第230話 希望の果実 その2

 集まった各人が呆然とする中、スールは静かに待った。

 それぞれの気持ちは、痛いほどに理解が出来る。だからこそ、落ち着くのを待った。


 シルビアは、声を上げて泣いていた。真っ赤に瞳を腫らし、両の拳で大地を叩き続けていた。


「何でよ! 何でよぉ! 何であの子が犠牲にならなきゃいけないのよ! ペスカちゃん! 冬也君!」


 シリウスは、歯を食いしばり涙を零していた。握り締めた拳からは、血が滲んでいた。


「姉上。また先に・・・。私はまたお役に立てないのか」


 マルスは、じっと俯いていた。顔を伝って、ポタリと雫が地面に落ちる。


「ペスカ、またいなくなるのか。冬也、今度はお前まで」


 エルラフィア王は、終始顔を青ざめさせて震えていた。


「我らは何度、英雄を失えば良いのだ」


 深い悲しみは、スールやブルとて同じ。ましてや、無残な姿を目の当たりにしたのだ、今でも抑えきれない感情がある。しかし、それに囚われていては、前に進む事など出来ない。


 世界は終焉に向かい突き進んでいる。なればこそ、種族の枠を超えて手を取り合わねばならない。

 その為に、スールとブルはこの場所に立っているのだから。


「お主達の悲しみや苦しみは、痛いほど理解出来る。だからこそ聞いて欲しい。お主達が主やペスカ様の意思を継ぐなら尚更だ」


 スールは静かに語ると、ブルに視線を送る。ブルは、果実の入った大きな木桶を運び、人間達の前に置いた。


「これは、主の神気が含まれた特別な果実だ。神の恵みが失われた、死せる大地でも実を付ける」


 スールの言葉は、衝撃そのものだった。

 この数か月の間、どれだけ苦労してきたか。飢えて死にゆく国民たちを、救う事が出来ずに血の涙を流して来たか。

 それでも、諦めずに試行錯誤を繰り返して来たのだ。スールの言葉は、全員の心をしっかりと捕らえた。


 皆が顔を上げて、スールを見上げた。 

 涙が簡単に止まるはずがない。しかし誰もがペスカ達の意思を継ぎ、苦境に立ち向かっていたのだ。

 

 シルビアは、涙を拭い立ち上がった。

 シリウスは、戦地に赴く時の表情に変わっていた。

 マルスは、スールの言葉に希望を抱いた。

 エルラフィア王は、心の中で手を合わせていた。


 木桶の中を見れば、人間の顔より一回りも大きい果実が、山の様に積まれている。そしてブルが木桶から一つ取り出して、シルビア達の前に置く。

 

「先に言った通り、この果実は死せる大地で実を付ける。我らが住まうドラグスメリアで実証した。ただし、人間の体では冬也様の神気は強すぎる。極小に切り分けて食さねば、体が崩壊するだろう」


 スールの言葉を受けて、マルスが一歩前に出る。その果実をじっくりと観察した後、エルラフィア王に向かって告げた。


「陛下。ペスカの残した技術で、この果実を栽培出来れば」

「あぁ。飢餓から脱出する事も、夢ではないかもしれん」


 エルラフィア王は深く頷く。


「そうだ。お主達は、栽培方法を探すのだ。一時凌ぎにはなるはずだ」


 スールの言葉に、エルラフィア王は再び頷いた。しかし、直ぐにシリウスが発言許可を得る様に、エルラフィア王に視線を送る。


「お教えください偉大なるドラゴン。今、一時凌ぎと仰ったのは、どの様な意味でしょうか?」


 シリウスの問に答えるには、全てを話さねばならない。

 スールは少し息を吐くと、ゆっくりと説明をした。ドラグスメリアで起きた出来事と、その結末を。

 邪神ロメリアの残滓から始まった出来事が、多くの神が体を失う結果となった事を。


「では、邪神はまだ存在しているのですか?」


 口角泡を飛ばす勢いで、声を荒げるシリウス。


「それは有り得ない。ドラグスメリアの浄化は完了していた。しかし、神がその体を失う結果となったのは、ある神の存在によるものだ」

「その神とは? 今、神々に何が起きているのですか?」

「主とペスカ様を殺したのは、戦いの神アルキエル。恐らくドラグスメリアの神全てが、アルキエルによって倒された」

「なんて事だ・・・」

「今、神の世界では何かが起きている。地上に干渉出来ず、世界が崩壊しているのがその証拠だ」

 

