第262話 悪意の終焉

 ペスカ達が転移した場所、それはおどろおどろしい憎悪が渦巻く空間だった。

 多少、力が弱まったとは言え、邪神の力は未だ健在である。肌を粟立たせる程に、悍ましい恐怖の感情が襲ってくる。

 激しい怒りの感情は、侵入者を狂気させようと纏わりつく。半端な神であれば、この場の瘴気に呼吸すらままならず、消滅するかもしれない。


 しかし、アルドメラクが作り上げた空間に足を踏み入れたのは、ロイスマリアの神々が束になっても勝つ事が出来ない三柱の神である。

 空間内に充満した悪意は、ペスカ達を侵す事は無い。邪気がペスカと冬也に触れると、一瞬で消えていく。

 ペスカと冬也の周囲は、瞬く間に浄化されていく。そしてアルキエルは、充満した悪意を意に介さず、変わらない態度で受け流していた。


「なんだ、このちゃちな糞ったれ空間はよぉ! 糞雑魚が大見得切った割に、だいぶ弱ってんじゃねぇか。んでどうするよ、冬也。俺が空間ごとぶった切ってやろうか?」

「ちょっ、おい! 待てアルキエル!」


 剣を取り出し、空間の中央に歩みを進めようとするアルキエルを、冬也は引き止める。


「あぁ? 邪魔すんじゃねぇよ! 決着つけんだろ! 足手纏いかてめぇは!」

「馬鹿、違う! 落ち着けってアルキエル! 俺達の出る幕じゃねぇんだ」

「どういう事だ、冬也ぁ!」

「私の出番って事だよ」


 ペスカが柔らかな笑みを湛えて、アルキエルの前に立っていた。


「なんだペスカぁ? てめぇのまどろっこしい策とやらで、対抗しようってか? 遊びじゃねぇんだぞ!」

「あ~、何だかアルキエルが生意気! 私が本気だせば、アルキエルなんてぽいってしちゃうんだからね!」

「ペスカてめぇ、調子にのんじゃねぇ!」

「まぁまぁ、怒らないのアルキエル」

 

 アルキエルは理解している、ペスカと自分の相性が悪い事を。

 真向から挑んでくる相手に対して、アルキエルは無類の強さを誇る。しかし、ペスカの様に策を弄し、搦め手で責める相手を苦手としている。

 恐らく戦いにすらならず、アルキエルはペスカの前に膝を屈するだろう。


 声を荒げるアルキエルであるが、拳を振り上げる事は無い。それに、笑顔で見つめてくるペスカに対し、怒りすら沸かない。

 アルキエルは、やや忌々しく感じながらも溜飲を下げた。


「二人の役目は、この空間から悪意が漏れない様にする事ね。ドラグスメリアの時みたいに、残滓が残っても嫌だからね」


 ペスカは、冬也とアルキエルを見渡す。


「あぁ、兄ちゃんに任せておけ」

「仕方ねぇな。譲ってやるからには、きっちり片づけろよ!」


 冬也とアルキエルは、頷いて答えた。そして、神気を膨らませて空間を包み込む。

 何も出す事を許さない、強大な結界が張られる。それは、遥かに離れた地上からも、察知出来る程の結界であった。


 ペスカは結界の出来に満足すると、空間の中央に歩みを進めていった。

 地上に満ち溢れる希望にあてられ、姿を保てなくなっているのだろうか。中央には、爛れ、崩れながらも、懸命に構成する体を保とうとしているアルドメラクの姿があった。

 元々醜く歪んだアルドメラクの表情は、激しい憎悪で醜悪さが増していた。

 

 ペスカは、空間を満たす、悪意の中心に辿り付く。そして、アルドメラクはゆっくりと口を開いた。


「笑いに来たのか英雄。貴様の策に負けた、この我を」

「別に笑いに来たわけじゃないよ」

「今の貴様なら、我を消去する事など容易かろう。感じるぞ、忌々しい力を。その力が我の存在を否定するのだな」

「まぁね。でも、あんたはそれで良いの?」


 ペスカは、アルドメラクに問いかけた。

 否定されて然るべき存在である邪神、これから滅びゆく者に対して、問いかけを行った。

 

 アルドメラクは言葉に詰まった。

 ペスカに対し、噴き出す程の不満が有る。しかし、いざその場になった時、言葉にならなかった。


 滅びは決定しているのだろう。それにも関わらず、何故そんな事を言いだす。

 アルドメラクは、困惑していた。

 

 望まれて生まれて来た筈だった。しかし、自分を望んだ存在達が、自分を否定した。

 これ以上の理不尽があるものか。

 

