第四十六話 学校都市ハイデルーヴェン 3/5

 エイルの問いかけに、エルデは首を横に振った。

「いや、妙な匂いがしたから気になっただけや。おおかた学生が調薬実習でもしてたんやろ」

「ふーん」

「それより灯火隊はルナタイトを灯してまわってるだけやないで。この町にある有力学校が実力のあるルーナーを選出して組織した合同治安部隊でもある」

「治安部隊?」

「自警団みたいなもんやな。ハイデルーヴェンは軍の駐留が御法度なんや」

「へえ」

 エイルはランダールの自警団を思い出していた。

「別にちゃんと武装した自警団はおるけど、その予備隊みたいなもんやろ。ここの学生は自分の町の自治に参加しているという自覚を持ってるからな」

「ふーん」

「ここはヴェリーユのごく近くで、巡礼者の宿泊地の役目も担ってるから、人の出入りは結構多いんや」

「なるほど、それで治安部隊か」

「そういうわけで灯火隊は優秀な学生で構成されている事はみんな知っているから、藤色のローブは、この街ではあこがれの的っちゅう事になってる」

「なるほど」

 広場にある全ての街灯に灯りを付けた灯火隊が、南側の大通りに入っていくのを見送りながらエイルは思っていた。彼らは役目を終えた時、時計柱の前、噴水のベンチの側にいた瞳髪黒色の美貌の少女について語り合うに違いないと。


「さて」

 エルデはそういうとエイルの服の裾をひっぱった。

「行こか」

「それで、合図はどうするんだよ」

 エイルの問いに、エルデはニヤリと笑って返した。

「そっちはもう終わった。そやしウチらはとりあえず宿を探そか」

 エルデはそう言うと、ラシフのマントのフードを被って髪を隠し、目を伏せるようにして歩き出した。

 エイルは慌ててエルデを追う。

「お前、座っていただけだろう?いつのまに合図を残したんだ?」

「やっぱり、アンタはまだまだやな」

 エルデは小さなため息をつくといったん立ち止まり、短いルーンを唱えた。

 エイルはそのルーンを何度も聞いていた。存在感を薄めるルーンであった。


「黒い髪をした風変わりな美少女が第一広場にいた」

 再び歩き出したエルデは唐突にそう言った。

「は?」

「と言う噂が、さぞやあちこちで立ってるやろな」

「あ……ああ!」

 存在感を消すルーンや姿を消すルーンを使わず、敢えてフードも付けずにその姿を晒していたエルデは、結構な人々の注意を惹いていた。それは間違い無かった。

 それはわざとそうしたのだと言う。それでエイルも、ようやくエルデの意図が理解出来た。

「どうせこの町に長居はせえへんねん。そんなに待たんでも噂を聞きつけた姉さんやラウが向こうから探してくれるやろ。そっちの方が手間が少ない」

「瞳髪黒色が居たなんてことになったら面倒な事にならないのか?」

「この町にはかなり風変わりな人間も集まってくる。瞳髪黒色も希には来る事もあるやろ」

「そうなのか?」

「たぶん……」

「おいおい」

「ほんなら聞くけど、アンタはどんな合図を残すつもりやったんや?」

「そうだな。赤いぬぐいを部屋の窓からぶら下げるとか」

「はあ?」

「赤い風車を窓から出しておくとか」

「何やの、それ?」

「いや、なんでもない。忘れてくれ」

 エイルは苦笑しながら頭をかいた。それを見たエルデは小さなため息をついただけで、深く詮索はしなかった。

「まあ、結局は瞳髪黒色ごっこをしていた変な女の子がおった、っちゅう結論に行き着くやろな。仮装みたいなもんや。人を驚かして楽しむ罪のない愉快犯。ただし美少女。それが今日の夕方、第一広場におった瞳髪黒色の正体。それでええ」