 質問を続けていたシリウスは、言葉を失った。スールの言葉を聞いていた、シルビア達も同様に言葉を失っていた。


「神の身体は、神気を具現化したものだ。神格が失われない限り、復活は容易い。この数か月、我らがこの果実の栽培に注視している間、いつの間にか集めた神格は消えていた。これが何を意味するのか、想像に容易いだろう」


 スールが一呼吸置いた矢先だった、シルビアが声を上げる。


「で、では。ペスカ様と冬也君は? 少なくとも冬也君は、フィアーナ様のご子息なんですよ」

「主とペスカ様の場合は、状況がやや異なる。根本的な死は訪れない。しかし、人間の体を失えば、人としての生を終える。お二方の神格が失われていなければ、いずれは蘇る。ただしその時、人としてでは無くなるかもしれんが。こればかりは、我ら眷属にもわからない」


 必死に言葉を紡ぎ出したシルビアであったが、再び言葉を失った。 

 

「今、お二人の体は、セリュシュオネ様の下にある。この数か月、我ら眷属でも主の神気を感じられなかった。だが、儂は諦めてはおらん! 儂がお仕えするのは、冬也様とペスカ様だ。お主等も諦めるな! 必ず生き残れ! 民を守れ! 儂らはこれから東へ向かう」


 そう言い残すと、スールはブルを背に乗せて、飛び立つ。

 一刻の猶予も無いのは、上空から見てよくわかっていた。だからこそ、話を打ち切る様に、飛び上がり東へ向かった。

 この果実が、救える命が有るなら、少しでも早く。スールは、眷属を従え空を駆けた。


 残された者達は、暫く動く事が出来なかった。理解の範疇を超え、ただ混乱していた。

 それでも、目の前には山積みなった果実。残された淡い希望。


「な、何を呆けておる。所長、直ぐに研究に取り掛かれ。メイザー卿は、シルビアと共に各地へ、果実を配布せよ。未知の果実だ、解析を忘れるな。どれだけの量を食せば良いか全くわからん。保存方法もな。聞いたであろう、神の恩恵は受ける事は出来ない。己の力で生き残るしかない。心せよ! ここが正念場だ!」


 エルラフィア王の号令で、一同は動き出す。

 マルスは職員を集めて、数個の果実を研究所に運び込む。シリウスは、木桶を城に運ぶように指示を出した。

 シルビアは、直ぐに城へ戻ると、東部の三国へ連絡を図る。


 呆けてはいられない、嘆いても救いは無い。後悔も絶望も、全て捨ててしまえ。

 彼らの顔からは、涙の後だけが残る。


 ドラゴンが齎した果実は、希望となるのか否か。それは、自分達がどう扱うかによって決まる。

 諦めるな、生き残れ、民を守れ。

 スールの言葉は、彼らの中に響いていた。


 ペスカと冬也の死。しかし、英雄が残した希望の光が残っている。

 諦めてはいけない。挫けていけない。

 今尚、死に瀕している多くの者達がいるのだ。


 何のために戦うのか。

 そんな事は、わかりきっている。

 

 例え神が居なくても、己の力で生き抜かねばならない。

 改めて、彼らは確信した。そして決意した。

 必ず、この世界を守ると。


 一方、東へ向かったスール達は、グラスキルス王国に辿り着く。

 既にシルビアから連絡を受けていたグラスキルス側は、国王がスールを待ち受けていた。

 そして、慌てた様に馬を駆って到着するサムウェル。

 シュロスタイン王国ではモーリスが、アーグニール王国ではケーリアがそれぞれ、スール達を受け入れる態勢を整えた。


 スールは各国で、エルラフィア王国と同じ説明を行った。

 誰もが驚き、そして悲しんだ。しかし、最後には立ち上がってみせた。


 希望の果実は、ラフィスフィア大陸に配られた。

 だが、ラフィスフィア大陸には、英雄の意思を継ぐ者が居たから、まだましなのかもしれない。しかし、アンドロケイン大陸では、全く状況が異なる。

 絶望の火は、撒かれていた。

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