「殺すなら、早く殺せ! 事ここに来て、我はみっともなく抵抗はしない!」


 アルドメラクは、声を荒げる。いや、声を荒げる事しか出来なかったのだろう。


「アルドメラク。理解してないなら、教えてあげる。あんたは、立派に邪神として使命を果たしたよ」

「何を言ってる! 奴らは我を否定した! 何て身勝手なのだ! 我はあの世界には、存在する事は出来ん。もうその力すら持ち合わせない。これが理不尽で無ければ、何なのだ! ふざけるな英雄! 全ては貴様の策であろう!」

   

 アルドメラクは、激高した様子でペスカに言い放つ。しかしペスカは、聖母の様な笑みを絶やさなかった。

 そしてペスカは、優しく語り掛ける。 


「人だけじゃない、亜人も魔獣も根本的には強くない。怒り嫉妬し他者を傷付ける。それが己に返るとも知らないで。小さな諍いは、大きな戦争へと繋がる。それで、狂気は広がっていくの」


 ふぅと息を整え、ペスカは言葉を続ける。

 

「富を得れば、独占する。欲望は際限を知らない。それは人間だけに有る罪の可能性じゃないよ。争いは終わらない。生物の本質も変わらない。そうやって、世界は破滅へと進行していくの」


 アルドメラクは、いつしかペスカの言葉を聞き入っていた。


「自らの手で世界を壊す生物は、世界からすれば害悪でしかないよ。でも、生物がいなければ、世界が存在し得ないのも事実だよ。少なくともこの世界ロイスマリアでは、生物の存在はマナの循環に一役を買っているしね」


 ペスカはアルドメラクを優しく見つめた。そして再び問いかけた。


「滅ぶのは世界? それとも生物? もしくは神? あんたはどれを滅ぼしたかった?」


 アルドメラクは、答えを出せなかった。

 滅びを望んだから、滅ぼそうと思った。望まれた願いを、漠然と叶えようとした。ただそれだけ。

 特定の何かを、滅ぼしたいのではない。それは全てでも有り、全てが違う様に感じる。

 だから、答えが出なかった。

 

「原初の神が望んだのは、平和な世界。だから、あんたみたいな邪神が必要なんだ」

「どういう事だ?」


 ペスカの言葉を、アルドメラクは理解が出来なかった。


「邪神は世界に広がる、あらゆる悪感情を吸い取って消えていく。邪神はそんな存在なんだよ。邪神が居るから、世界は崩壊を待逃れるの」

「必要悪だと言うのか? なら、我は・・・・・」

「今回、あんたは世界の敵になった。人、亜人、魔獣、神。全てが力を合わせて、あんたに立ち向かった。皆が一丸になれたのは、あんたという巨大な敵が居たから」

 

 その時、芽吹きを促す柔らかい日差しの様なペスカの神気が、辺りを満たしていった。

 そして空間内に満ちた、禍々しい悪意が消えていく。アルドメラクの表情から、憎悪が消えていく。


「邪神の存在は、生物に痛みを思い出させる。そうやって歴史は繰り返して来た。アルドメラク、あんたは邪神として役目を果たしたの。ありがとう、それとお疲れ様」


 全ての悪意が消え去った時、アルドメラクの瞳から涙が流れていた。

 ペスカの言葉に絆された訳ではない。ただ、存在を認められた事が嬉しかった。

 自分にも、生まれた意味が有った。それがわかった事が、嬉しかった。


 ペスカの神気に触れ、アルドメラクは浄化していく。消えゆく中で、アルドメラクは零す様に呟いた。


「其方は、まさに英雄だ。この我をも救うのだからな。英雄に感謝を!」

「おやすみ、アルドメラク。大地と共に永遠に」


 ペスカは優しい微笑みで、アルドメラクを送る。ペスカの後方では、アルキエルが床に剣を突き立てて、目を閉じていた。

 アルドメラクが完全に消え去り、作られた空間も消え去る。そしてペスカ達は、再びロイスマリアに転移した。


「なぁ、アルキエル。お前、知ってたのか?」

「あぁ? 何の事だ?」

「何って、黙祷してたろ?」

「冬也・・・。神ってのは、不自由なんだ。俺は結局、戦いしかねぇ。邪神は、全ての悪意を引き取って消滅する。それが定められた使命だ。糞雑魚は、糞雑魚なりに頑張ったんだろ? なら、あれ位してやっても、罪にはならねぇよ」


 冬也の問いに、アルキエルは眉をひそめながら答える。その姿を見て、冬也はアルキエルの背中を軽く叩いた。


「お前は、お前の道を新しく探せば良い。満足するまで俺が付きやってやる」


 アルキエルは、冬也を一瞥すると、直ぐに顔をそむけた。

 ただ、その表情は少し綻んでいる様に見えた。

 

 そして、ペスカが冬也の下へ歩み寄る。

 ペスカは、がしっと冬也に抱き着き、冬也はペスカの頭を優しく撫でた。

 思えば長い戦いだった。そして、世界は新たに蘇る。

 長く続いた兄妹の旅も、終わりに近づいていた。 

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