第五十二話 もう一人のマーヤ 3/4

 エイルは今までエルデには、いや誰にも自分の過去をほとんど話してはいなかった。それは二人にとって当たり前の事であった。もちろんエルデがかけた呪法により記憶を封じられていた為である。

 だからキセンが次に告げた揶揄を含む言葉は、二人の動揺を誘う事はできなかった。

「あらあら。その様子じゃやっぱり彼女には話していないのね、自分の事。君について一番重要な項目じゃないの?」

 キセンの目的が果たして何なのかはエイルにはわからなかった。だがキセンはなぜかエイルに対する挑発を続けていた。エイルの反応で何かを分析しようとしているかのように。

「普通、深い仲になったらお互いに自分の事は話すものなんだけどねえ」

「ちょっと待ち」


 エイルが言葉を発する前に、たまりかねたエルデがキセンに対して横やりを入れた。

「二人の話を聞いてて、キセン・プロットがどうやらこっちの世界での仮名やっちゅう事はわかったわ。エイルが最初にお前の名前に反応したのも、たぶん『キセン』とか『プロット』がフォウの何かを連想させるものやったんやろな。少なくともそれが二人にとって共通の意味がある単語やっちゅうのもおおかた見当が付いた」

「ふーん、で?」

 不機嫌さを隠そうともしないエルデを、キセンは興味深そうに見つめながらそう言った。

「知り合いというか、二人に何らかの関係があるっちゅう事はわかった。そやけど、ここでエイルの過去に塩を塗り込むような真似をして嫌な気分にさせる意味がわからん。単にエイルを怒らせたいんなら、ウチの方が得意やから代わったるけど、どうや?」

「エルデ」

 咎めるように呼びかけたエイルを、エルデはしかし一蹴した。

「いやや、黙らへん。ウチはこういう性格が破綻しているヤツを見ると無性に腹が立つねん」

「オレはお前と違って大丈夫なんだが」

「いいや。アンタがようてもウチが大丈夫やない」

「お前なあ……」

「後生やさかい、ここは言わせてんか?」

 エルデはそう言うと答えを待たずにキセンに向き直った。


「言うとくけどその挑発がウチに向けられたもん……例えばウチとエイルの間に感情的な溝を作ろうとか思てるんやとしたら、お門違いも甚だしいで。というか、完全に無駄な行為や。エイルが人殺しや言うんならウチは殺人鬼……いやそんなええもんやないか。ただの虐殺者やな。それも大量虐殺者。連続虐殺者や。そやからそんな話、今更聞いても何も驚かへん。ウチらの間に不信感や亀裂を生じさせたろと思うなら、もうちょっと気の利いた事した方がええんちゃうか」

 そう言ってエルデが目を吊り上げて睨みつけると、プロットはさすがに一瞬だけたじろいだ表情を見せたが、すぐに笑みを浮かべた。

「気の利いた事って言うと?」

「その小汚い白衣と、その下も全部脱いですっぽんぽんになって言葉やのうて体で挑発したったほうが効果的ちゃうか? もっともエイルが青緑の髪の年増女が好みとは思われへんけどな」

 エイルはさすがのキセンもエルデの今の挑発には激高するのではないかとハラハラして成り行きを見守ったが、キセンは眉間に少ししわを寄せただけだった。

「たいそうな自信よね。自分が誰にも負けない美貌と均整の取れた体格の持ち主だから、他人に負ける事はないとでも思っているってわけね?」

「そんな事は……まあ、それなりに思ってるかもしれんな」

「エ、エルデ!」

「やかましい。この女のやり方は気に入らんねん!」

「オレは大丈夫だって。だからオレに話をさせてくれ。頼む」

 エイルの声は静かだった。エルデに対しては怒鳴って制するよりもそちらの方が有効であることをさすがにエイルも学習したのであろう。

 案の定エルデはその言葉を聞くと不満げに唇を噛んだものの、それ以上キセンに言葉を投げようとはしなかった。


「ありがとう」

「フン。ウチに礼なんか言わんでええ」

 エルデは小さくそう言うとふてくされた顔をエイルから背けた。だがキセンはそのエルデの背中に言葉の不意打ちをかけた。

「事の発端は試合中の事故だから『人殺し』はさすがに言い過ぎね。私の言葉が気に障ったのなら謝るわ。私は研究者であって政治家でも交渉人でもないから相手に気を遣って立ち回るとか出来ないのよね」

