裏側の事情 -2010-
天霧朱雀
路地裏社会
プロローグ
プロローグ 失敗分岐a.
プロローグ 失敗分岐a.
真夜中。太陽もすでに熟睡しているだろう時間帯。思えば、今日はやけに街の光が少なかった。ぬるい空気に寂れた印象さえ持つ。薄暗い部屋に硝煙のにおい。それが自分の服からだと気が付くのに少し時間がかかった。それほど思考も鈍っていたのだ。――だから、狭いソファーで大の男がふたり。馬鹿みたいに引っ付いて、こんなでれでれと抱き合っているのも、許されるだろうか。よくあるカップルでもここまで色ボケていない。触れる距離はゼロ距離で、ほぼ液体みたいになっていた。無理やり因果関係をつけてみる、そうでもしないと心の隙間を埋めるだけの無意味な行為が、ただの欲求不満で片づけられてしまいそうだったから。
「ねぇ湊谷」
両腕の中で
「キスして」
普段の霧流なら滅多に言わない単語を耳に受け入れる。無理やり言わせなきゃ絶対と言っていいほど言わないセリフ。
「いいよ」
素直に受け入れてキスをする。柔らかさのない、噛みつくような勢いまかせ。口内がカサカサになるまで唾液を探し探され、わりと頭が壊れていた。境界線の認識すら危うい。このままだらだらと息継ぎと唾液の交換を続けているうちに、互いの歯がぶつかった。何十時間とそうしていた気がするし、あっけなかったような気もする。時間の間隔がおかしくなっていた。
「……眠たい」
深刻そうな顔で口角を吊り上げる。目をこする姿、あくびを噛み殺しているのがよく解った。
「寝ればいい」
「寝付けない」
取りつく島もなく返答され、意地の悪い事を考えて言ってみた。
「じゃあ、ちょっと疲れるけど、よく寝れることするか?」
「湊谷がしたければ」
冗談みたいに言ったセリフに対して霧流は投げやりに言い捨てた。思ってもない答えが返ってきて、つい疑問符を上げてしまった。いつもならバカとかなんだとか取ってつけて言うのに、珍しく落ち込んでいるようだ。
「霧流」
「なに」
「なんかあったろ」
暗闇に溶けかけた半笑いは、すぐに悲痛そうな表情へと変わっていた。
「なにも」
間髪入れずに「別に」でもなく、ただ「なにも」なんて。なにもなくて心境の変化なんてないだろうに。俺に対して霧流はめったに嘘をつかない。
「嘘つき」
なんて、俺がわからないケースもあるだろう。ただ、いつもと違う霧流の返答に嘘くささがあった。
「なにも、ただ少し寝付けないだけ」
俺の首元で、まるで取り繕うように寝付けないなんて言う。火薬の香りが染みついたシャツに顔を埋めて、その黒髪を擦りつける。いま霧流がどんな顔をしているのか、見当がつかなかった。
「それがなんかあったって言うんじゃないのか?」
「湊谷だってちゃんと寝てない」
かくんっと頭を上げて睨むように見るから、こちらもこちらで言い訳を考える。
「体質だよ」
「嘘つき」
用意した言い訳に、俺が言った言葉とほぼ同一の単語を返してきやがった。もう反論するのもどうでもよくなって、ぼんやり霧流の目を見ていると、積年の疲労感を記憶の隅っこから取り出し鑑賞している気分になった。
「……疲れた、もうなにもかも」
ぽつりと言うと霧流は力なく「はは、」と笑った。俺もきっと同じような気分だ。
「わかる、疲れた」
霧流は霧流で記憶の引き出しから観賞用の罪悪感を出してきたのだろう。この会話の一瞬でやけに病んだ目をしたものだ。今までため込んだ正義と呼べない残念な悪質極まりない殺人歴が浮かんで消えた。目の前のこいつもさして変わりない生き方をしているのだから、きっと同じような気分だろう。
「ほんっと、飯食べるのもセックスするのも、呼吸すら、いまは億劫」
乾いた己の口からは、ぼろぼろと弱音に似た言葉が溢れ零れた。
「じゃあ、終わりにしようよ」
凛としたやけに透き通った声。ひしゃげた唇は疲労感を帯び、けれど笑みを浮かべていた。
「生きることを?」
俺は確認のために訊ねる。すると悪戯に笑いながら霧流は断定系を口走る。
「悪くないだろ」
「じゃあ霧流は俺の首を切ればいい」
「湊谷は俺のこと撃ち殺して」
薄暗い部屋が少しだけ明るく見えた。月明かりだろうか、青白い光がすぅっと差し込んで、けれど、結局は部屋の暗色に溶けて霧散した。
「終わりだ」
魅惑としか形容できない霧流の肯定形に自然と口元がほころんでしまう。
「俺、実はいまナイフ持ってる」
「奇遇、俺もジャケットに愛銃が入れっぱ」
霧流は袖に仕込んでいた二つ折りの愛用ダガーナイフを開いた。刃物が空気を切る音に反射で脊髄がぞくっと震えた。
「じゃあ俺から殺るね、安全装置はずしといて」
俺も霧流に倣いジャケットから鉛の塊を収めた拳銃を取り出した。カートリッジに残る弾丸は二発。人、一人殺すには十分すぎる。霧流の言葉に安全装置を外しスライドを引いた。
「切ってすぐに撃つから肩から片腕はずすなよ」
冷やかし笑いを浮かべながら言うと、冗談めかしに霧流が笑った。
「わかってるって」
これから死ぬっていうのに妙に嘘っぽい。現実との境界線があいまいになっていた。まぁ境界線なんて、すでに今日という日の夜が始まった段階で、ぐらぐら煮えて融解していたのかもしれない。今となってはどうでもいいことだ。ただ、鼻で笑った。
「じゃあ先に、おやすみ霧流」
先に刺される俺は、霧流のうなじと頭蓋の間に銃口を向けた。少々手がつりそうだけど、死んでしまえば関係ない。今までにないほど楽観的になれた。
「おやすみ湊谷」
霧流の声が鼓膜に届くと、左頸動脈に刃が付きたてられナイフは深々と血肉をえぐり刺さった。皮膚がぷつりと破けると共に弾丸を黒髪の中に二発打ち込んだ。一発目はうなじ寄り下、もう一発は頭蓋と頸椎の間にそれぞれ撃ち込んだ。破裂音。焦げ臭い、鉄が焼けるにおいと共に霧流の傷口からも勢いよく血液がだらだらと手にかかるのを感じた。ぬるくてべっとりとした液体。薬きょうの転がる音。左首は酷く痛んだし、心拍数と同じ回数だけ脈打つ感覚。そのたびに傷口から血液が波打つように噴出していった。霧流の息使いはわりと早く聞こえなくなり、俺も視界は黒に落ち、音もなにもかも感じなく、も、
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