第90話 兵士達の目覚め

 三つ巴の戦争は、シュロスタイン王国、アーグニール王国、グラスキルス王国、この三国が国境を重ねる場所で、一番大規模な戦いが繰り広げられている。そこから互いの国境門を中心に、戦いが広がっている。

 必然的に国境門を巡る争いは小規模となり、互いの国で多くの脱走兵を出していた。


 しかし中心地では、数万を超える各国の軍団が入り乱れ、殺し合っている。

 これは、領土を広げる戦いでは無い。国を守る為の戦いでも無い。何の信念も無く、何の覚悟も無く、何の戦略も無い。

 只々命ぜられるがままに、殺し合う惨劇が広がる。狂気が満ちた、人と人が殺し合う殺戮の世界である。


 感情が無く、痛覚は失せ、何故殺し合い続けるのか。

 そんな疑問を持つ者は、ただの一人もいない。何故ならここは狂気が渦巻く場。悪意が満ちる場。人が人として有る事が出来ない、人ならざる者が蠢き合う場。強者も弱者も無い、勝者も敗者も無い。殺して喰らう、ただそれだけの場である。


 手を失い、足を失い、マナを枯渇させ、体力が尽きても殺し合い続ける。死兵の如く自我を失い、止まる事の無い殺し合う。日を追う毎に数万は数千に、数千は数百に兵の数を減らしていく。 


 何日も続く殺し合い。そして本能的な飢え。兵站が無い状況で、兵達は貪る様に死体を喰らう。修羅の世界なのか、餓鬼の世界なのか、地獄の世界なのか。紺然たる様がそこに有った。


 死体を貪る兵の後ろから、違う兵が襲う。斬られた兵は、傷の痛みを感じる事無く斬り返し、再び死体を貪る。

 血を噴き出した分だけ、死体から血を啜る。失った体の分だけ、死体を齧りつくす。 

 

 狂ったように笑いながら斬り合う兵。

 生きながら互いを喰らい合う兵。


 人の尊厳は欠片も無い。

 命の価値は欠片も無い。

  

 狂気を映すかの様に、天は陰鬱な曇天となる。踏み荒らされて、台地は草木一本も生えぬ程に荒れ果てる。血の匂いが充満し、風すら吹かず空気は淀む。

 昼間でも光すら射さない。自然の恵みは失われ、マナは枯渇する。


 何時、崩壊してもおかしくない。いや、人が人を喰らい始めた時に、既に崩壊は始まっていた。


 悪鬼と化した兵達から、体の変質させる者が現れた。

 オーガ。それは人がモンスターと化した、成れの果てである。オーガとなった時に体を変質させ、失った四肢は蘇る。完全な姿となった化け物は、徐々に数を増やしていく。

 オーガは、生き残る兵達に襲い掛かり、喰らい始めた。


 人とモンスターが入り乱れ、殺し合い喰らい合う。もはや惨劇など生ぬるい。地獄すら生ぬるい。そんな場に、一人の男が下り立った。

 それが、シュロスタイン王国の将軍モーリスであった。

    

 長らく牢に捕らえられていたモーリスは、万全な体調では無い。食事を摂ったものの、依然として体は瘦せこけ、立っているの奇跡の様な状態だった。 

 しかし、その瞳は決意に満ち、体中に闘気が溢れる。


 モーリスは、衛生兵を後方に立たせ、武器も持たずに戦場へ歩き始める。

 

「馬鹿者~! 静まらぬか~!」 

 

 戦場にモーリスの怒声が響き渡る。そして戦場を包む悪意や狂気を打ち払う様に、モーリスから闘気が噴き出す。


「何をしておる! 何の為の戦いだ! 何も守る事無く、無為に命を散らすな!」 

 

 モーリスの圧倒的な闘気に、感情を失くしたはずの兵達の足が竦んだ。


 しかし、オーガは命の危険を感じ、モーリスに襲い掛かる。百を超えるオーガに、モーリスは拳を握り立ち向かう。

 力の無い体で、何が出来ようか。老人の様に枯れ果てた腕で、モーリスは拳を振り出した。


 モーリスは力の限りオーガを殴る。鬼気迫るモーリスの闘気が拳に乗り、オーガの胴は貫通し大穴を開ける。ただの一撃。無手の攻撃で、モーリスはオーガを粉砕した。それは、心を失ったはずの兵達を怯えさせた。


 モーリスは、初めに戦場を眺めた時、手遅れかと思っていた。人が人を喰らう惨状では、誰も救う事は出来ないと考えていた。人がモンスターと化す、崩壊した現状を打破する方法は無いと頭に過った。


 しかし、モーリスの頭にはペスカの姿が蘇る。愛らしくも勇ましい姿が鮮明に映る。故にモーリスは抗った。絶望的な状況に立ち向かった。そして、自分に怯える兵達を見て、光明を見出した。


 モーリスは迫り来るオーガを殴り続けた。殴る度に感覚が戻ってくる。かつてペスカの右腕として、大陸中で名を馳せた猛将の力が、少しずつ蘇ってくる。


 モーリスは示した、たとえやつれても、オーガなど敵では無いと。

 

