駄文2018/01/19

・夢が広がりやすい


今日はアウトプットについての新しいアイデアを思いついてしまった。それでまた自分の力を見誤った予定を立てそうになるところをグッとこらえて、現実的なところに落とし込む。



いつも理想的な状態や望ましい結果ばかりイメージして、そこに至るまでの過程や苦労を軽く見積もってしまう。すると広げた大風呂敷を回収することができず、不義理なことが続いてしまう。



夢が広がること自体は別に悪いことではないのだけれど、そこに他人を巻き込んで、できもしない約束を重ねてしまえば、取り返しのつかない事態になるのは道理である。



・ペダル


どうも調子の良い時は調子の悪い時のことを考えられない。これは逆も然りで、今現在の状態が、未来永劫続いていくような錯覚に陥ってしまう。



この性質がカフェインによる高揚と相性が悪く、そのため理性によるブレーキをかけるのだけれど、アクセルペダルとブレーキペダルを常に踏んでいるようで、これは燃費もよろしくない。



そこで、2つのペダルを交互に踏むという技を編み出した。具体的にはだいたい10分〜30分であれば、一つの精神状態が維持できるので、その中でやろうとしていることを完結させる。



そういう小さなタスクを20個ぐらい用意して、調子によって順番を組み替えたり、パスしたりしながらであれば、一日にできることの密度が上がるようだ。



不調時も、投げやりになって床に伏せるよりは、10分〜30分ほど休憩すれば、一つの状態が維持される時間が過ぎるので、思ったより回復するということがある。



・サイクル


タバコを吸いたい欲求というのは15秒我慢するとおさまるという話を聞いてから、自分の場合は主に作業の脱線について、それを応用している。この二つのサイクルを意識することが、自分の場合有益であるようだ。



もう一つ、大きなサイクルがおそらくあって、1ヶ月経つと、自分の状況がかなり変化している。どうしようもないように思えることも、それくらい経つとそこまで気にやむことではなかったり、苦心していたことが習慣になって楽になったりしている。逆に習慣だったものが1ヶ月後に抜け落ちいているということもある。



政治経済の授業で習った「景気の3つの波」の話を思い出す。そういったリズムが、個人それぞれにもあるのかもしれない。したがって、これが他の誰にでも通用するような手法であるということは言えない。



だいたい好きなことなのに没頭できないというのはどういうことなのか。少し未来に意識が行くと、すぐに目の前の作業から心が離れてしまって「こんなことをしている場合ではない」という気持ちになるのだけれど、その作業だって、少し前に「こんなことをしている場合ではない」と思って開始した作業である。



そんな人間が身近にいれば周りはどれだけ迷惑するだろう。ましてや仕事相手であったら耐えられない。そういうタイプの人間には、一人で好きなことをあれこれとやっていてもらうに限る。そう思って、それを自分で実践している。



・落ち着きがない


似たような傾向が読書などにもあらわれるので、一つの本を集中して長時間読むということができない。いくつかの本を細かく読んでいると、まるで複数の本が同じことを言っているような錯覚に陥ることや、どれが誰の主張だったかが分からなくなってくることがあるので、あまり良いことではないのだろう。



そういうこととは少し違うけれど、何かをしているとき、その動作に関係のない体の部位が、暇を持て余しているのがつらくなる時がある。食事の時に目が暇なのがつらくて(食べ物をちゃんと見ろよとも思うけど)、本や携帯を操作していると家族に怒られる。その点ではデスクバイクというは理にかなっていて、自宅でPCの閲覧や文章の入力をするときは、むしろバイクを漕いでいないと落ち着かなくなってしまった。



また、日記やこういったブレストの時に、物事を考えるのに行き詰まることがよくあるので、そういう時の時間をもったいないと感じてしまう。おそらく脱線の主な理由がこれで、そういう時は逆に食事を済ましたり、携帯ゲームのデイリークエストを消化したり、両方同時にやったりしてまた怒られる。



日中ずっとそんな調子だから夕方には疲労困憊しているということはあるのかなと思っていたが、今年に入って他人と関わらずに過ごせるようになって急に楽になったということは、せわしなく落ち着きのない一連の動作にも何らかの秩序があって、それを乱されることがずいぶん減ったということがある。



・ワガママな人間


自分の中のルール、自分の中の秩序、いわば「自分の世界」をいかに維持できるかが進捗の鍵であるがゆえに、それに基づいて自分の主張をするとワガママだと言われることがあって、自分も言葉通りの意味で、これは「我がまま」だと思う。



しかしそれが一番良い方法であるし、それ以外のことは何もできないのであれば、なにも高級車や接待を要求しているのではないのだから、お互いに都合がいいのではないか、という主張をするのだけれど、そういう時に脳裏をふとよぎるものがある。



それは自分のやりたいことだけをやり、自分の要求を通すがために、「それ以外のことは全くできない」「それ以外のことはことごとく失敗する」と主張しているのではないかという疑念である。



それは疑念というよりは、後ろめたさに近いもので、ということは、ほぼその通りなのだと思う。そんな卑怯な態度を取り続けるくらいなら、できるかどうかは関係なく、好きなことだけをやりたいワガママな人間でありたいのだと公言したほうがいいのかもしれないけれど、どちらにしても「お前は何を言っているんだ」と言われそうな気がしないでもない。

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