第234話 神の行方 その1

 世界から神の恩恵が消えた。

 大地は荒れ、水は枯れ、大気は淀む。雨は降らなくなり、マナは停滞を始めた。


 地上から、少しずつ生物が消えていく。弱い者から順番に。

 プランクトンが消え、魚が死んでいく。植物が枯れ、実りと緑が失われる。虫が消え、小動物が死んでいく。草食動物は、猛烈な勢いで数を減らす。肉食動物は、食料を失い息絶える。


 誰もが飢えていた。生きる糧を失っていた。

 それはやがて、大きな存在にも影響を与える。


 世界は緩やかに死を迎えようとしていた。

 

 神の恩恵が消失したのは、ドラグスメリア大陸の東部で起きた事件を起点としていた。全ては、あの悪夢から始まった。


「フィアーナ! これでも、対話が出来ると思うの!」


 一部始終を神の世界から眺めていたミュールは、声を荒げた。


「あんたの息子は殺された! ペスカもね! 私の眷属達は全滅だ! 私は許さないよ!」


 柳眉を逆立て、怒声を上げたのは、女神ミュールであった。

 握り締めた拳は、小刻みに震える。頭の先まで朱で染め上げ、逆上とも言える程に、怒りを露わにしていた。


 女神ラアルフィーネは、静かに涙を流していた。

 想い人の有り得ない末路。それは、女神ラアルフィーネの心を引き裂いた。さめざめと涙を流し、冬也を想う。

 冬也とペスカは、混沌勢の神々を倒して見せた。邪神ロメリアと渡り合い、消滅させた。それなのに、何故こんな結末に。あんなにも無残に殺されるなんて、今でも信じられない。

 言葉も発せずに、女神ラアルフィーネはただ涙を流した。


 女神フィアーナは、俯いて口を噤んでいた。様々な想いが、女神フィアーナの中に交錯する。

 平和な世界を作りたかった。皆が笑って暮らせる世界を作りたかった。神と地上の生物が手を取り合い、共に歩める世界を作りたかった。

 その為に、力を注いできた。

 

 いつ、道を間違えたのだろう。

 世界を守る為には、管理が必要であった。世界を守る為には、抑制する事も必要だった。

 それが無ければ、地上の生物は自らの手で滅びを選択していたかもしれない。


 何度も繰り返して来た。何度も世界を作っては、壊され、壊して来た。

 もう、間違えたくない。でも、また間違えたのだろう。


 女神ミュールの作った大陸とそこに生きる者の行動理念は、単純明快であった。

 文化を一切否定し、弱肉強食を体現した世界である。女神ミュールは、そんな世界を実現した。

 

 しかし、他の三柱の大地母神は、知的生物が生み出す文化を尊重した。そして育んだ。

 文化の進歩と共に、技術が生まれ、産業が生まれた。それに伴い、新たな神が生まれていった。


 原初の神々、新たな神々、そして地上で生きる者達。皆が共に歩める世界になるはずだった。


 しかし、事件は起きた。

 それは、タールカールの悲劇と呼ばれる惨劇。新たに生まれた神が、大地母神の一柱に対して起こした反乱であった。

 神々の戦争は、大陸そのものを滅ぼした。そして、タールカールを拠点としていた、多くの神々が消滅した。


 文化の進歩を抑制しようとする原初の神。文化の進歩から生まれた新たな神。もしかすると二つの存在は、相容れないのかもしれない。

 何故なら、文化の進歩を抑制する事は、新たな神の存在を否定する事に他ならないからである。


 大地母神の一柱が消滅した事により、表面上での争いは鎮火した。

 ただ水面下では、反乱を起こした一部の神々は燻り続けた。神々の争いが禁じられて尚、彼らは狙い続けた。


 タールカールの悲劇を経ても、存在を続けた一部の神。

 彼らが抱く復讐、その二文字には、並々ならぬ思い籠められている。その怒りは、原初の神を代表する存在である、女神フィアーナに集中した。

 賛同する神を含めて、いつしか反フィアーナ派と呼ばれる様になった。

 

 しかし、新たな神々が全て、反抗の意を示していた訳ではない。

 現に女神フィアーナが管理するラフィスフィア大陸では、ほぼすべての神が女神フィアーナの傘下に収まっている。

 だからこそ、女神フィアーナは対話に拘った。必ず歩み寄れると信じていた。しかし、全ては泡の様に消えた。

 女神フィアーナは、顔を上げると徐に口を開く。 


「強制招集をします」

「待って、フィアーナ。それは流石に」

「いいえ、ラアルフィーネ。もう限界でしょう」


 涙を拭う事もなく、女神フィアーナを制しようとする女神ラアルフィーネ。しかし、女神フィアーナは黙って首を横に振った。


「集めて一掃するなら、私は賛成よ」

「いいえ、ミュール。彼らを追いつめたのは、我々です。彼らに罰を与えるなら、我々にも罰は必要です」

「馬鹿な事を! それじゃあ、ロイスマリアが滅びるわよ。それでも良いの?」

「仕方のない事です。世界には一柱だけ残れば良い。それで、地上の生物達は、輪廻から外れる事はありません。やがて世界が滅びても、他の世界で生まれ変わる」


 女神フィアーナは、女神ミュールの意見も否定した。罰を与えるなら、全ての神が同罪だと主張した。

 世界には、死と生を司る神だけ残ればいい。星が消える事になっても、地上の生物が輪廻から取り残され、消滅する事が無くなる。

 