 モーリスの闘気が風を呼び、雲を散らす。淀んだ空気は消し飛び、兵達は気を失い始める。オーガを殲滅し終えた時には、全ての兵が気を失っていた。


 鎮圧を終えると、モーリスは衛生兵を呼び、兵達を戦場から連れ出させる。そして治療を行わせた。

 三国まとめて、生き残った兵は三百名足らず。それでも、全ての兵を戦場から連れ出すのは、かなりの時間を要する。

 ほとんどの兵が、いずれかの四肢を欠損しており、五体満足な者は十名足らずしかいなかった。


 全ての兵が、おびただしい血を失い、直ぐには治療が完了しない。あれだけの激しい殺し合いの後に倒れたのだ、意識を取り戻す事すら難しいかも知れない。衛星兵は重傷者から中心に、必死に命を繋ごうと魔法を掛け続けた。


 そして戦場に残ったのは、食い散らかされた兵達の残骸と、オーガになった兵達の死骸だった。

 

 モーリスは周囲を見渡すと、瞳を閉じて両腕を胸の前で交差させる。そして集中し、マナを体内に循環させる。モーリスは言葉を嚙みしめる様に、ゆっくりと呪文を唱えた。


「眠れ安らかに。大地に還り糧となれ。勇敢な魂は悠久な時の中で、巡る命の循環に戻れ。清浄の光よ全ての命を清めよ。エラーリア!」


 人の想いは時に奇跡を起こす。

 呪文に籠めた願いは、鎮魂である。モーリスは兵士達、オーガと成り果てた者達の魂の平穏と、循環し新たな命を育む事を望んだ。

 その想いに応える様に、モーリスの体から光が溢れ、戦場を包んでいく。戦場を中心に周囲に広がって行く。死体は大地に溶ける様に消えていく。光が全てを浄化し、戦で傷ついた大地を癒していく。


 モーリスの魔法で浄化された魂が、傷つき倒れた者達の周囲に集まり、きらめく様に輝いて消える。それは、生き残った者達が再び立ち上がれる様にと、消えゆく魂が力を与えている姿にも見えた。

 失った四肢は戻る事は無い。しかし激しい殺し合いの中で、狂気した心と体は癒されていく。目を覚ます事が無いと思われた兵達が、意識を取り戻していった。

 

「俺は・・・」

「目覚めたか」

「モーリス将軍・・・、一体何が?」


 治療がひと段落した後、モーリスは一部始終を兵達に聞かせた。

 神に操られ殺し合っていた事、人を喰らう悪鬼と化していた事、その全てを話した。

 傷ついた者達に聞かせる話では無い。二度と立ち上がれない程の衝撃を、与えるかも知れない。それでもモーリスは、再び戦士として立ち上がって欲しかった。混乱極める三国の支えとなって欲しかった。

 後悔で、直ぐに立ち上がれなくても良い。自らが行った事を嚙みしめ、その上で立ち上がれるならば、ゆっくりでもいい。それはいずれ訪れる、平和な世界の礎となる。

 モーリスは言い聞かせる様に、ゆっくりと兵達に話した。


 嗚咽をする者、吐く者、震える者、様々な様子で兵士達は、モーリスの言葉を聞く。

 理解したく無い、理解出来ない、だが理解せざるを得ない。何故こんな事に・・・。

 頭が混乱する。幻痛に喘ぐ。発狂したくなる。いっそ死んでいた方がましだったと思える。何故生き残った。何故死ななかった。

 兵士達は抑うつ状態へと落ちていく。


 モーリスが全て話し終える最後に、少し付け加える様に声を荒げた。


「俺はこれから、シュロスタイン、アーグニール、グラスキルスの全てを救って来る。貴様達は神によって踊らされた被害者だ。だが、人の命を奪った事は変わらん! 無為に他者の命を奪った罪は消えん! 貴様等が戦士なら、立ち上がれ! 殺した分だけ人を守れ! 人を救え! 祖国を守れ!」


 モーリスの声が響き渡る。それは、兵士として当たり前の矜持であろう。

 兵士達はいずれも、神によって加害者にさせられた被害者である。しかし、人を殺し喰らった事実は、消せはしない。失った命は戻りはしない。ならば、失った命の分だけ、人を救え。

 祖国を守る為、家族を守る為に、兵士の道を選んだのだろう。ならば前を向け。


 直ぐに立ち上がれるはずが無い、モーリスはそう思っていた。だけど敢えて叱咤する様に、声を荒げた。いずれ生き残った者達が、それぞれの国で役目を果たせばいいのだ。

 しかし、一人の兵士が立ち上がる。


「モーリス将軍。俺を連れて行ってください。俺は戦える!」


 続く様に、一人もう一人と立ち上がる。足を失くし立てない者は、声を荒げて叫ぶ。

 それは罪悪感に苛まれた結果の、行動だったかもしれない。今はそれで良いのかもしれない。その行動が、自らを救うと信じて進めばいい。

 モーリスは、周囲を見渡すと再び声を荒げた。


「国は問わん。着いて来る者は、直ぐに治療を終えて準備せよ! 歩けぬ者は、馬に乗り戦え! 意志ある限り戦え!」


 三百名足らず兵達に歓声が上がる。そして士気が高まる。モーリスを含め、傷ついた兵士達のちっぽけな反抗がいま始まった。

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