第236話 東郷冬也

 冬也の意識は揺蕩っていた。それはまるで、広大な海に浮かぶ一切れの棒の様に。


 ここは、死者の世界。

 生者は死して肉体を失えば、魂魄のみが残される。そして転生し、新たな生を得る。

 魔獣が人間に転生する事があれば、人間が亜人に転生する事もある。そうして続く永遠の輪廻。

 神と同様、地上の生物も本当の意味での消失は無い。ある一部を除いて。


 例えば生前、他者を無尽蔵に殺した殺人鬼が居たとしよう。

 他者や世界に酷い悪影響を与えたその者は、女神セリュシオネによって輪廻の輪から外される。行き場を失った魂魄は、多くの場合が消滅させられ二度と蘇る事はない。

 

 冬也の場合は、少し状況が異なる。

 人間として生まれたが、女神フィアーナの血を引いている。生まれながらに神格を持っている為、魂魄という概念が無い。

 

 神格と魂魄の違いは、秘めた力に違いがある。そして時折、魂魄を神格まで昇華させる者が現れる。

 それがペスカである。

 

 神格を持つ神は、神気を持って人間を模倣した体を作り上げる。仮に消滅しても、一定の条件が整えば、再誕する事も有り得る。故に、神格が破壊されない限り、消滅する事は無く、死という概念も存在しない。 


 二人は、アルキエルによって無残に殺害された。

 そして二人の体は、クロノスによって運ばれ、今は女神セリュシオネの下にある。肉体と完全に切り離された意識は、死者の世界を彷徨っている。

 また意識下では、己の惨たらしく切り裂かれた体が見えていた。


 死者の世界は、あらゆる魂魄が流れ着く場所であると共に、過去から現在にかけてのあらゆる情報が集まる場所である。それは、世の理にも及ぶ。

 生物の誕生から進化、戦いの歴史、文化の発展、またそれらを成した者達。かつて何が起きたのか全てが蓄積されるこの場所で、二人の意識に全ての情報が駆け抜ける。


 そして冬也は知った。

 星や生命の誕生から、現在に至る遺恨の原因とその果てを。


 それは高度なVRマシンで実体験でもしたように、映像として冬也の意識に投影されては消えていく。

 出来事の裏には必ず有るだろう心が、冬也の中に流れていく。

 希望が流れていく。怒りが流れていく。苛立ちが、憤りが流れていく。悲しみが流れていく。喜びが流れていく。


 そして今、生者達の苦しみが流れ込んでくる。飢えて倒れる者の苦しさが。水を求めて彷徨い倒れる者の苦しさが。様々な者の苦しみが、まるで自分の事の様に感じる。

  

 ぶつけ様の無い怒りが膨れ上がるのを、ありありと感じる。

 どれだけ頑張っても、自然の理には勝てない理不尽さ。自らが腹を減らし、子供を救う為に抗っても、簡単に弱い者が死んでいく世界の残酷さ。

 生きるために必死に戦っても、成す術なく倒れる者の憤りが、冬也の中に流れ込んでくる。


 生きる為にと、仕方なく犯罪に手を染める者の、やるせない思いが流れてくる。

 涙を流しながら、他者を殺し喰らう姿。助けを請いつつも、悪に手を染めた事を悔い、最後は相手の糧となろうと首を垂れる姿。

 涙を流しながら同族を食らう者の悔しさが、冬也は手に取る様にわかる。


 冬也にはわかっていた。

 今、神が地上を離れ戦っている事を。その影響で地上が、壊れようとしている事を。

 

 冬也には見えていた。

 エレナがミノタウロス達を救おうと、懸命に問いかける姿を。

 ミューモが各地で暴徒を鎮める姿を。

 ミューモの眷属が戦いを治める為に、惜しまず力を使う所を。

 スールとブルは空を駆け、ズマは魔獣達を指揮し世界の為に奮闘している。

 マルスは、昼夜を問わず果実の研究をしている。

 シリウスとシルビアは、国内の食糧生産の確保に、東奔西走している。

 彼らが、自分とペスカを信じて戦い続けている事、そこに秘められた想いが、冬也の中には流れ込んで来た。

 

 冬也は全てを知り、全てを見ていた。

 神の戦いも、生者の抗いも、切り裂かれたまま放置されている自分の死体も。何も出来ずただ眺めていた。

 

 何故、自分はそこに居ない。そんな疑問を感じた。

 何故、自分は何も出来ない。そんな不甲斐なさを感じた。

 意識が漂うそんな世界で、冬也は自我を取り戻そうとしていた。

 