 そう言った後でプロットはわざとらしく大げさに肩をすくめて見せると、今度はエイルに向かって話を続けた。

「でも、敢えて言わせてもらうわよ。君は自分の力を知っていたはず。だから本気を出したら普通の人間が君に敵う訳がないのはわかっていたんでしょ? いいえ、質問するまでもないわね。わからないはずがないものね。三歳児がオトナと真剣にけんかして勝てる? そういう話でしょ?」

 エイルはプロットには答えず、エルデに語りかけた。

「オレがやっていた『剣道』というのは、競技剣技の名称だ」

「そんなん、説明されんでもわかるわ。アンタにかかったら小枝ですら剣になるんや。そやからそこら辺の剣士相手やったらアンタに本物の剣なんか必要ないこともわかってる。つまりアンタが本気になったら普通の相手はひとたまりもないっちゅう事も、青緑女が言うまでもなくウチにはとっくにわかっている事や」

「そうか。そうだったな」

「ウチを誰やと思てんねん」

「うん。あれは大きな大会とかじゃなくて、急に決まったただの練習試合だったんだ。相手は聞いたこともない学校でさ」

「言わんでもええって」

「いや、いい機会だから聞いてくれ。いや、是非聞いてほしい。ルーチェの兄貴、ユートだっけ? お前とユートとの一件をオレはラウ・ラ=レイから聞いた。だからオレだけがお前の事を知っているのは嫌なんだ。お前にもオレの事を知って欲しい」

「エイル……」

「細かい事は省くけど、要するに相手は学校の生徒でもなんでもなくて、その競技ではかなりの腕前の大人だった。オレ達がやってたのはこっちの剣技とはちょっと違って、竹を割って組み合わせた筒状の競技用の剣を使ってやる模擬剣技みたいなものでさ。『胴』って呼ぶ鎧みたいな防具も着ける。顔も『面』って言って兜みたいなので隠すんだ。でも、それは通常、試合直前まで装着することはないんだけど、試合が始まるずっと前から相手が胴も面を付けたままだから妙だなとは思ってた」

 エイルがそこまで話したところでキセンが割り込んだ。

「その辺りも報告書で全部知っているわ。相手は君の味方であるはずの監督が、どこからか集めたでその道でも有名な社会人の選手達。それもマトモな選手とは言えないような『札付き』の連中ばかり。片や君たちは君と、それから普段は正選手として試合に出る事も出来ない控えのその控えくらいの選手ばかりだった事もね」

「その時は変則の団体戦だった」

 エイルはエルデにキセンの説明の補足をした。

「プロット先生の言うとおり。『こちら側』はオレを除くと、残念ながら腕前はそれなりの連中ばかりだった」

「何やねん、それ? そんなん、もともと試合なんかにならへんやろ?」

「だな。まあ要するに監督やウチの正選手達は、オレを潰したかったんだ」

「え?」

「そういう事さ」

「それって……」

「まあよくある話だろ? それでオレの側に選ばれた選手は、オレと仲が良かったり、普段からオレにちょっと親切な言葉をかけてくれるような奴らでさ。実はオレ、所属していたその競技の団体ではあんまりなじめなくて、ずっと浮いた存在だったんだ。本当のところ、オレはやりたくはなかったんだ、剣道なんて。でもオレの家系って特殊でさ。それを専門でやっているような家柄なんだよね。それで色々あってイヤイヤながら、な」

「……」

「いつか言ったろ? 戦争はしちゃいないけど、だからってフォウだって楽園じゃないのさ」

「可愛そうに、選ばれた選手は見せしめみたいなものよね。相手の先鋒にひどくやられたという事だけど?」

「あいつは声が出なくなった。『突き』で声帯をつぶされたんだ」

 そう言うエイルの言葉に今までにない怒気が含まれているのを感じて、エルデは思わずエイルの手を少し強く握った。

「あいつらは容赦なかった。実力が違いすぎるのに手加減するどころか……ひどくやられる仲間を見て……最後のヤツは泣いて謝りながら……逃げ出したのに、監督や学校の連中は無理矢理に試合に引きずり出して……戦意なんか全くない奴の喉を、相手は……力一杯突いたんだ」

「……」

「四人目の奴は声どころじゃない。命を落としたんだぞ? 戦う気なんて全くないそいつの喉を……叩きのめした後でわざわざあいつは……薄ら笑いを浮かべて力一杯突いたんだ!」

「エイル……」

 いつしかエイルの声は震えていた。だがそれでもエイルは絞り出すように話を続けていた。そこへキセンがさも他人事のように口を挟んだ。

「彼は即死じゃないわよ。もっとも治療の甲斐無く翌日、病院で息を引き取ったそうだけどね」

 その言葉に反応したエイルは、怒気を含んだ視線でキセンを睨み付けた。

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