「なるほど……」

「そんな事よりウチはちょっとおなかが減ったな」

「おいおい、冗談だろ?あんなにぜんざいお代わりしたのに、もう燃料切れかよ」

「あれから何時間経ってると思ってんねん?」

「オレはまだなんかおなか一杯なんだけど」

「それは心が弱いな」

「どういう理論だ、それ」

「そもそも甘いもんは別腹やって言うやん?」

「ファランドールでもそれ、言うんだ?」

「なんや、フォウでも使うんか。そんなら全然問題なしや」

 エルデはにっこり笑うと、軽やかな足取りで人通りの多い目抜き通りに向かった。


「陰気くさいヴェリーユと違うて、ハイデルーヴェンは賑やかでおしゃれな店が多いしな。宿は後回しにして、まずはお茶でも飲んで暖まろ」

 そう言って手を引くエルデは、実のところエイルの目には先ほどから極めて上機嫌に映っていた。

 機嫌がいい原因はエイルにもなんとなくわかっていた。

 服である。

 ハイデルーヴェンに入って、ようやくちゃんとした服や靴を身につける事が出来たのだ。やはり若い娘としては嬉しい事なのだろう。


(いや、今までがひどすぎただけかな……)

 エイルは薄茶色のラシフのマントを翻すエルデを見て、その下に着ている服を買った時の事を思い出していた。

 エルデはまず二人に姿を消すルーンをかけた。そのままめぼしい服屋を見つけて中に入ると、色々と物色してまわった。

 そうやって五、六軒も回っただろうか。

 さすがに下着を売っている場所には一緒には行かなかったエイルだが、服選びにはついてくるように強要された。

 靴は比較的すぐに決まった。服の方はかなり悩んだ末に三つほどに候補が絞られ、最後はエイルに決断が委ねられたのだ。

「なんでオレが?」

「ええやん。どれも気に入ったし、ウチが決められへんねんから。アンタが決めへんといつまで経っても次の行動に移られへんやろ?」

 そんな意味不明な理由で、結局はエイルが気に入ったものを選ぶ事になった。

 紺色の地にサクランボの花をあしらった服が彼の目を惹いた。その色柄だと、手触りがいいという理由で先にエルデが選んでいた砂色の下履きにも合う。

 エイルの目にとまったその上着は比較的大胆で派手な柄と言えたが、エルデにはかえってそれが似合うと思われた。

「ふむふむ。アンタの趣味はこういうのか」

「趣味って言うか、お前が着ると映えると思ったんだ」

 エルデに指摘されて照れ隠し気味にそう答えたエイルだったが、その言葉は本心からのものだった。エルネスティーネに同じ事を尋ねられたとしたら、桃色に小花柄をあしらった、壁に飾っている店のお勧めと思える別の上着を選んでいただろうとエイルは思っていた。たとえその小花柄の淡い色の服であっても、エルデにはよく似合うだろう。だが、エルデを引き立てるにはその色と柄では力不足に感じたのだ。


(引き立てるって……オレは何を言ってるんだ。目立たない方がいいんじゃないのか?) 

 そう自問したが、正直に言うとエイルはその服を着たエルデの姿を見たいと思っていたのである。

 服を買うのはエイルの仕事だった。いったんルーンを切って、何食わぬ顔で目的のものを買って戻ってくるだけだが、女物の服を買うという行為はエイルに予想以上の緊張をしいる事になった。エルデはエイルのその様子を見て、ニヤニヤと笑っていた。

 エルデが選んだ靴とエイルが選んだ服を手にしたエルデは、姿を消したままでまずはそれらに着替えた。そしてフードを被ると、今度はエルデが自分自身の下着を買いに行った。もちろん、その買い物はエイルが断固として断ったからだが、エルデにしても本気で頼むつもりはなさそうであった。

 エイルの選んだサクランボの花が描かれた紺色の服は、予想以上にエルデに似合っていた。あまりに似合いすぎていてエイルは思わず目を逸らした程だった。


「なんや微妙な反応やな。似合わへんの?」

 エイルのその態度に、エルデは不安そうにそう言うと自分の着ている服を見回した。

「ち、違うって。すっげえ似合ってるよ」

「そ、そう?」

 目を逸らしたままでそう言うエイルの顔をエルデがのぞき込んだ。

「そやったら何で顔を背けるんや?」

「や。ちょっとな……その」

「何やの?」

「ええい、うるさいな。ちょっとドキっとしちまったんだよ、悪いかよ!」

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