 何故、こんな世界になった。


 それは、お前が負けたからだ。お前が負けたせいで、神々は戦わざるを得なくなった。だから神は世界を捨てて消えた。お前が勝っていれば、こんな世界は訪れなかった。


 何故、俺は負けた。


 お前が弱かったからだ。

 弱い者に力を分け与えた結果、力を減らした。弱い者を守ろうとした事で、お前も弱くなった。だから負けた。当たり前の結果だ。


 違うだろ。そんなの間違っているだろ。

 あいつらは全て俺の大事な仲間だ。守って当然だ。


 違わない。

 魔獣達に力を分けていなければ、世界からこれだけの死者を出さなくてすんだ。

 未熟者の癖に、神を気取って眷属を作った結果がこれだ。お前の傲慢さが、沢山の犠牲者を出したのだ。万全ならば、お前とペスカの二人が犠牲になるだけで済んだ。

 それで、あの化け物を止める事が出来た。

 

 ペスカを傷付けさせやしねぇ。


 馬鹿か。既にペスカはお前の次に殺された。お前はペスカを守れなかった。ペスカの盾にすらなれなかった。半端者が調子に乗るな。


 次は負けねぇ。


 何も出来ずに負けたお前が、何を言う。その口で何を語る。何も出来はしない。そのままお前は、ここで朽ち果てろ。

 それが世界の為だ。次など訪れはしない。


 いいや、俺が世界を守る。ペスカを守る。

 

 既に壊れた世界をどうやって守る。既に命が絶たれた者をどうやって救う。お前が居たところで、何も変わりはしない。


 何かが冬也を責め立てる。何も出来ない、だから諦めろと。

 しかし、冬也は諦めない。逆境にあってこそ尚、闘志を燃やし戦うのが冬也なのだから。

 

「さっきからうるせぇんだよ、セリュシオネ! 余計な事をグダグダ言ってねぇで、俺を早く蘇えらせろよ! 俺には救う世界がある。俺には守る仲間がある。だから負けねぇよ、二度とな。それにペスカは死なねぇよ。そういうやつだ、ペスカはな!」


 ただの意識である冬也に、叫ぶことが出来るだろうか。

 間違いなくこの瞬間に、冬也の神格は輝きを取り戻した。神格と共に、傷がみるみると塞がっていく、冬也の肉体が再生していく。

   

「待ちなさい! 何故、人間の体を選ぶ! 何故この状況において、神として生きようとしない。人間の体で何が出来る。このままでは、君は必ず間違える。絶対だ!」

「何が間違えるって? 馬鹿じゃねぇのかセリュシオネ! 俺は人間だ、神じゃねぇ!」

「そんな些末に拘るから、君はアルキエルに負けたんだよ。まだわかってないのかい?」

「わかってる。だから、二度は負けねぇよ!」

「有りもしない根拠だね。これじゃあ死の世界からは出す訳にはいかないな」

「あんたが出さないって言うなら、俺はこじ開けてでも出てやる」

「君の事が嫌いだよ。本当に腹が立つ。せっかく私が道を示してやろうと思ったのに」

「知ってるよ。だからあんたは俺に見せたんだろ! この世界の理と過去に何が有ったのか、いま何がおきているのか。あんたの思惑がなんだろうと、乗りはしねぇよ。俺は俺の道を行く。俺は人間。それでも俺が神だと言うなら、俺は生者の為に有る神。この世界を壊そうとするなら、どんな奴でも倒してやる。全てを救う! それだけだ、馬鹿野郎!」


 冬也の神格が更なる光を放つ。再生した冬也の肉体に、神格が戻っていく。そして冬也は、ゆっくりと目を開ける。

 冬也は少し体を動かして、神格が肉体に馴染んだ事を確認した。


 そして徐に神剣を取り出して、目を瞑る。ゆっくりと自分と近い神気を辿る。そこには地上と神の世界を切り離した、女神が居るはずだから。

 当然、アルキエルと戦っているのも理解している。


「待ってろよペスカ。お前が帰る場所は、俺がちゃんと作ってやる」


 誰も入れるはずがない場所、それが隔離された神の世界である。そして、神気がぶつかり揺らぎあう、最も危険な場所である。

 冬也が目指したのは、そんな場所である。

 

 次の瞬間、冬也の姿は消えた。

 女神セリュシオネが出さないと言った死者の世界を抜け、神の世界へと移動する。神剣を振るい、揺らぎ合う神気を切り裂いていく。


「アルキエル! てめぇの相手は俺だろうが! 関係ねぇ奴らを巻き込んでんじゃねぇよ!」

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