥に頼んで海軍に引き抜いた人材であった。

 頼んだと言ってもトルマ自身が欲した人材ではない。彼の唯一の上官である王国軍大元帥、つまりガルフ・キャンタビレイ侯爵から直々に依頼された案件だったのだ。

 アトラックはその優秀な頭脳と高い風のフェアリー能力で若くから名を馳せてはいたものの、どこの部隊にあっても上官に疎まれて、陸軍内の部隊を転々としていた。

 トルマが海軍に引き抜いた当時、アトラックは自ら進んでスカルモールド討伐部隊に志願していたものの、その最前線の部隊では指揮官と一悶着をおこしたあげく、軍隊内で「試闘」と呼ばれる軍人同士の勝負を繰り返して、同じ階級にある兵士を全て使い物にならない状態にするなどなかなかの悪名をとどろかせていた頃であった。


「人と人には必ず相性というものがある。一言で言うなら適材適所と言う奴だ」

 ガルフは陸軍からの移籍に難色を示すトルマにそう言って頭を下げた。誇り高く、公明正大を旨とするシルフィード軍人ではあるが、その気質が裏目に出て彼らは縄張り意識が異常に強いのも特徴であった。つまりもてあましているとは言え「そいつが欲しいからくれ」と言われて簡単に手放す事は考えられなかった。

 まず彼らは誇りを傷つけられる事を嫌う。アトラックの件がそのまま表沙汰になれば海軍の人間からは「陸軍は手に負えないので降参した」と思われる可能性がある。彼らはそれを何よりも嫌がるであろうことは容易に想像できた。

 さらに縄張り意識の強さという側面からは「陸軍の問題児に対して海軍が口を挟む事は越権行為である」と思われる事がこれも火を見るよりも明らかである。

 そもそもトルマ自身が逆の立場、つまり海軍ではなく陸軍の元帥であり海軍の元帥からそういう申し出があったとしたらとりつく島もなく言下に拒否するに違いないと思っていたからである。

 大元帥であるガルフの命令として事を行えれば話は早いのであろうが、それでは元帥の立場がない。尉官と佐官の人事に関しては少将以上の将軍・提督の管轄であったが、移籍に関しては元帥権限となっている。かと言ってそれを大元帥の鶴の一言で頭から決めてしまうと元帥の矜持を尊重しない事になる。

 ましてや戦時下でも何でもない平時の、たかだか尉官の移籍に大元帥がしゃしゃり出るなどまずあり得ない事であった。

 だからこそガルフは元帥の中でももっとも高齢で、かつ歩く軍事総覧とも言われる程「堅い」事で一目置かれているトルマにその件を任せたのであろう。


 問題をさらに複雑にしているのがその問題児を寄越せと言っている部隊が、そもそも軍の厄介者的な存在であった事である。

 組織図を見れば一目瞭然であるが、本来大元帥から一人の軍人の移籍について元帥に話が降りてくる事はあり得ない。まずは下から元帥に上がってくるはずである。それが組織というものだ。

 だが森羅万象あらゆるものに例外が存在するように、シルフィード王国軍にも例外はあった。

 国王直轄特殊部隊「ル=キリア」

 名目上は国王直轄。実質的には大元帥直下の部隊である。

 それは元帥から連なる一連の組織のどこにも存在しない文字通り特殊な部隊であった。

 階級も王国軍の同じ階級より二階級上とされていた。つまりたとえ少佐同士であったとしても、王国軍の少佐からするとル=キリアの少佐は大佐と見なさねばならないのである。

 実質的に大元帥直轄となっている部隊にはもう一つ「親衛隊」という部隊が存在しているが、こちらは運用については大元帥の指揮下にあるが、部隊としては組織図にその名前がきちんと組み込まれており、階級ももちろん軍と同価である。ル=キリアとは全く違う。

 さらにル=キリアは王国軍だけでなく近衛軍からも忌み嫌われている存在であった。

 もちろん彼らが目的の為には手段を選ばない闘いをする集団であったからである。たとえ戦争と言えども正々堂々を旨とし、矜持にもとる闘いは行わないのが古代よりつづくシルフィードの軍人のありようと言えた。彼らはそれを誇りとしていたのである。その誇りを持たない闘いをよしとし、時には人道に外れる行為すら厭わないと言われているル=キリアに良い感情を持てと言う方が無理であろう。

 便宜上海軍に所属している事になっているだけで、海軍の組織図にはない部隊である。海軍元帥ではあってもトルマ自身、ル=キリアによい印象などを持った事はなかった。

 

 だが大元帥が頭を下げるという異例の申し出を、トルマが断れるはずがなかった。ただの命令であれば固持したに違いない。しかし国家の最高為政者の一人に頭を下げられたとあっては断る選択肢はない。


 トルマは思案したあげく、同じ手法で陸軍の元帥に素直に頼み込む事にした。

 すなわち深々と頭を下げて「願った」のである。

 元帥同士の間ではトルマはいわば一頭地を抜いた存在であった。軍の組織図に中元帥という階級があったとしたら彼は元帥の一つ上のその地位に存在していたであろう事は間違い無い。少なくとも他の元帥から一目置かれる重鎮であった事は確かである。

 そのいわば「目上の人間」から最初に深々と頭を下げられ、非礼を詫びられ懇願されてはこれまた断る理由を探す事は困難であった。

 そもそもが人材とはいえ、もてあましている人間である。有効活用する事ができるのであれば、それは王国軍という大きな器にとっては好ましい事である。

 それが見えていて知らぬ振りを通すだけの愚かさはさすがにシルフィードの元帥を名乗る人間にはあってはならない。意地を張る理由もないのであれば素直に事を進めた方が得策なのである。

 もちろんトルマとしては暗に一つ借りを作っておくと言う意味も込めた辞儀である。

 つまりアトラックの移籍はものの数十秒で決まってしまった。


 アトラックを欲したのは言うまでもなくル=キリアの司令であるアプリリアージェ・ユグセル中将。その彼女からの強い要請が大元帥と海軍元帥の頭を下げさせたのである。

 ユグセル中将、すなわちアプリリアージェの部隊はアトラックのようなその手の「問題児」で溢れていた。

 ちなみに一つ例を挙げておくと、戦闘力には一目も二目も置かれながら戦果の多寡よりも頑なに戦闘による味方兵士の被害を最小にする作戦ばかりを立てる「腰抜け副官」として冷や飯を食わされていたファルケンハイン・レインもその一人である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る