「前にも言ったでしょミュール。一部を除き、神々を集めて世界を切り離す。これは長である私の決定。例えあなた達でも反論は許さない」


 女神フィアーナ派、固い表情で言い放った。決意に満ちた瞳を見れば、もう覆せないのかもしれないと、二柱の女神は悟る。

 しかし女神ラアルフィーネは、深いため息をついた後、一縷の望みを託して問いかける。


「それでフィアーナ。世界を切り離した後、どうするの?」

「好きにしなさい。新たな世界を作るのも止めはしないわ」


 女神ラアルフィーネは、息を呑んだ。

 ロイスマリアという世界を放棄する。女神フィアーナの中では、決定事項なのだ。

 長い時をかけて作り上げた世界を放棄する事に、戸惑いを感じつつも止める言葉を、女神ラアルフィーネは持ち合わせてはいなかった。

 しかし女神ミュールは、女神フィアーナの発言に、声を荒げて反論する。


「私は納得しないわよ、フィアーナ。奴らと決着をつけるまでね」

「ミュール。それで構わないわよ。納得がいくまで決着をつけなさい。どうせ彼らも同じ考えでしょうし」

「なら良いわ。ところでフィアーナ。あんたはどうするつもりなの?」

「私は全てを見届けます。ただし」


 女神フィアーナは、一拍置くと再び言葉を続ける。


「アルキエル。あいつだけは、私が消滅させる。冬也君を殺した罪は、その身を持って償わせる」


 その言葉と共に、猛烈な勢いで女神フィアーナから、神気が溢れた。愛する息子の無残な姿を見て、女神ィアーナもまた逆上していた。  

 

 神々の中でも、大きな発言力を持つ大地母神。ただしその影響力が、戦闘力と比例する訳ではない。

 大地に神気を流し生物を作り上げる。故に、地上に生きる者の母たる存在の大地母神は、戦う力を持たない。

 その筆頭である女神フィアーナが、息巻いている。それがどれ程の事か。同じ大地母神である二柱の女神は、痛いほど理解が出来た。


 己の存在をかけても、戦いの神アルキエルを消滅させる。二度と再生が出来ない様に。

 

 女神フィアーナの怒りは、二柱の女神が抱く怒りを遥かに超えていた。その怒りを目の当たりにし、二柱の女神は言葉を失った。

 二柱の女神が口を噤む様子を見て、女神フィアーナは言い放つ。


「もう無いようね。なら始めるわよ」


 女神フィアーナの神気が高まる。

 神々の長である女神フィアーナにのみ許された、神の強制招集。かつて、ラフィスフィア大陸で混沌勢の神々が暴れた時でさえ、使わなかった権限を女神フィアーナは行使した。


 神の世界に、一部を除きすべての神が集められる。ただしそこには、女神セリュシュオネとその眷属は含まれない。冬也の眷属となったスールとブルも。

 

 女神セリュシュオネは、死と再生を司る神である。ロイスマリアと切り離せば、生者は輪廻の輪から外れてしまう。

 スールやブルは、半神である冬也の眷属であり、神格が満足に育っていない。神よりも生者に近い存在である者を、呼んでも意味がない。

 それ以外の神は全て集められた。ドラグスメリアの悪夢で、神格だけ残された数々の神も含めて。

 

 当然、神々の世界は騒然とする。そして彼らは知る。既に神の世界が、ロイスマリアとは切り離されている事を。

 一部の神は理解した。来るべき時が来たのかもしれないと。

 また一部の神は、訝しげに目を光らせた。これから起きる事を予感して。


 神の世界の中央には大地母神、その周囲に集められた神々が居る。そして一柱の神が、中央へとゆっくりと歩みを進める。

 そして傲然な態度で、言い放った。


「あぁ? セリュシュオネは居ねぇのか? 仕方ねぇな」

「アルキエル! あんた!」


 女神ミュールは声を荒げる。しかし神アルキエルは周囲を見渡すと、女神ミュールを無視するかの様に、一部の神々の下に歩みを進める。


 それは、辺りの様子を警戒しながら一か所に集まる神々、通称反フィアーナ派。神アルキエルは、彼らに近づくなり神気を高めて剛腕を振るう。その一振りで、数多の神々を神格ごと消し飛ばした。

 そして、ゆっくりと中央へ振り向くと、怒声を上げる。


「これで、てめぇの戦う理由は無くなったか、ミュール! なら、殺し合おうぜぇ! 残った奴らも全員、かかって来い! 戦の始まりだぁ!」

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