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  • 「ジプシー」と呼ばれる人びとすべてが「ロマ」と自称するわけでも、そう呼ばれることを望んでいるわけじゃないです。
    マヌーシュが暮らすフランスでは、「ロマ」はあくまでジプシーの一下位集団名という位置づけで、とりわけ近年では、共産主義体制崩壊後に中・東欧諸国からフランスに流入し、外国籍移民として暮らす特定の集団を指すようになってます。
    逆に、数世代にわたりフランス国民である、マヌーシュやジタンなどの下位集団に属すフランスのジプシーは、「ロマ(ロム)」と呼ばれることに対して強い抵抗感をもちます。
    このことから、フランスの研究者も、ジプシーという言葉を使います。
    だからあなたの考えは、一方で差別的な考え方にもなりえます。

    結局呼び方なんて関係なくて、差別的な見方をする人間がいることが原因であって、言葉に差別を付与するのは人間です。

  • 申し訳ないですが、あまりにネットに転がっている適当話をかいつまんでは、更に空想で適当に脚色した感がありありです。
    そんなに「冬の鰻」とやらが旬といえる程美味しいものであるなら、このグルメの御時世では漁師さんもプロですから潜水具を付けて潜ってでも漁獲しますよ。大抵の漁場は浅い川が多いのですからね。
    何で古来大昔から全国各地で「夏を中心」の漁期であり、晩秋には来春まで漁をストップするのかは、漁期が終わるのは、もう早々捕れないのが当たり前に加え、実際は味も大した事ないからです。
    またこの魚の生態というものを少しは考えましょう。
    適水温が25度以上という大型熱帯魚並みの性質で、しかも冬の低水温で活動停止で冬眠状態すら移行するのですから、秋から低水温が始まった時期から活性は落ち、餌を食べなくなる事で痩せが始まります。更に秋になれば夏場までに周囲にあれ程居た餌となる生物も姿も消す一方なのが普通です。だからこそ対しての養殖は人工的再現のボイラーで水温30度まで加温した、一貫しての「常夏」の池で出荷まで育てるのですよ。その夏場の高水温の環境こそが最も活発に餌を食べて鰻は大きく肥え太るからです。なにせ四季のある自然下と同じ環境で育てていては秋口から痩せていくからですね。餌を食べなくなった時点で痩せる。それは我々人間と同じです。養殖事業は対象魚の性質に沿い、それを最大限に生かす内容で行なわれます。
    また鰻の養殖は夏が旬の夏野菜であるキュウリと同じようなものです。本来は冬など育てられない野菜ゆえに冬場は同じボイラー加温で『夏の環境」を作り出すのです。しかしだからとしってキュウリを冬が旬の冬野菜などというヒトは居ませんよね。

    私の地元の漁師さんなら、さすがにこの内容ではその事実、現実の乖離っぷりに大笑いする筈です。
    そもそも平賀源内バナシなぞウィキ程度でも根拠ナシと書かれて有り、識者の方々の調査でもフィクション扱いが常識でしょう。
    そもそも、「冬が美味しい旬の鰻」なぞの実体など、実際は世間に何ら普遍的に転がってない有様じゃないですか。
    漁師さんは獲ってないわ、天然鰻を謳う専門の料理屋も冬場は天然鰻のメニューから外しているわ、動画サイトでも半ば「ダマされた」方々が”それのドコが旬?”といった蒲焼を嬉しそうに食して居たり、釣り人が同様のサムいサイズの鰻を「やった!旬の鰻だ!」などと報告している様子ばかりで。
    勿論、都市伝説な類のネタとして扱う心づもりなら話は分かりますが、さすがにここまで肝心の実体の無い事を流布するのはメディアとして如何なものかと思いますが。

    作者からの返信

    最初に、騙る話としていますよね?

    子供に知らないけど、知ったかぶり出来るかも? という時間稼ぎのための浅知恵ですよ?

    それに、鰻は海から川に、また海へと帰る習性です。
    そもそも、冬の鰻は、秋までに海に帰りそびれたもの。

    珍しく、強かであればこその価値です。
    今でこそ、養殖と肥育の技術の前では難なく可能です。何時でも提供出来ますし、されてますよね?


    まず、昨今の冬の川にはいない前提です。
    川に残ってたら、餓死してますよ?
    護岸整備されて、氾濫する恐れがないから、川を探すのなら、砂漠で針を探すようなものです。
    冬になるまでには、海に向かっているし、川には居ません。

    田んぼや貯め池で越冬するために冬眠していると思います。
    それに、採算度外視すれば、中るかもしれませんけど、偶然だからこその、大当たりであって、青天井とはいえ、欲しいと思えてこそですよね?

    台風などの天災地変で偶然にも、万が一の奇跡的確率で生き残っていたからこその高値ですよ?

