第232話 ミノタウロスの国を守れ その1

 ミノタウロス。

 それは、かつてアンドロケイン大陸に侵略し、女神ラアルフィーネの怒りを買い、異形の姿に変えられた人間である。


 マナを封じられ、神々の恩恵を受ける事が無い荒れた土地で、農奴の様な労働を強制された。そして、呪いの如き宿命は、子々孫々と受け継がれた。

 しかし、彼らは余りにも純朴であった。


 先祖が犯した罪を受け入れ、己の使命を受け入れた。そして、実直に働き続けた。誰でもない、大陸全ての亜人の為に。


 神の恩恵が受けられない、ましてやマナが扱えない事は、マナに頼って生きているこの世界の人間にとって、死にも等しい罰であった。


 ミノタウロスに残されたのは、多少の事では壊れる事が無い強靭な肉体のみ。

 その肉体を操り、彼らは治水工事を始め、開墾や耕作技術の改良、作物の品種改良等、様々な農業技術の開発に力を注いだ。


 荒れた土地でも育つ作物を生育した。やがてはその土地ですらも、豊かに変えていった。代を重ねミノタウロス達の暮らす国は、アンドロケイン大陸の一大農産地となった。

 

 そして現在、ロイスマリアから神が消え恩恵が失われ、アンドロケイン大陸でも飢餓が蔓延し始めた。それは、ミノタウロスの国ミノータルが蹂躙されるのに、充分な理由であった。

 

 ミューモとエレナが上空から見たのは、どれだけ傷付けられても笑顔を絶やさずに、収穫物を渡すミノタウロスの姿であった。

 勃発する戦争下で影響を受けるのは兵士だけではない。暴徒化する民衆達。その力は、ミノータルに向いた。

 

 荒み続けるアンドロケイン大陸の中で、ミノタウロスは数少ない理知的な存在だった。

 大陸各国では、自国の食料生産は完全に途切れている。ミノタウロス達が、どれだけ各国に食料を運んでも、飢える民衆の数を減らす事は出来なかった。

 それでもミノタウロス達は、己の事は差し置いて他国に食料を運び続けた。


 そして荷馬車は、恰好のターゲットとなる。暴徒達は大挙を成して、各国へ農産物を運ぶ荷馬車を襲った。


「落ち着いて下さい、大丈夫です。皆さんには、ちゃんと食料をお渡しします」

「うるせぇ! 四の五の言わずに、全部よこせ!」

「他にも飢えている方がいらっしゃいます。全てを差し上げる事は出来ないのです。どうかご理解下さい」


 角材で殴られても、ミノタウロスの強靭な肉体には、傷一つ付かない。そしてミノタウロスは笑みを崩さず、一歩も引かない。

 悪意を向け、容赦なく傷つけて来る亜人ですら、ミノタウロスにとっては助けるべき者だった。


 特にミノータルと隣接する、二つの国からの襲撃が酷かった。

 空からはハーピー達が、農園を襲っていた。農園を襲う暴徒の中には、キャットピープルの姿もあった。

 

 荒らされる農園、涙ながらに訴えるミノタウロス。彼らの涙は、暴徒達の目には映らない。その真意が暴徒達に届く訳も無い。


 エレナは我慢が出来なかった。

 少なくともミノタウロスは、食料を独占しようと、企んでいる訳ではない。蛮族にも似た行動を起こす亜人達、ましてや同族がその中に居る事が許せなかった。


 エレナは、サバイバルを日常的に課せられた、ドラグスメリア大陸での生活を強いられた。

 その生活の中で、エレナの価値観は以前とは大きく変わった。


 生き残る為には良いも悪いも無く、他者の命さえ奪わねばならない時がある。

 しかし欲望のまま、全て我が物にしようと奪い尽くす。それが果たして正しい事なのか。

 少なくとも、ドラグスメリア大陸の魔獣達には、戦いにおいて誇りがあった。誇りも何も失った亜人達の行いを、決して認める事は出来ない。


 気が付いた時、エレナはミューモの背から飛び降りていた。これ以上、苦しめられるミノタウロス達を見ていられなかった。

 ハーピー達を吹き飛ばしながら、農園に降り立つと大声で言い放った。


「お前ら! いい加減にするニャ! 何をしているのか、わかってるニャ!」


 暴徒達は、突然空から現れたキャットピープルに、多少同様をしたのものの暴れる事を止めなかった。

 そして、エレナは暴徒達を止めようと、地を駆けた。


 ただし、相手は兵士ではなく、ただの一般人である。エレナが本気を出せば、間違いなく殺してしまう。

 エレナは、かなり力を加減して走った。それでも一般人からすれば、凄まじい速さである。しかし、暴徒達に向かい走るエレナを止めたのは、予想外にもミノタウロスであった。

 強靭な体を使い、エレナを後ろから羽交い締めにした。

 

