第193話 ペスカの想い

 妹ならちゃんと信じろ。

 そう風の女神に言われても、ペスカの動揺は治まらなかった。


 ☆ ☆ ☆


 転生し新しい肉体を得たペスカは、自分の使命を忘れなかった。

 何の為に転生をして、強い肉体が必要だったのか。それは生前にやり残した、邪神ロメリアとの決着。単にペスカを利用する、体の良い神々の口実だったのかも知れない。

 しかし、ペスカはそれでも良かった。


 愛する故郷が蹂躙されていく、愛する者達がいとも簡単に殺される。それは、人の及ばぬ力で成される。ならば、神をも凌駕する力を手に入れる。

 女神フィアーナ、女神セリュシュオネの力を借りた転生は、ペスカにとって討伐の名を借りた復讐に相違なかった。

 

 地球という世界の進んだ文化は、ペスカに様々な知恵を与えた。技術、理論、思想、それらは、ペスカの血肉となっていった。

 うわべでは良い子を演じていても、その奥底で種火の様に燃えていたのは、様々なものを奪われた事への復讐であった。

 

 その憎しみや恨みが蠢く心を、優しく癒していったのは、一人の少年が向けてくれる優しい笑顔であった。振るわれる力の意味を、再び思い出させてくれたのは、少年の行動だった。


 彼はいつもペスカを守ってくれた。彼は自分の為には力を振るわなかった。彼の力は守る為にある、それを身を持って教えてくれた。


 ペスカは、彼を眩しく感じていた。前世の自分は、こんなに輝いていただろうか。

 領民が暮らしやすい領地、それが始まりだった。その為の魔法工学であったはずだ。いつの間に、戦う事が目的となってしまったんだろう。

 

 彼は家族の愛を教えてくれた。優しく頭を撫でられるその手から、温もりを感じた。

 家族とはこんなにも、温かかったのだ。


 かつて義父や義兄が、自分を守る為に傷を負った。それは、貴族としての表向きや、一族としての利を求めただけでは有るまい。そこには、家族に向ける愛があったはずだ。

 自分もまた、家族を守りたかった。領民を守りたかった。いつの間に、自分は敵討ちが目的になってしまったのだろう。


 怒りでは何も守れない。憎しみでは何も癒せない。


 自分をいつも守ってくれる兄。幼い自分の面倒を見てくれる兄。そんな兄の様に、自分も強く優しい存在でありたい。

 彼の優しさに触れ、ペスカは彼を敬愛した。心の底から、少年を兄として慕う様になった。

 

 やがて敬愛は、情愛へと変わる。

 日々の生活は、ペスカに安らぎを与えた。戦いに暮れた半生で、ささくれだった心は、冬也によって優しくほぐされていった。冬也がいない毎日は、有り得ないと思う程に。

 それだけ冬也と過ごした十年間は、ペスカにとって満ち足りた日々だった。


 ☆ ☆ ☆


 冬也の神気が感じない。それは、ペスカに著しい不安を与えた。


 風の女神は言った、あたしらの時と同じ、あの時よりも最悪だと。その言葉で、ペスカは直ぐにピンときた。

 これは、風の女神の話しにあった、反フィアーナ派の仕業であると。


 それ故に、不安は尽きない。

 原初の神が三柱もいて、悪意の残り滓を相手に何も出来ずに撤退する訳が無い。大陸東部での三柱の神が成す術無く倒されたのは、恐らく罠に違いないだろう。それが、冬也の身に降りかかろうとしている。

 しかも、その時よりも最悪とは、どれだけの事なのか。

 

 最悪の想像がペスカの脳裏に過る。不安で体が震える。恐怖で体が強張る。

 

 直ぐに助けなければ。


 風の女神、山の神を持ってしても、外部からは結界が壊せない。ならば自分に何が出来る?