    そちらの主張する前提条件とは、ほぼ合いません。

    そちらの言い分に関しては、申し訳ありませんけれど、的外れかと。


    こちらは、まず、騙るを前提にしております。
    真偽は、それぞれの判断にお任せしています。

    子供騙しが、第一の前提です。


    ディープ・フェイクならぬ、ちーぷなふぇいくに惑わされませんように。

    それに、情報を鵜呑み、丸のみにされる方は、前提にありませんし、想定してません。




    「バカ」のそもそもの意味は、頑固者や強い拘りを意味すると考えると、色々としっくり来ると考えてみたり。

    バカ真面目なのは、真面目であることに強い拘りがある人を、はたからみて愚かだと、バカに見えてきたのが由来かな?

    バカ息子、バカ娘は、他人の言いなりにならずに、自己の意思でどんな結果も責任も、自己の一存で背負える。そんな息子娘にふさわしいと考える次第です。

    バカと天才も、使い方次第です。拘りを活かせれば、その方面では、天才ですね。
    活かしきれずに囲うは、おろかものです。


    何事も決め付けるのは、早計では?

    強い拘りがあってこそ、今の技術の進歩です。
    一方方向からだけ、一つの情報を見るのは、考えものですよ。


    私は、拘りをもって、一人の馬鹿者として、騙りと称しています。
    信じる信じないは、お任せしています。
    その人の判断能力次第です。

    よくよく考えて、嗜んでこそ、物語は愉しい。
    真実かどうかより、どう考えを巡らせられるか、そこが大事ですよ。

    傷付けるよりも、笑える微笑ましい騙りを目指してますので。


    空想は、必要だからこそ、盛り込みます。
    真実のみでは、ツマラナイ。

    ご高説はもっともですが、大人守り歌を好まれるなら、( ゚∀゚)つ。

    ご自分の作品棚で語って頂けると、とても助かります。

    受け入れてくださる方にこそ、どうぞご提供していただきたい。

    私のところは、一切合切、気にせずに。


    そちらはそちらで存分に語っていてもらっていると、こちらも助かりますので。

    大人なら、幼気な子供に甘い夢を見せてこそ。
    ほろ苦い真実は、苦味も楽しめるようになってこそです。
    夢も見せない大人には、私は、まだまだなりたくないのです。

    我が儘ではありますが、これが本音ですから。

    夢破れても、どうありたいかは語るべきかと。



    (*´∀`)つ では、サヨウナラ~ (*´・∀・)つ

    私は私で、これからも笑顔に出来るような騙りを作りたいので、苦み走るしかめっ面はそちらで(*´・w・)つ‼️

    編集済
  • 深く賛同します。
    Facebookのトイレネタで「お花摘み」が出てきて、謂れを知らないヤローが使うとキショいですよねとかコメントした際にリンクさせてもらいました。
    その後自分のフィードにもリンク付きで投稿を。

    「冗談からコマ」とかダジャレ的に使うのはいいと思いますけどね。
    謂れがあるものを、単なる類語と勘違いして、なんとなく語感が良いからと誤用している人は恥ずかしいなぁと感じます。
    どこかの調査では半数近くが誤解している「情けは人のためならず」とか「役不足」とかもですけどね。

    せっかく美しい日本語なんですから、正しく使って欲しいなぁと感じている一人です。

    https://www.facebook.com/tadanaohiro/posts/pfbid02ueNSGNjAq4e1mE31CzuBYdt7GgC8E2rGhrUwv1jakbyUKYr4GXL5Vx85AV8vqYQSl

  • 楽しい雑学?の数々、面白く読ませてもらい、ありがとうございます。

    以前料理教室で現地の本格的なカルボナーラも含めたイタリアンを習ったとき、デザートは定番のティラミスでした。
    そして料理後の実食時にティラミスの意味解説。

    ティラ:引っ張って
    ミ:私を
    スー:上(天国)へ

    はい、ここでニヤッとしたあなた、正解!
    大人の意味もあるのよ。

    https://delishkitchen.tv/articles/2427


  • 編集済

    メメント・モリとはへの応援コメント

    はじめまして、「お花摘み」の由来からしっかり書いた説明がないかなぁとググった所から辿ってきました62歳男性です。
    元々読者や日本語や雑学が大好きなので、目次を見て大喜び。
    これから読み進めていこうと思います。

    これを読んで葉隠れの「武士道とは死ぬことと見つけたり」を思い出しました。
    いや葉隠れ自体はまだ読んでいなくて、葉隠れを原典とした隆慶一郎作「死ぬことと見つけたり」しか読んでいないのですが。
    一応古流一刀流中西派の道場で剣道三段居合道二段まで稽古を積んで、武術武道を愛好する身としては恥ずかしい限りなのですけど。

    死を彼岸(ひがん)≒あの世ではなく此岸(しがん)≒この世のもの、間近の隣人として、いかに生くべきかを説いている書物だと感じているので。