「離すニャ! 何やってんニャ! あいつらを止めないと、根こそぎ奪われるニャ!」

「それでも! 暴力を振るって良い理由には、なりません!」

「なんでニャ! 間違ってるニャ! あいつらは自分の事しか考えていないニャ! 目を覚まさせてやらないといけないニャ!」 

「そうかもしれません。ですが、私達はこうするしか出来ません。奪われれば、それ以上に作る。ただ、それだけなのです」

「それは、単に増長させるだけニャ! お前らはこんなにも強いのに! なんで道理を正さないニャ!」


 エレナは、ドラグスメリア大陸で多くのモンスターを屠って来た猛者である。

 そのエレナを拘束できる程の力が有りながら、ミノタウロス達は何故されるがままに理不尽を受け入れるのか。

 それが本当の優しさなのか、それが本当に他者の為になるのか。違う、絶対に間違っている。時として、力づくでも過ちを正す。

 それこそが、あるべき姿ではないのか。


 悔しいはずだ。

 現にミノタウロスは、エレナを羽交い絞めにしながらも、涙を流している。ひたすらエレナに、謝罪の言葉を繰り返している。

 

 これは一つの呪いだ。

 壊れる事が無い強靭な体、愚直なまでの精神。どんなに理不尽な目に合おうと、反抗が許されない悪辣な束縛。

 神によって作られた、残酷なまでの呪いなのだ。

 

 エレナは天を仰ぎ見ると、亡き友の姿を思い描いた。

 ペスカならどうしただろう。魔法で簡単に、この場を解決したのだろうか。 

 冬也ならどうしただろう。暴徒さえも威圧し、黙らせたのだろうか。

 

 どれだけ思いを馳せても、二人と同じことが出来るはずがない。

 エレナはゆっくりと、視線を元に戻す。そして、再び大声を張り上げた。


「もう一度言う! 大人しく自分達の国に引き帰せ! ここの作物は、お前達だけの物じゃない! これ以上暴れるなら、キャトロール辺境軍の元隊長である、このエレナが相手をする!」


 いつもの陽気なエレナではない。

 ズマ達を鍛え上げていた頃の、軍人モードのエレナである。その声には覇気が満ち、暴徒達の動揺を誘う。


「俺も居るのを忘れるな! 亜人如き子虫を、消し炭にするのは容易い! 怯える位なら去れ!」


 突然、急降下してきたミューモ。見たこともない巨大な化け物を目の当たりにし、暴徒達は腰を抜かした。

 追い打ちをかける様に、ミューモはブレスを吐く。我を忘れる様に暴れていた暴徒達も流石に恐怖し、蜘蛛の子を散らす様に逃げていく。

 エレナを強く拘束していたミノタウロスも、呆気に取られていた。


 体を自由に動かせるようになったエレナは、頭を掻きながら少し不貞腐れた様な表情をして、ミューモの下に歩いていく。


「なんだか、ミューモに良い所を取られた気分だニャ」

「そう言うなエレナ。あの様な輩は、力を示すの一番だろう」

「なんだか、ずるいニャ。でもどうするニャ? この国には、あんな奴らがいっぱい来てるニャ」

「俺に任せろ! 全て追い払う。お前はそこのミノタウロス達を連れて、国の中心へ行け」

「果実はどうするニャ? お前の眷属は、もう一体しか残ってないニャ」

「もちろん連れていけ! 先に事情を説明しておくのだ」


 巨大な化け物が、暴徒を追い払った。その化け物とキャットピープルの少女は、平然として話している。ミノタウロス達は、唖然としていた。

 やがて、巨大な化け物は飛び去っていく。それでも、ミノタウロス達は呆然と立ち尽くしていた。

 

「何してるニャ! 早く行くニャ! ミノータルの首都は、ここからそんなに遠くないはずニャ!」

「いや、いったい何が・・・」

「何がって、私達は希望を届けに来たニャ! この大陸を救う希望ニャ!」

「何を仰ってるのですか?」

「お前達ミノタウロスは、頭も馬鹿になってるのかニャ? 争わないのは結構ニャ。でも、それだけじゃ守れないニャ! いいから行くニャ!」

「あなたは一体?」

「さっき教えてあげたニャ。キャトロール辺境軍の元隊長さんニャ。これでも故郷では、私に勝てる奴は居ない位に強いニャ」

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