 ペスカの体は、未だかつて無い程に震える。それでも頭を必死に動かし続ける。

 焦れば焦る程に、考えはまとまらない。頭は正解へと導かない。

 

 原初の神、それも三柱から力を奪った奴らが、冬也に牙を剥いたとしたら。

 女神と同じ様に、悪意を取り付けられるだけなら、浄化すれば済む。怖いのは、冬也を失う事。冬也という存在が無かった事になる事。冬也が別の存在に塗り替えられる事。

 ペスカの脳裏に浮かんだ想像は、枷の様にペスカを縛り付ける。


「ペスカ。あいつが、敵として現れるかも知れない。最悪の結果も覚悟するんだね」


 風の女神は、ペスカに言い放つ。しかしその言葉は、ペスカを逆上させた。


「ふざけんな! そんなの最悪でも何でもないよ!」

「その可能性も有るって言ってんだ、わかんないのかい?」

「違う! 最悪なのは、お兄ちゃんが居なくなる事だ! そんな事は私がさせない! 私がお兄ちゃんを守る!」


 ペスカの怒りは、一つの記憶を蘇らせる。

 以前メルドマルリューネで、邪神ロメリアの暴走に巻き込まれたペスカと冬也を、翔一が救ってみせた。

 亜空間に飛ばされていたペスカと冬也を、翔一が探知で探し、マナを伝って助け出したのだ。


 ただあの時とは、完全に状況が異なる。

 現在、冬也が居るのは大陸北部で邪神が張った、結界の中であろう。結界の内部は、完全に外界と遮断され、神気を持ってしても探知する事が出来ない。

 しかし、ペスカは神気を高めた。今まで極力使用しない様にしてきた神気を、急速に高めた。


「ペスカ! そんな事をしても、助けられやしないんだよ! あいつが居るのは、この世界とは隔絶された、奴らの神域だ! あいつの事は放っておきな!」

「誰が助けられないって? 冗談じゃない! 私の神気はお兄ちゃんに届く! 必ずお兄ちゃんなら、気が付く! お兄ちゃんは、絶対に無事で帰って来る!」

「あたし等は三柱もいて何も出来なかったんだ! 無駄だって言ってるのに、わからないのかい?」

「信じろって言ったのは、姐さんでしょ? 私は信じてるよ! お兄ちゃんは絶対無事に帰って来るって!」


 空元気かも知れない。でもペスカは、作り笑いを浮かべた。


 信じてる。

 そんな簡単に頭を切り替えられるはずが無い。

 信じてる。

 そんな簡単に、不安を拭いさる事は出来ない。


 ペスカの頭には最悪の想像が未だに残る。そんな悪夢を拭い去る様に、ペスカは神気に想いを籠める。十年間、冬也と出会ってからの想い出を、一つ一つ思い返しながら、ペスカは神気を高める。


 初めて会った時の、優しい笑顔。外見で嫌がらせされた時に、庇ってくれた事。一緒に受けた父の特訓。心の籠った料理の数々。

 思い出す度にペスカの心は温かくなっていく。少しずつ、不安が拭われていく。


「大丈夫、お兄ちゃんなら大丈夫。絶対に負けない、絶対に屈しない」


 やがて、冬也への強い想いは、神気に乗って邪神の結界を抜ける。

 完全なる結界など、存在はしない。ペスカの想いは、結界などに阻まれはしない。

  

「届け! お兄ちゃんに届け!」


 ペスカは更に神気を高める。冬也を探す様に、冬也に伝える様に。


「お兄ちゃん! おに~ちゃん!」


 ペスカは叫んだ!

 叫んだとしても遠く離れた場所で、声など届くまい。しかし思わず口からこぼれ出る様に、ペスカは叫んでいた!

 捕らわれた冬也に、想いが通じる事を信じて、ペスカは願う。強く、強く願う。


 そして、願いは届いた。

 

「ペスカ、いま帰るからな」 

 

 冬也は虚無の空間を消し去り、現実空間に戻った。

 時間の概念が無い虚無の空間で、どの位の時が経ったかわからない。しかし冬也の眼前には、女神の体を乗っ取った邪神が、目を見開いて浮かんでいる。


 反フィアーナ派の介入は、予想外の展開であった。しかし、冬也はそれを乗り越えて見せた、ペスカは冬也を信じ抜いた。

 兄妹の絆が勝利を得た。そして、反撃が始まる。

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